検察に関する誤解

大阪の小6焼死再審無罪、知事が謝罪

大阪市東住吉区で1995年、小学6年の女児(当時11歳)が死亡した火災を巡り、再審無罪になった母親の青木恵子さん(59)が国と大阪府に損害賠償を求めた訴訟で、吉村洋文知事は22日、府警の取り調べを違法と判断し、府に約1220万円の支払いを命じた9日の大阪高裁判決を受け入れ、最高裁への上告を断念することを表明した。

ただ、記事にも書かれてますが『検察の起訴や捜査の違法性は否定』したのは当然の判断だろうと思います。


足利事件の時もそうでしたが、「検察は菅家さんに謝れ!」みたいな単細胞バカが、今回のケースでも「当時捜査した関係者や裁判官は謝れ!!」とか言い出しそうなので、ちょっと書いておきます。


足利事件については、私は無罪判決が確定した当時から検察は謝るべきで無いと主張してきました。

何故かって?

ズバリ、する必要が無いからです。

検察というのは人を有罪にするのが仕事ですから取調べや捜査手続きの上で違法性が無ければ何ら落ち度はありません。


足利事件で落ち度があるのは

第一に当時の基準で違法あるいは強圧的な取調べがあったわけでもないのに 、あっさりと自白した挙句、裁判でもすぐに罪を認めて、結果的に捜査現場を混乱させて真犯人取り逃がしの契機を作った元被告人の菅家さん。


第二に誤ったDNA鑑定をした鑑定人(ただしこれを問題視するなら今後の技術進歩で覆る可能性がある 科学捜査は一切証拠にできなくなる) 。


第三に有罪判決を出した裁判官(とはいえ本人が裁判で罪を認めてるのに無罪判決が出せるのか?) 。


であって、適切な取調べの上で起訴をした検察は自分の職務を全うしただけなので何の非もないでしょう。

逆に自白含めてあれだけの証拠があって起訴しなければ、そっちの方が実務的な意味で問題視されます。


裁判で被告が無罪になるたびに検察が被告に謝罪したり 、

有罪になるたびに弁護士が「間違った弁護をして申し訳なかった」と謝罪しない理由を考えればわかるでしょう?

「仕事に対する責任」ではなく、「判決に対する責任」を求められたら

双方が萎縮して事件捜査も裁判もできなくなるからです。


個人の「感情」として気の毒と思うことは許されても、「結果に対して責任を取るとか謝罪する」という概念は検察や弁護士や裁判官には絶対にあってはいけないのです。
法律の女神が目隠しをして秤と剣を持っている理由の大半もここにあります。


ですから、今回のケースでも国や検察が青木さんに謝罪する必要は全くありませんし、断乎、してはならないと思います。


蛇足ですが、今回の報道では朴龍晧のことがほとんど言及されてませんね。以前の報道では朴龍晧が娘さんを虐待強姦していて青木は黙認していたとのことですが。



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