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私たちの街から本屋が消える。/「ブックス ルネッサンス」の記録

部屋に入って 少したって
レモンがあるのに
気づく 痛みがあって
やがて傷を見つける それは
おそろしいことだ 時間は
どの部分も遅れている

北村太郎

この詩は、『すてきな詩をどうぞ』(川崎洋/ちくま文庫)というアンソロジーに収められている。
私はその古本を高校の先生から譲ってもらった。

甘酸っぱい香りが漂ってきたのか、鮮やかな黄
色が目に入ったのか。詩の語り手は部屋に入り、しばらくしてレモンの存在に気付く。
レモンは語り手が気付く前からずっと部屋の中にあったのに。
同様に、痛みがあってはじめて傷に気付く。
気付くときにはすでに遅いのだ。

そのことを実感する出来事があった。
2023年春、毎日のように前を通っていた早稲田大学近くの古本屋<ブックス ルネッサンス>が閉店した。

突然の閉店だった。
<ブックス ルネッサンス>はあたりまえにある風景の中に溶け込んでいたので、なくなると知ってはじめて、その存在がぐっと目の前に迫ってきた気がした。

なぜなくなってしまうのか。そして、改めて<ブックス ルネッサンス>とはどんな場所だったのか。
自分の中で納得したいと思い、電話をかけた。
店主の浅利さんは快く取材を受け入れてくれた。


・本はいらないものだから

<ブックス ルネッサンス>といえば、床にまで平積みされた大量の本である。
それが訪れたときには、すっかり無くなっていた。

以前とは別の場所のように見える店内で、空になった本棚に腰をかけ、話を伺った。

「自分の中では、ずいぶん前から続けられないなとは思っていたのよ。
21年間やったんだけど、お金でいえば半分くらいはずっとキツかった。」

家賃は月20万以上かかるし、本は売れない。
潮時だと考えたという。
閉店セールなどもなく、静かに店を閉めたのは、安く売って転売されたら他の書店に迷惑がかかってしまうからだ。

「やっぱり早稲田はお勉強の街で、文化地区じゃないんだよね。必要なものしか買われない。
それは本屋だけの問題じゃなく、みなさんが悪いというわけでもなく、街の雰囲気だったりするから。
それで、必要か必要じゃないかでいったら、世の中のものほとんど必要ない。本屋に限らず、生きるのは大変だよ。」

早稲田は文化地区じゃない。
それは、核心を突いた言葉だと思う。

インタビューの間、何人もの学生が店の前を通り過ぎるのが見えた。
ちょうど入学シーズンだったので、新緑とスーツ姿の新入生が眩しく、サークル勧誘の明るい声も聞こえてきた。

たくさんの人通りの中で、<ブックス ルネッサンス>に目を向ける人はほとんどいない。
時代が通り過ぎていく有様を目の当たりにしたような気がした。


・「ブックス ルネッサンス」の思い出

ここに、私が<ブックス ルネッサンス>で買ったヘンな本を紹介しておきたい。

このちょっと不気味な本は、Windowsが95だった時代のPCゲームの説明書だ。
ゲームのタイトルは『EVEの世界』
荒廃し、沼地と化した世界を、草間彌生をはじめ様々な現代アーティストの作品を集めながら旅するというプロットらしい。

<ブックス ルネッサンス>はオールジャンルの本を扱っていたからこそ、時々このようなヘンな本を発見できて面白かった。

「普通の古本屋さんは、この分野は買い取るけどその分野はいらないというようにしてるのね。でも、本を持ってきてくれたお客さんからしたら不便じゃん。だからうちは処分するくらいなら置いてっていいですよって言ってたら、どんどん本が増えちゃった。」

本棚に収まりきらない本が床に積み上げられていた、<ブックス ルネッサンス>特有の風景は、浅利さんのそのような人柄から出来上がったらしい。

浅利さんはもともと商社に勤めていた。どうしても本屋がやりたかったというわけではなく、辛かった会社を辞めて、何かしなければと思い始めたそうだ。
それでも21年間という歳月は並大抵ではない。
私自身、今年でちょうど21歳になる。これまで色々なものを見たり、感じたりしてきたが、それと同じ時間を<ブックス ルネッサンス>も持っていたのだ。

改めて<ブックス ルネッサンス>とはどんな場所だったのか、浅利さんに聞いてみた。

「私にとっては人生の全て…会社辞めてからのね。エグいこと言えばこれでご飯食べてるわけ。そういう意味では、ほとんどこれに費やしたんじゃない。それは別に苦じゃないし、ここへ来るのが嫌だと思ったことはない。どうって言われると難しいけど、生きることの根幹だよね」

そんな場所がなくなってしまうとは、一体どういうことなのだろうか。
この質問はとても重く感じられて、口にすることができなかった。


・さいごに

一つ後悔していることがある。
もし仮に、あと数ヶ月早く取材に行っていたらどうなっていただろう。
浅利さんが心を決める前…書架や本が処分される前に、<ブックス ルネッサンス>閉店の事実を知っていれば、イベント企画サークルに掛け合うなど、何かできることがあったかもしれない。
たとえそれが延命処置に過ぎないとしても、ありえた選択肢を考えると悔いが残る。

本屋に限らず、身の回りに大切な場所やもの、人があるとしたらなるべく早く会いに行きたい。
その現場に自分がいれば、何かできることがあるかもしれないから。

それに、もしかしたら、文化とはそうやって生まれるものかもしれない。
つまり、一人ひとりが自分の周りの場所やもの、人を気にかけ、立場や日々のルーティンを越えて会いに行こうとすること。その上で助け合えること。
そういう繋がりがあってはじめて、文化的に豊かな街だといえるのではないだろうか。

「早稲田は文化地区じゃない」という浅利さんの言葉は重く受け止めたい。

ネームバリューがあるとしても、それが個人の幸福に寄与しなければ意味がない。
500以上のサークルがあるとしても、それぞれが孤立していてはもったいない。

文化は名前ではなく、規模や数でもなく、歩くこと、話すこと、出会うことといった一人ひとりの小さな活動の中に宿るものだと思う。




【おまけ】

どうせ処分してしまうからということで、店に残っていた本を譲ってもらった。

「大むかしの人は、みんな、わかくして死んだのですか。」何だか味のある言葉だ。





取材を快く受けてくださった浅利さん、本当にありがとうございました。

(文/とり)


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