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シャッターを切れなくて

僕のアイコンのカメラは OLYMPUS OM-2 という名前。1975年に発売されたらしい。今から44年前だ。

父親が若い頃に買ったもので、それを譲ってもらった。と言っても僕の記憶に父がこのカメラを構えていた姿は記憶にない。写ルンですを持っていたのは覚えているけど。

3年前に実家に帰った時流れで父のフィルムカメラを譲ってもらった。ずっと使ってなかったので当然修理に出すことに。

デジタルの一眼レフも買ったりして、OM-2はしばらく使ってなかったけど、またフィルムカメラ熱が出てきて最近また使っている。


フィルムを巻き上げる時のレバーの重み、音が気持ちいい。シャッタースピードや絞り、ピントを合わせる。あとはシャッターボタンを押すだけ。

いつもここで躊躇う。

フィルムカメラはやっぱりデジカメと比べるとコストもかかる。フィルムを買わないことには始まらないし、現像しないとちゃんと撮れてるのかすらわからない。

デジカメは充電されたバッテリーがあればいい。その場ですぐに確認できるし、修正してもっと自分の望む写真に近づいていける。

だからシャッターを切る重みが違うのかもしれない。
でも偶然撮れたものがいい写真だったりする。

どちらが良いとはなく、どちらもめいめい面白さがある。

フィルムカメラのシャッターを切る前にいつも自分が問いかけてくる。

「これ、本当に撮りたいの?」

撮らなきゃどうしようもないから撮りはする。けど。本当に撮りたいモノはなんなのか。

そもそも、「なぜ写真を撮るのか?」

スマホやコンデジなどが普及して、写真は撮ることはとても簡単になった。インスタなんかも写真、カメラありきのツールだ。

なぜ写真を撮るのだろう。そしてそれを人々に見せるのだろう。

承認欲求?
自己顕示欲?
誰かと繋がりたい?
誰かに評価されたい?
自分の存在をアピールしたい?
単に記録のため?
はたまた特に意味はない??

僕は何で写真を撮るのだろう。上に挙げたものも含まれてはいるだろう。

これからもシャッターを切る度に問われると思う。もしかしたら、僕にとってフィルムカメラは「自分の存在を確かめる」ためのものかもしれない。

そう問いかけ続けていると、いつか本当に撮りたいものが写るのかな。

もしかしたら、もう写っているのかもしれないね。気付いてないだけで。

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