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保育士たちの「暴行事件」から、見なければならないこと #2

なかなか文字が連ならないままに、週末を迎える中。
12月10日(土)〜11日で、子どもの権利条約フォーラムに参加しました。

参加した分科会のテーマは
「保育事故」と「医療的ケアの必要な子どもの保育」そして「不登校の子どものたちの声をきく」の3つ。

どれも一方から見ると、重たくて触れることに勇気がいるテーマ。

しかし、違う方から見てみると、誰しもが思い出すエピソードをもっていたり、何かしら自分ができることを見つけたくなるテーマでもあることに気がつきました。


保育の中で起きた暴行事件の報道があって以降、園によっては緊急会議や朝礼が開かれ、今一度保育を見直す機会にしているとの報告がいくつも届くなか、考えたことがあります。

保育施設では毎度、自分たちの現場にも連想される問題が起きるたびに、保育士たちは胸を痛め、語り合い、励ますという形を以て、なんとか仕事を続けてきました。
献身的で人間味のある人たちの集団である反面、それは「現実をみる」ということから離れた場所にあることのような気もしています。

それは「注意喚起」や「励まし」「自己評価」だけでは限界があることを、保育に向き合っている人ほど痛感していると感じるからです。

そして。
おそらく、どこの園も"うちで起きないとは限らない"という心配とともに"仲間を信じている"という願望のようなものが、自然と広がっています。


しかし、ここで考えておきたいことは「きっと大丈夫だろう」と楽観的になることと、「信用すること」には大きな違いがあるということです。

保育に関わる人たちに触れてきて感じることは、一緒に働く人に対して、できることならポジティブなイメージを持ちたいという考えを持っている人の多いこと多いこと。

その理由を推測すると

  1. 子どもたちに対して「これから育つ」ということを念頭において関わっている時間が長いこと

  2. 密な人間関係の中で、疑うことを始めてしまうと、到底仕事にはならないこと

  3. 自分自身、常に安定した、いい人(子どもにとって安心できる面白い人)でありたい=他の人もきっとそうだろうと思うこと

が、浮かんできます。
言うまでもなく、この3つは、私が現場にいた時を振り返って出てきたものでもあり、閉じた環境の中でも「日々、居心地よく生きるための術」でした。

「あえて見ないようにしている」のか「見えていることを、見なかったことにしているのか」それとも「見えていない」のか。
どれであったとしても、共通しているのは「行動に移さないこと」です。

「忙しい」はいつしか掛け声や挨拶と同じポジションに収まることで、これ以上何かを考えたり工夫することを”No”とする呪文のようなものになっていたのかもしれません。

今になって思えば、忙しいと思いこむことで「仕事をしている」という自己暗示をかけ「みたいものだけを見る」ことにエネルギーを注いでいたのではないか?と、思わずにはいられません。


私の反省が長くなってしまいました。
さてさて、先日は「保育制度の限界」という切り口で文字を連ねましたが、今日は「職場の環境」に視点を置いて考えてみることにします。

保育士の職場環境は、折に触れて議論され、今回の事件が起きた後も「配置基準」や「給与」に関する記事を多く目にしましたが、私は大きな議論に逃げる癖を、今回は手放すことにします。

塾生や研修受講生から話を聞いていると、保育士が求めていることは、明日実践できる現実的な工夫であり、今日の保育が安全で楽しかったという実感により、物事が改善していきます。

そのことを踏まえ「職場環境」を切り口として考えてみると、現場で取り組める6つのことが出てきました。

  1. 保育士個人(資格に対する責任・価値観とスキル)

  2. クラスのチームワーク(共通認識と関係性)

  3. 園内の人間関係(仕事であることの共通認識)

  4. リーダー・管理者の指導力(キャリアの積み重ねと指導)

  5. 園としてのマネジメント機能・危機管理(組織が機能していない)

  6. 保育士の教育・支援環境(時代・制度・現場での学習)

この6つには、自分自身の努力でできることもあれば、チームで協力することで叶うこと、そして園を上げてやることも含まれますが、まずは正しく「現実」を見て、できることからひとつずつ始めていくことしかありません。

保育施設は、同じ基準のもとで(地域ごとのちがいはあっても)保育を行っていて、それぞれの法人・園が理念を持って運営しています。
いくつかの園での保育を経験している保育士の話を聞くと、給与面や休みの取りやすさよりも「自分自身が安心して保育ができているか」「人間関係が良く、指摘・意見しあえる関係か」「園の方針に納得し、自分が成長できる見込みがあるか」などを重視している傾向があります。

職場の環境に対する価値観は「生活費のための労働条件」よりも「自分の人生の時間をここで使えるか」に大きく舵を切っています。
たくさんお金がもらえても、自分が苦しむ環境であれば、働く場所として選ばれなくなっているのです。

事実、管理職やリーダー職の立場を手放して、一保育士に戻り、学び直しを続けている50代後半の塾生もいます。


保育士の人数が揃ってこそ、子どもを受け入れることができる保育の仕事は、たいした研修期間も持てないまま、即戦力を要求されます。運営費・配置基準・採用状況など、どこをとっても精一杯の中で、保育が行われていることも前提です。
それでも、保育者と園長が信頼関係で結ばれ、一人一人の職員が「自分の園」という気持ちをもって、力強く年数を重ねている園もあります。

どこにそんなに大きな差が出るかと考えると、やはり「職場環境」にあります。
家庭で子どもが育つように、保育園では「保育者」も育っていくのです。

子どもが育つために必要な「こと・もの」と同じように、保育園で「保育者」が育つためには、栄養となる教育と成長に必要な厳しさ(正しさとも言えます)、保育者の主体性とまわりの長い目、その結果得られる関係性のなかでの「安心」そして「安全」が必須です。
仮に、職場の園で全てが与えられていなかったとしても「教育」も「厳しさ」も「主体性」も自分で準備することも忘れてはいけないですね。


今回の事件が、これだけの社会的インパクトを持って報道されたのは「まさか、そんなことがあるのか!」という、驚きの現れだったのではないか…と思っています。

シンプルに言えば、保育園という、子どもにとっても保護者にとっても「やさしさ」「楽しい」「嬉しい」といった柔らかな言葉が似合う施設だからこそ、反応が大きくなるのです。


今回は「職場の環境」について書いてみました。

環境は、与えられるものではなく「自ら生み出すことができる」ものです。

寒い冬にはコートやこたつを出して暖を得て、暑い夏には日陰を探してきた私たち。園の環境を変えることの難しさに立ち止まる前に、自分のものの見方や解釈を変えることを始めてみましょう。


もっと詳しく学びたい方は、こちら。3回講座です。Storesに飛びます。

2022.12.17 がじゅまる 学習塾







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