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【ホンネ】「器の大きい大人」と思われたいというのは男の性なのか?

商売や人間関係において、年上の年次の方と接する際、その方の振る舞いの裏にかくれた本音を洞察する、という話

最近、仕事やその他の活動において、自分よりだいぶ上の年齢の方と接する機会が多い。

あ、この後の考察はおそらく「男性限定」ということだけは先に断っておく。



接する際に感じるのは、その方々が振る舞う「良識ある大人像」は自身が作り上げたキャラ設定であり、本当の姿やホンネはまたべつの顔を持っているのではないか?というもの。

会話の中でその方々が発する発言であったりをそのまま額面通りに受け取るとその後話がまとまらないことも多い。話はすべて聞くが、それを一旦こちらで解釈し直す必要が多いことを実感する。



例えば、なにかしらの団体のトップの方から「わたしは全面的にみなさんにまかせるので相談は不要です」と高い位置から見守るような態度をとったしよう。そのあとに続く「でも何か問題があれば話は聞くからね」という言葉が持つ意味であるが、わたしなりの解釈ではこのようになる。

「でしゃばるのはカッコ悪いから黙ったポーズをとるけど、絶対に頼ってね!」である。



前者の「わたしは全面的に・・・」は建前であり、その人が持つ「良識ある大人像」である。後者の「でも何かあれば・・・」がそのポーズを崩さないようにしたホンネであり、本当に何の相談もせず話を進めようものなら必ずと言っていいほど「まった」がかかるのだ。



このやり取りを不毛と思う若い方はいらっしゃるかもしれないが、最近思うのはこれが悲しい男の性であり、大人になるということと、年齢は比例しないことを自分も含めて実感する。

30歳や40歳、おそらくこの先の50も60も同じ感覚だと思うが、それらの年齢の大台にのった際に毎度思うのが「○○歳ってもっと大人だと思ってた」である。



常に自分が考えている大人の正体は冒頭のような大人と呼ばれる年齢の方々の精一杯のポーズなのではないだろうか。その中身はもっと人間味があり、子供のような感覚を引きずる人も多いし、本当に達観している人は若くてもその域に達している。

であるからして、年次が上の人と接するときは、その表面上のキャラ設定に惑わされず、その奥にあるホンネを洞察するというひと手間が必要になる。



わたしだって、自分より若い方からどのような印象を持たれているかは知らないが、びっくりするほど幼稚な部分を年相応の皮をかぶせることで一応のキャラ設定を保っているのだ。

ホントはもっと幼稚でありたいと思いながら。

その人が持つ本音を引き出すための洞察がものごとを正しい方向に導く


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