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【読書レビュー】砂の器/松本清張

私はテレビを持たない生活をするようになってもう2年。
持っていた時もほとんど見ていなかったけど、
実家で母と暮らしていた時はよく観ていました。

母も私もサスペンスやミステリーが大好きで、
その中でも松本清張が原作のものは
必ずといっていいほど観ていました。

母は原作も読んでいたようですが、
私はこれまで読む機会がなく
いつか読みたいなとずっと思っていました。
特にこの「砂の器」は一度は読んでみたい作品でした。
ドラマや映画と原作ではかなり違うと聞いていたからです。

実際読んでみると、
原作のある部分はかなり端折られていますが
原作にはない表現が映像作品にはあって
こうして両方味わってみるのも楽しいものです。

そして、長年くり返し映像化されるにあたり
殺人の動機が、原作や加藤剛さんの映画と
近年の作品では変えられています。

原作では、ハンセン氏病という
当時は戸籍から抹消され
村から追われるほど忌み嫌われていた
病を持った父親の息子であることを隠すために
その秘密を知る昔の恩人を殺すという設定でした。

近年の映像化では、
父親がハンセン氏病から殺人犯、
もしくは殺人犯という濡れ衣を着せられて
村を追われるという設定になっています。
ハンセン氏病が容易に感染する病ではなく、
治療法もできたことから
別の、私たちが今生きる社会の中にある差別に
替えられたわけです。

いずれにしろ、
彼自身が感染症を持っていたり
殺人を犯していたわけでも
冤罪で捕まったことがあるわけではなく
そういう親を持っているということが
世間に知られたらこれまでと同じようには暮らせない
自分の未来はない
という思いから犯行に及んでいます。

連続幼児殺害事件の犯人の
宮崎勉の家族のことが思い浮かびます。
事件後住みなれた土地を離れ、彼の父親は自殺、
他の家族も婚約破棄や離婚、辞職と
世間の厳しい目に晒され窮地に追い込まれました。

これは何なのでしょうか?
連帯責任?

もし私の隣りに未知の感染症にかかった人の家族が住んでいたら?
もし同じ職場に殺人犯の家族がいたら?
私はどう反応するだろう?
この人も感染しているのではないか、
この人も同じような性質を持った人なのではないか、
そんなふうに怯えるのだろうか?

「自分の家の隣りにLGBTQの人が住んでたら嫌だ」と
発言するような政治家がいるようなこの国ですが、
人としてこの国に生まれた以上
誰もが幸せに生きる権利があります。
それが人権というものです。

『砂の器」に描かれたこの難題への答えを
私たちの社会はいまだに
みつけられないでいるのではないでしょうか。


私はみつけたい。
この難題の解決策を探したい。
だから、今日も私は本を読む。

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