興味の跳ね返り


昨日、『遠野物語』プロジェクトの反省会があり、帰り際にメンバーが話していたことが面白く、ちょっとした発見があったのでメモしたい。

遠野の子どもは、高校や大学を機に遠野を離れてしまう子が少なくない。

− 遠野には遊ぶところがない −
− 遠野は面白くない  −

都会の子どもたちの方がよっぽど山遊びや川遊びを経験し、楽しんでいるという、皮肉だけども興味深い話も聞いたことがあった。


ここではないどこかへ。そう思って地元を離れることは自然なことでどこの地域も同じだと思う。現に僕もそうだ。


そんな中、一度遠野を離れてしまってもいいので遠野にいるうちに子どもたちに遠野の魅力に気づいて欲しい。そんな風に思っている。

現に、『遠野物語』、伝統芸能、自然など、このまちには地域資源が溢れている。30歳のいち移住者からすると、めちゃめちゃ面白い。

その自分が面白いと思った遠野のよさを遠野内外に伝えていく動きは引き続きやっていくのだが、、
地元の高校生に対してそれをストレートに伝えてみたところで、伝えられるけれども、本当に"伝わる"のかどうか。

− また地域の魅力に気付こうか…。もうそういうの飽きたよ −
− また大人がなんか言ってるよ。部活も勉強もあるし… −
− いやいや、俺らの方が遠野物語くわしいし。外から来た人でしょ? −

思春期真っ只中の子どもたちはもしかしたら嫌がるかもしれないね、そうメンバーと話していた。

確かに、自分の高校時代を振り返ってみると、そんな反応をするかもしれない。

思えば地域の魅力に気づくのって外の世界に出て、比較対象ができてからな気がするし、地元しか知らない子どもたちに魅力に気付こうぜ!って言っても何か根本的に噛み合わない構造になっているかも、と思った。


とすると、いっそのこと、いかに外の世界が広くて面白いか、それを説いた方が、彼らの興味に火をつけ、イキイキと何かに向けて動き始めるかもしれない。

遠野に来たメンバーには、世界を旅した人や東京の最前線で働いて人、スペインから来た人など、いろんな世界を体験してきた人がいる。少なくとも遠野に行き着いたルートは20通りぐらいある。

この人たちは、それぞれ自分が興味ある場所、人、仕事を突き詰めた結果、
なぜか今、遠野にいる。

僕だったら、東京のど真ん中で広告の仕事をし、渋谷の近くで生活をしていて、カルチャーに触れる生活をしていた。外見は違えどポパイのシティーボーイ特集のような、遠野とは対極の暮らしをしていた。

ただ、そういう生活をある程度してみて初めて、地域に目が向いた。東京も面白いけど、これからは東京じゃなくてもいい。地域で途絶えそうな文化をつなぐ仕事がしたい。それは東京に出なければ決して思わなかったことかもしれない。きっと限界集落で結婚式も挙げなかっただろうし、遠野物語にドハマりすることもなかったと思う。

これを仮に「興味の跳ね返り」とする。


話を遠野の子どもに戻すと、一度思いっきり視点を外に向かせて、この興味の跳ね返りを促した方が、結果的に将来、遠野に目が向く人が出てきたりして…。それが昨日の夜から今日の朝にかけて思ったことだ。


外の世界に出れば、遠野を外から見る。外の人から遠野の良さを伝えてもらえる。そうすると、遠野って悪くないな、と思う。

自分も、地元である新潟県の長岡は、そんな感じだった。花火すごいよね、山本五十六の生まれだよね、米百俵だよねと周りから言われて初めて気づくことができた。その後、司馬遼太郎の『峠』を読んだ頃には、「誇り」みたいなものがようやく出てきた。これ、28歳ぐらいの頃の話。


どうなんでしょうね。正解はないけれど、まずは色んな世界があり、いろんな選択肢があり、どれでもいいから飛び込んでみれば?というスタンスの方がいいかもしれないな。彼らと同じベクトルで話してあげるというか。後から、きっと遠野の良さに気づくから。

その理論でいくと、それと同時に、遠野にUターン、もしくはIターンしてきている人々と一緒に遠野で何かやるってのは可能性がありそうだ。現にそういう交流もある。興味の跳ね返り後であれば、同じベクトルで話ができる。


そんなことを思った朝でした。これから長岡花火を見に、長岡へ帰ります。


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