友達との距離、重さ

友達を失う。
真逆の人間だった。
ウマが合わなかった、ということで片付けることもできないので、完全に自分の悪いところがあったのだと思う。そんなことを、過去言っている人がいた。なぜか離れてしまうんだと。
誰かが言っていた悩みは、ネタの前振りのように会話に現れ、ふとしたタイミングで自分にも試練のように振りかかる。

距離感がわからない。自分の趣向として近づきすぎるのかもしれない。重く思われるのかもしれない。
気を遣った、という瞬間に壊れるのは、余計なことをしてしまうタイプなんだろう。

ドラマや本で描かれる人間関係は心の深いところで繋がっていて、お互いがニコイチで、そうでなくても何かあれば助け合えて、何でも打ち明けていて、許し合えるような絆だ。

しかし現実の人間関係は、思っていたよりもっと薄くて、深い繋がりとかはないのかもしれない。

美しく描かれる人間関係ばかりを見過ぎて、期待値が上がり過ぎてしまったのだろう。


違う、もっと根本的なのは、
相手への、私の思い度が100なら、相手の私への思い度も同じぐらいの100であってほしい、ということなのだ。
それを勝手に押し付けて、期待して、がっかりしてしまう。

でも、相手にとって自分がどんな存在かなんて私が決めることじゃないし、相手の世界は私と同じ構造じゃない。だから相手にとっては私が30ぐらいの思い度であっても受け入れるべきなのだ。
相手の中に私を置いてくれることだけでも感謝すべきなのだ。
相手にとっては、わたしはどのくらいなの?警戒をし続ける。

わたしにはさらっとした関係性がちょうどいい。
自分をしっかり保って、少し突き離すぐらいでいないと、依存しちゃう。


悲しいけれど、いつか体験しておいた方がよい、しかももっと歳を取ってしまう前に負っておくべき傷だったのだと思うと、早いうちに、いまそうなっておいて良かったとも思う。
友達や人間関係の話は、誰しもが避けて通れない失敗で、いつか必ず登る大人の階段なのだから。

この苦い味は、大抵の周りの大人はどこかで味わってきたのだろう。だから逃げることも避けることもない。私もこの機会にしっかり噛み締めて味わって、人生経験だと思おう。


いつか、この人と一緒に関わっていたいと思える人が現れた時にまた失ってしまわないように、経験値として心に刻んでおこう。

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