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<2025.9.27へ>「必要な経験をください。もしまだあるとするのなら。それを私にください。」

 一つの組織にいるとどうしても視野が狭まっていくし、自分も独善的になっていることに良い意味で警鐘を鳴らしつつ、常に明日と明後日で価値観を変え続けられていることに感謝をする日々の記録を。

 そこには使命感を持ったプロのカウンセラー、圧倒的に信頼ができるコーチ、非常に優秀な社外のビジネスパートナーであり友人、大切なパートナー、尊敬できる誠実な同僚や友人、そういった人達の存在の誠実さと本当の意味での優しさに有難さと不思議な縁を改めて実感するこの頃です。

「俺に必要な経験をください。もしまだあるとするのなら。
それを俺にください」

SLAM DUNK_沢北栄治

 "梓龍"(趙雲子龍)のルーツを学ぶ為に小学生の頃に読んだ吉川英治の三国志で出てきた曹操の言葉と通ずるこの言葉。神に祈るような場面で改めて、順境であれば沢北栄治、逆境であれば曹操孟徳の言葉を思い出して生きています。

「天よ我に百難を与えよ。
奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる」

三国志_曹操孟徳

 振り返った時に不可欠だった経験には、常に逆境の苦しみや痛みが伴います。予期せぬ敗北に涙を流す沢北栄治と、瀕死の逆境から生き延びた曹操の存在を常に心の中で反芻させ、それは幼少期の苦境から染みついた自動思考を認知再構成する為の鍵になることもあり、自然と静寂な波のない精神状態を保つ術になっています。

 痛みや苦しみだけで終わってしまう経験は心身に危険を及ぼすことがありますが、苦しみを伴う経験から新しい意識が生まれることこそに本質的な価値があると感じています。それに気付けないリテラシーと真剣さで生きていると、その経験の重要性はとらえどころのないまま、永遠に経験できないものになってしまうかもしれません。

 ここ暫く「私に必要な経験を、逆境も全て含めて与え続けてください」と願い続けてきました。そしてそれ以上に、自分なりにたゆまぬ努力を続けてきました。

キャリア、役職、評価について考えることが私の頭の中を占めることはなくなり、凡庸で瑣末なことに囚われることから解放される迄に数年かかったことは無駄でもなかったと思いつつ。 私は「スティグマのない社会を築く」ことを実現するため、自分に課した限界を超え続けるしか道はありません。この追求は、他者の船に頼らずに、自分自身で責任を負い、独立して取り組むことの必要性を示唆してくれました。逆境に満ちた日々から生まれる成長や心の飛躍のみが、本当の意味で私を喜びで満たすもので、ニーチェの言う永劫回帰に打ち勝つ要素だと考えています。それは個人を超えて、社会の成長を流行りのパーパスみたいな抽象的なものではなく、泥臭く追い続ける理解され難い驚異的なモチベーションであり、自分自身で薪を焚べ続けることでもあり、灰になってどこに飛ばされようともブレない軸を持つことだと実感しています。

 この追求は、他人の努力の尾に乗るという軽率さを無視しています。それは人と協力することにもポジティブでありながら、本質的な責任は自分自身が負い、自律、独立してこれらの課題に取り組むという私の決意を新たにできる機会をくれた人々と経験へ感謝しています。本当の意味で誠実かつ謙虚な人たちと遠くを目指せるような未来を描いているのだと思います。

 自分がリスペクトできる、したいと思える人間は自分含め限られてきました。(本質的には実存している人間のことはみんな大好きですが) 順境から良い意味で脱する覚悟ができたと思うと、これからの百難を楽しみにしつつ、それも共に楽しんで乗り越えられる人たちとの出会いも、今関わっている人たちへの感謝を含め、とても楽しみにしています。

 抽象度の高い理想を追い続けることも大切ですが、一方で明確に人の課題を解決するテックや研究やアート、そうした手触りのあるものを作り続ける覚悟と学び続ける芯のある人達、ないしは無意識かつ無目的的に永続性のある生を全うしている人達にこそ、やはり敬意を抱きたい。

 2025年までにMBAで修論を書き上げそれを社会彫刻として実践し、写真とテックでアートを作り続け、仕事では障害の概念を拡張し、余白を楽しめるパートナーや友人と、豊かな後悔の多い人生をつくれるように。

 “多様性とか社会貢献とか言ってる後付けソーシャルアントレプレナーシップにこそ、反骨心とハンマーで殴られたような、恐らく想像もつかない貧困と虐待と学習の機会損失を幼少期に経験していただきたい。”
 ...と思っていた若かりし自分も、実存している人を誰でも愛せるくらい大人になりました。

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