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ランニングの出来ない人類はどこかを走るのだろうか

 文化や芸術を守るにはどうすればよいか一日中考えている。

因みにランニングという行為が禁止された時、人々はVRゴーグルを着けて、ランニングマシンの上を駆け、扇風機で風を切るのだろうか?それはそれで楽しそう。

 感染リスクの高い行動として、ランニングやスーパーへの買い物なども取りざたされる世界観に日本もなってきた。感染リスクの話に関してや、今後の展開に関しては、ポジショントークが溢れていてうんざりしているので、最新の論文と厚労省の情報を頼りに粛々と対策をしつつ生活している。

 それより気になるのは、一次情報を探らずに、メディアの手垢のついた二次三次情報を片手に攻撃してくるマス。サービス業に従事する相手に気遣う一声をかける事も憚れるし、落とし物をした人の物を素手で手渡しすることも憚れる。まあどちらもリスクはゼロではないから当然だ。

 お・も・て・な・し がオリンピック招致の場で有名になってから、早7年が経とうとしている。3密なサービスを得意としてきた日本人が、これから心からのお・も・て・な・しをするには(文面だとなんかやらしい笑)、ソーシャルディスタンスを保ちながら、心からの感謝や歓迎を伝えるにはどうしていけばいいのだろうか?
 在宅ワークで、画面越しでしか相手と触れ合わない中でも、メールの送り方一つ、言葉選び一つで、そんな気遣いがあるかないかの温度感は分かるようになってきた。個人的にビジネスを進めていく上では、新人研修で講師が話すようなビジネスマナーには滅びてほしいと思うのだけれど(スピードを邪魔するし、それは本質でないから)、オンラインでも伝えられる「心からの感謝」「心から相手を想っている」という行為は欲しいと思う。

 これに関しては、近いうちに「令和のおもてなし」「オンラインビジネス講座」みたいなものを作る人が出てきそうだが、そういう事ではなく...
本当に相手の事を考えている、という時にそれが相手に伝わらない、もしくは伝わっていても自己満足になっている、みたいな矛盾は本当に気持ち悪いので、オンラインでもそのスキルを身に着ける必要があるなと思う。

 改めて、〇〇が出来ない人類は〇〇にこだわるのだろうか、それとも忘れるのだろうか...という事に関心が高まってきた。経済や政治の事は議論されるけど、文化や芸術がそうして淘汰されてしまう未来は遣る瀬無い。
ご近所の騒音問題が起因で、夏に風鈴の音を聞くことがなくなってしまった...ような文化の喪失は見たくないと思う。

 粛々と自分に出来る事をやっている日々は変わらないが、こんな取り留めもないことを何となくランチや立ち話で話せるような機会がないことが寂しい。

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