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夜と霧

 これから生きている間に、戦争に巻き込まれる、関わるようなことってあるのだろうかと考える。
 戦時中に生まれたアートや文学に思いを馳せるのは好きだけれど、それは同じ過ちを二度としたくない気持ちと、日常ではありえない心理状態に興味を引かれるからと、凄く奥深そうで、凄く浅い人間というものが好きだからかもしれない。


 夜と霧の中で、ナチスのアウシュビッツ収容所をはじめ、ナチス下の収容所を生き延びた精神学者フランクルの言葉と思想が胸を打つ。
人体実験や殺人が当たり前の閉ざされた世界で、夕日に感動したり、希望を持つ事で生き永らえたり、自分よりも見知らぬ他者を尊重する精神性の尊さに思いを馳せつつ、記録が残らない時代の残虐さはもっと酷かったとしてもおかしくないなと考える。


 おおよそ、ホラー映画やサスペンス、エログロみたいな世界観の作品に出てくる程度の発想を、人類はどこかで実際にやってきているのだろうなと考えるに容易い中で、夕日を見て感動するような他者を意識しない安らぎや感動と、他者の命を自分以上に尊重できるやさしさに、人間の振れ幅の大きさを考えざるを得ない。
 これは教育の問題なのか、環境の問題なのか、きっとその両方と、生物学的知見と、偶然の重なりと、不確定要素は多いのだけれど。
 それでも夕日を見て感動できる人間が、罪を犯すこともあるのはきっとそうで、この辺は罪と罰を改めて読んだ方が良さそうだと思う。


 夜と霧を読んで、凄く気分が軽くなったのと、凄く深い人間性を垣間見れたのとで、珍しく読み物に対しての過渡期の思考を残したくなった。すべてのものに意味があるとは思えないけど、すべてのものに意味を持たせることのできる人間の活動というものは素晴らしいなと思う。


 夕日を見て感動できる程度に、夕日が沈む頃には帰路に着ける社会が良いなと思っている。


 

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