東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場③人の営みが軽んじられた時代・都営三田線西台駅

建築において日々の人々の営み以上に敬われるべきことはないはずなのに、時代を経てそれがとても軽く扱われていたのだと感じられる構造物がある。
高度経済成長期における都内への人口流入に対し、国や都は住宅不足の解消に急いだものの、東京都は用地取得に窮した。そして考え出したのが都バス車庫の高度空間利用だった。
理屈として分からなくはないが、知事のサインが入る過程で誰も止めなかったのか。今のような低公害型ではないバスが昼夜出入りする環境の上に住宅を作るという発想には、手段が目的化し、人間の暮らしに対する尊重が著しく欠けていた。
また、問題なのはそれが都営住宅であり、バブルの頃に建てられたわけのわからない市井の建築が使い勝手の悪さから耐用年数を迎える前にお払い箱になるようなことはなく、常に鼻先に人参をぶら下げておけば、背に腹は代えられない人でそれなりの利用はあるし、何より血税を注いだ建物の早期建て替えが許容されることはないだろうから、いつまでも異体を晒し続ける。
先日、40年振りくらいに高島平を訪ねた。高島平団地は都営三田線の4つの最寄り駅にまたがる、まさに高度成長期に造成された巨大団地群だ。その東端、西台駅の隣は志村車両検修場という都営三田線の車両基地となっている。10数本の留置線の上に人工地盤を作りその上に建てられていたのは何と公営住宅で、普段電車関連にはまるで興味を示さない妻も、その非現実的な景観には興奮していた。
行き詰まりの現代となって、高度経済成長やバブルの時代にどれだけ憧憬を持とうが、やはり人の暮らしが軽んじられる時代に生きたいとは思えない。

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