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「猫くらいで休むなよ」と言える安定した人間は、人の悲しさの天秤は常に同じ方に傾くと思っているのだろうか。

 7, 8年前に同僚から「飼っている猫が亡くなったので今日仕事休みたいです」という連絡があり、その時の上司が「猫くらいで休むなよ」と言ったシーンを鮮明に覚えている。(上司は凄く優しい人だった)

 その頃は今ほど多様性という言葉も無かったし、「風邪でも絶対休めないあなたへ」とかいうコロナ禍中には考えられないようなキャッチコピーのCMもあった。(風邪でも絶対休めない世界線はまた戻ったけど)

 世間の常識が少しずつ変わっているのかもしれないが、今も「猫くらいで休むなよ」という人の方が多いのだろうか?何故そこは常に相対的感覚になるのだろうか?両親の死と、猫の死と、それによる悲しみの天秤が何故常に同じ方向に傾くと思えるのだろうか?

 死と直面する時、いつも「飼っている猫が亡くなったので今日仕事休みます」と言った同僚のことと、「夏の雲は忘れない」で亡くなった弟をおんぶする戦時中の少年を思い出す。

 感情は相対的なものではなく、絶対的なものであると思う。自分の肉親の死よりも、飼っている猫の死の方が「感情として辛い」ならそれに応じた対応をしたいと、その時思った記憶が強くある。

 死というと大袈裟だけれど、「そんなことで休むなよ」というのはその人の中の感情の尺度、価値観でしかないが、かなり当たり前に存在している。人の感情は主観的には絶対的なものでしかなく、相対的に推し量ることのできないものだからこそ、そこに寄り添える人間でありたいと思う。

 伝わらない人には伝わらないし、法律や規定はそうなっていないし、寄り添いきれない時もある。唯、アイスクリームを落として泣く子供ほど、悲しみの錘が重たくなくなってきているからこそ、大切にしたい価値観なのかもしれない。

 実家のパグが亡くなる前の日、何か、悲しそうな空気を感じた。それは亡くなったからそう思ったのかもしれない。次の日の朝、硬く、硬くなっていた。正直、その頃はパグのお世話をちゃんとできていなかったし、散歩もしていなければ、可愛がることも減っていた。亡くなったことは錘のように心にのし掛かりつつも、「学校に行かなくては」と思っていた。そして、「あ、こんな時にも学校には行くのか」と思った記憶がある。学校では誰にも言わなかった。亡くなる前の日、少しだけ話をした。話をして良かったと思った。3月9日のことだった。

 祖母は聖母のような人であり、私の人生を常に陰で支え続けてくれている人だ。今もそうであるし、これからもそうである。それは変わりがないことだ。祖母と過ごせる時間は、対話できる時間は、あと何時間だろうか。あと何日だろうか。祖母と話した時間は、人生のうちに何時間分だったのだろうか。何故、人は、当たり前にいる人の時間を大切にできない?

 「これは、内緒だからね。」そう言って、いつもお菓子もおもちゃも買ってもらえなかった私に、祖母はたまにおもちゃを買ってくれた。お菓子を買ってくれた。私はそれで心から満たされていた。

 「人間は、誰しも嘘つきだからね。信じすぎては駄目よ」私が死にたくなるくらい辛かった高校生の時、祖母に言われた言葉だ。祖母は誰よりも、人を信じる人だ。見ず知らずの人間を全力で助ける人だ。相手が過去に酷いことをしていても、今のその人を信じられる人だ。今もホームで、同じホームの人から必要とされる、職員さんからも必要とされる、そんな人だ。

 「龍くんは凄いね」何度言われただろうか。祖母にだけは否定された記憶がない。祖父母とはそういうものなのか。いや、彼女だからこそ、今の私を形成させてくれる存在だったのだろう。私もあと30年、40年経ったらあの頃の祖母のようになりたい。

 私は、祖母に、家族に、何をできているのだろうか。まだ何もできていない。「障害という言葉のない社会」を目指して、何か失ってきているのではないか。道中、そんなことを考えていた。「家族」という形は色々ある、唯、大切な人を大切にしたい、その余白を持ち続けたい。30年くらいで、そのリミットが来るなら、生まれてすぐに教えてくれ。先生よ。

「天よ、我に百難を与えよ。さすれば奸雄足らずとも、必ず天下の一雄になってみせる。」

 曹操の言葉に共鳴した小4のあの頃から、私は百難は乗り切ってきたと思う。まだ来るか。まだまだ来るんだな。まだ来ても超えてみせる。次は千か。無限に来るものなのか。超えた分、私には余白が増えると思っている。死んでたまるかと思うし、死なせてたまるかと思う。クソが。本当にクソみたいな世の中だ。クソみたいな世の中を愛しているが、そんな世の中を愛せない人間とも一緒に闘いたい。共に愛せる場所を作りたい。私は。

 悲しさでも、辛さでも、なんでもなく、こうした感情の揺れ動きがある時、常に、こうして書き残しておきたい。データの海に溺れていく日記でしかないから、本当は石板にでも刻み込みたいけれど、きっとまたいつかの自分がこれを読んで、何か思うことがあるのだろう。行動することがあるのだろう。何かを残すだろう。少しだけ、未来の自分を信じている。

 大切にできる時に、大切にしよう。

 何故、こんな簡単な事が、私は、人間は、分からないのだろうか。家族がいない世界を想像した時、私はどう生きていけばいいのか分からなくなるのだろうか。「障害という言葉のない社会」を目指して生きてきて、これからも揺らぐことはない。その景色を、見せたい。まだだ、まだ。まだ。まだ、見せられていない。

 頼むから、もう少し時間をください。

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