家族からの解放

妹が再婚するらしいことを数か月前に母から聞いた。いや、もうしたのかもしれない。詳しいことはわからない。

妹は一昨年離婚し、地元を出て、東京で今度再婚するだかしただかの相手と同棲している。前の連れ合いとの間に設けた2人の子どももすくすくと育っていて、上の子は今年の4月に小学校に上がった。

妹は弱かった。世間知らずだし、想像力が足りなかった。優しい性格で愛嬌もあるが、物事の考え方や捉え方は幼稚だった。一昨年の離婚劇や突然の上京の経緯なんかは、2児の母としての覚悟が感じられない、全く褒められたことではない出来事だった。いつかその子どもたちが成長し、必要に迫られたとき、どう説明するつもりなのか今から心配になるくらいだ。この一連の事件のとき私は、妹のあまりの身勝手さに呆れ返り、弁解することも許さず無視を決め込んだ。これまで「子ども第一の私とそれに不満を持つガキっぽい旦那」的なストーリーの上で元旦那の愚痴をさんざん聞かされ、その度に妹を励まし続けてきた時間もマジで無駄だったなと思った。少し時間が経ち、母が仕方ないと諦めて妹をサポートする姿勢を見せ始めても、私は自分から歩み寄ってはいない。ただ、まだ怒っているのかといえば、そうではない。別の理由というか、思うところがあってそうしている。

母はこの件が起こった直後酷く落ち込み、一般的な平成時代の家庭に比べて母親らしいことを何もしてやれなかったことが(私の両親は共働きで飲食店を営んでおり、私たちとはほとんどすれ違いの生活だった)、今回の出来事を招いたのではないかと、かなり後悔の念にさいなまれているようだった。でも、子どもの私から見ると、それは少し違う。

私たち姉妹は全員、間違いなく母を尊敬している。客の間では肝っ玉おかみとして有名な母は、家族の中でもそのまま、肝っ玉母さんだった。肝っ玉母さんなのか、あるいはもはや父さんなのか、というくらいには肝っ玉母さんだった。いつだって明るくカラッとしていて、弱さや苦労を一切見せず、人から信頼され、たまにドジでお茶目なみんなの親分だった。そんな母も一度離婚していて、女手一つで子育てをしていた時期もあったし、再婚してからは父を脱サラさせて店をはじめ、開店したての飲食店が一年と経たず潰れていくこんな田舎で必死に働いて店を切り盛りし、私たちを育ててきた。そんな母を間違いなく尊敬しているし、接していた時間こそ短かったかもしれないが、愛されて育った自覚もある。そこら辺の家族よりよっぽど絆が強く、仲良しだとも思う。(父は結構変な人なのでそれなりに疎ましがられたりしてはいるのだが笑)

ただちょっとそのことが妹にとってはプレッシャーになっていたんだろうなと推測している。子どもの頃は比較的優等生で両親からの信頼も厚かった私と比較して「姉のようになれない」ことに苦しんだかもしれないし、結婚して子どもを育て始めてからは、母を愛し、尊敬しているからこそ、「母のようにできない」ことに負い目を感じていたようだった。私からしたら、そりゃ子どもの頃の私は妹たちを守って親を助けなきゃという気持ちで必死に頑張っていたし母は子を育てなきゃと思って必死にやっていたわけで、あんたにはその必死さがなかったし、今もないじゃん。遺伝子だけでそうなれるわけないよ。とは思うのだけど、私と母と妹はみんな考え方も適正も違うし、だいたいその時と今とじゃ状況が違うのに比べる意味なんかないから、親を泣かせてまでしたかったことなら、ちまちま言い訳してないでその後の態度で示してほしい。私に対してもそう。今でも弁解のタイミングを伺ってくるけど、必要ないからやめてほしい。情状酌量の余地はあるにせよ、君がしたこと自体については今でも全く理解できないんだから、口先だけでわかってもらうことに時間を使うのでなく、やるべきことをやっていって欲しい。「許す」という言葉を聞いて安心したいのかもしれないけど、それは違う。許されなくていい。幸せになればいい。子どもを幸せにすればいい。大体、怒り続けるなんてそんな体力がいること、私が続けているわけないでしょう。いい意味でどうでもよくなっただけよ。家族は家族なんだから、一回家族から解放されたらいい。せっかく出て行ったんだから、自分の生き方と向き合えばいい。そんでコロナが落ち着いたら一旦みんなに会いに帰ってきたりすればいい。相手の男はとりあえず一発殴るけどな。

そしてこれは、私自身にも言えること。私もまた、家族から解放されなきゃいけない。家族が大切だからこそ、自分を大切にしたい。離れていたって、家族の期待に応えられていなくたって、我が家の絆はそんなことで切れるものじゃないと、今回再確認したんだから。

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