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イカゲームは誰を告発するか~戦争を映す鏡としての『イカゲーム』~

世界中、そして、日本でも話題となったNetflixドラマ『イカゲーム』。しかし、その作品を生み出した監督の名前を覚えている人はどれだけいるだろうか。同じ時期に話題となったNetflixドラマ『地獄が呼んでいる』のヨン・サンホ監督の名は、日本でもヒットし、話題となった映画『新感染』の影響もあり、知っている人も多いかもしれない。

日本では、詳しい韓国映画ファンしか、その名を知らないであろう彼の名前を覚えてもらうだけでも、この記事を書く意味はある。恐らく、今回の『イカゲーム』の世界的ヒットにより、今後、世界的に活躍の場を広げる監督になっていくだろうから。

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彼の名は「ファン・ドンヒョク(황동혁)」。1971年ソウル出身。ソウル大学校新聞学科(現言論情報学科)卒業後、アメリカに留学し、ジョージ・ルーカス、ロバート・ゼメキス、ロン・ハワードなど名だたる名監督を輩出した南カリフォルニア大学で映画製作を学んだ彼のフィルモグラフィは、とても興味深い。決して、多作とは言えないながら、一作ごとに大きくジャンルが変わる。しかし、どの作品にも、その根底には、常に韓国社会を告発せんとする強い眼差しがある。

商業デビュー作となった『マイファーザー』(原題:『마이 파더(意味:私の父)』『My Father』/2007)は、幼い頃にアメリカで養子に出された韓国系アメリカ人男性ジェイムズ・パーカーが成長し、肉親を探すためにアメリカ軍への入隊を経て韓国駐留軍に所属。その後、韓国でのテレビ番組の出演を機に、父親を名乗り出た男ファン・ナムチョルが殺人を犯した死刑囚だったというアーロン・ベイツさんの実話を元にしたストーリー。この実話を扱ったドキュメンタリー番組は、韓国のテレビ番組で放送され、話題となった。作中では、ジェームズとナムチョルが対話を通じて相互に理解し合っていき、殺人に至るまでに何があったのかが描かれる。本作は実話を元にしているからこそ、描かれる問題は複雑で、アメリカ軍の中でのアジア人差別や、死刑囚となるに至る韓国の法制度の問題、そして、刑務所内でのいじめなど、残酷な現実が描かれる。本作は、公開時に、現実におきた殺人事件の犠牲者遺族がこの映画の制作を支持しなかったことから、論争を引き起こしたそうだ。結果として、公開初週には韓国の興行収入チャートで首位に立つヒット。ジェイムズを演じたダニエル・ヘニー(彼自身の母親が幼い頃にアメリカに養子に出された韓国人でもある)の2005年のドラマ『私の名前はキム・サムスン』以降の人気もあってのことだが、これだけ社会的な映画が興行収入チャートの1位になるというのも驚きだ。

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そして、2作目となった『トガニ 幼き瞳の告発』(原題:『도가니(意味:坩堝)』『Silenced』/2011)は現実世界すらも変えてしまった。原作は、韓国の作家孔枝泳の小説。ちなみに「トガニ」とは本作の舞台となる地名だが、実在はせず、韓国語で坩堝(るつぼ)を意味する。2009年に発売された小説は、光州のろう者福祉施設・光州インファ学校で2000〜2005年にかけて行われた校長や教職員による入所児童に対する性的虐待や暴行と、それを施設や地域ぐるみで隠蔽していたことを題材にした。これを2011年にコン・ユ主演で映画化。新任の教師の視点から、学校で行われていたことの異常性と、地元警察との癒着や、韓国の司法制度の問題などが描かれる。この映画では、暴行を行った教員らに対する判決があまりにも軽かったことや社会の関心の低さ、実刑を逃れた関係者がそのまま学校に復帰したことを描かれたが、公開後は韓国国内で観客動員数が466万人を超えるヒットとなったこともあり、関係者に対する非難の声や再捜査を求める声、同様の事件に対する厳罰を求める声が上がった。問題が明るみになった後にも、光州インファ学校は生徒を受け入れていたが、問題を大きく見た光州広域市教育庁は廃校を決定。その後、韓国政府は障碍者の女性への虐待に対する罰則の厳罰化や、障碍者や13歳未満への虐待に対する公訴時効の撤廃を定めた「13歳未満の児童への性暴力犯罪の処罰に関する改正案」、いわゆる「トガニ法」を制定するに至った。そして、加害者に対する再捜査が行われた結果、当初不起訴とされた加害者らは逮捕・起訴された。

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3作目『怪しい彼女』(原題:『수상한 그녀(意味:彼女は疑わしい)』『Miss Granny(意味:未婚のばあさん)』/2014)はファン監督にとっての異色のラブコメディ。だが、本作があったからこそ、Netflixはコメディ要素やポップな色合いを全編に眩した『イカゲーム』をファン監督の手腕に託したのかもしれない。本作は、頑固で世話焼きなおばあさんが、とあるきっかけで20代の姿に戻り、更に、ひょんなきっかけで歌手としてデビュー、プロデューサーと恋に落ちるが、一緒に音楽バンドを組んでいた孫の交通事故による大怪我によって輸血が必要となり、血液型の条件が合う自分が献血することで、元の姿に戻るというストーリー。コメディ要素が強いが、オープニングでは、年代によって扱いを差別される女性の息苦しさを描き、後半は、整形が一般化した韓国における美への執着の問題を、引いた目線から描いているようにも見えた。ラストシーン、元の姿に戻った彼女とめが合わないプロデューサーの視線が印象的だ。ちなみに、本作は、中国、ベトナム、そして、日本でリメイク版が製作された。

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4作目『天命の城』(原題:『남한산성(意味:南漢山城)』『The Fortress(意味:要塞)』/2017)はイ・ビョンホン、キム・ユンソク主演の歴史映画。原作はキム・フンの同名小説『남한산성(意味:南漢山城)』。1636年の丙子の乱(1636年から1637年にかけて、清が李氏朝鮮に侵略して、制圧して服属させた戦い)で、仁祖(李氏朝鮮時代の第16代国王)と家臣たちが避難した南漢山城にある城が舞台。清の攻撃を避け、南漢山城へと逃げ込んだ仁祖たちに、冬の厳しい寒さと飢えが押し寄せ、外へ出ることも攻撃することもできない絶体絶命の状況下で繰り広げられた47日間が描かれる。本作においては、近隣諸国の都合(清と明の勢力争い)により否でも応でも戦争に巻き込まれていく李氏朝鮮と、清と戦い大義を守るべきと主張する礼曹大臣に対して清に和睦交渉し百姓の命を守るべきと戦う吏曹大臣の姿に現代的なテーマを見ることができる。ちなみに、公開初週の韓国における興行成績は444,527人で首位。最終的な興行成績は380万人となり、アメリカ、日本など世界28カ国でも公開された。

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こうした作品たちを経て、『天命の城』以来4年ぶり、構想8年で公開されたのが『イカゲーム』である。

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『イカゲーム』(原題:『오징어 게임(意味:イカゲーム)』『Squid Game(意味:イカゲーム)』/2021)は、生活に困窮した人々が、多額の賞金を手にするために、昔ながらの遊びを取り入れたゲームに命がけで挑む姿を描いたサバイバルドラマ。その物語は、妻子と別れ、露天商を営む高齢の母親とふたりで暮らすギャンブル依存症のソン・ギフンが、競馬で得た大金をスリに盗まれ、追ってきた借金取りには臓器売買契約書にサインさせられた後、謎の男から賞金が出るメンコ勝負を持ちかけられることから始まる。メンコに負けたギフンに、男から電話番号が書かれたカードが渡され、そこに電話したことで、人里離れたとある場所にギフンたち456人のゲーム参加者が連れて行かれる。

表面的にはデスゲームということで、日本映画としては、『バトル・ロワイアル』シリーズ(1997~)や『GANTZ』シリーズ(2011~)、最近では『神さまの言うとおり』(2014)、『今際の国のアリス』(2020)を想起する人も多いだろう。また、海外では『ハンガー・ゲーム』シリーズ(2012~)などの例もある。ただ、多大な借金を抱えた人間が生きるか死ぬかのバトルを繰り広げるという点で、最も近いのは『カイジ』シリーズ(2009~)だろうか。ただ、いずれのデスゲームを描いた作品と『イカゲーム』との大きな違いは、本作には原作がなく、ファン・ドンヒョク監督による完全オリジナル作品であることだ。

ファン・ドンヒョク監督は、本作を作ったきっかけについて、以下のようにインタビューで答えている。

「2009年に韓国を襲った世界的な金融危機の後、母が勤めていた会社を退職したため、経済的にとても困窮していました。母、私、祖母の3人でローンを組まなければなりませんでした。そうした時、私はソウルの漫画喫茶に救いを求めました。その時に「バトルロワイヤル」や「ライアーゲーム」など、サバイバルゲームのマンガを読み、お金や成功のために必死になっている人たちに共感したんです。もし、現実にこのようなサバイバルゲームがあったら、自分は家族のためにお金を稼ぐために参加するだろうか?映画人である私なら、このような物語に自分なりのタッチを加えられると思い、脚本に取りかかりました。」
「『イカゲーム』は、「私たちは非常に不平等な状況で命をかけて戦っている」という単純な考えに基づいています。私は、世界の経済秩序は全体として不平等であり、約90%の人々が不平等だと考えていると信じています。パンデミックのとき、貧しい国々は国民に予防接種を受けさせることができない。彼らは街中でウイルスに感染し、死んでしまうことさえあるのです。だから、私は現代の資本主義に対するメッセージを伝えようとしたのです。でも、深い意味はないんです。」
参照:Squid Game’s creator: ‘I’m not that rich. It’s not like Netflix paid me a bonus’ | Squid Game | The Guardian https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2021/oct/26/squid-games-creator-rich-netflix-bonus-hwang-dong-hyuk

これまで紹介してきた過去作の流れからも、そして、このインタビューからも、ファン・ドンヒョク監督による完全オリジナル作品が、単なるデスゲームを描こうとした映画でないことは明らかだろう。そして、監督自身が言及している記事を見つけることは出来なかったが、私は本作が朝鮮戦争のメタファーであったのではないかと考えている。

説明するまでも無く、朝鮮戦争は、1948年に成立したばかりの、朝鮮民族の分断国家である大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の間で生じた、朝鮮半島の主権を巡る国際紛争である。その特徴は、単に2国間だけでなく、東西冷戦の流れから、西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と東側社会主義陣営諸国の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦したこと。その後、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至っているものの、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は2つに分断された。ちなみに、終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は2022年現在も戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されていない。2018年4月27日には、板門店で第3回南北首脳会談が開かれ、2018年中の終戦を目指す板門店宣言が発表されたが、実現には至らなかった。

戦争を想起させるモチーフは、『イカゲーム』でも数多く描かれる。経済的に困窮して止むに止まれず参戦せざるを得ない状況からしてそうだが、参加者が寝泊まりする一つの部屋に積み重ねられた何段もあるベッドや、存在が見えないゲーム会場の運営者たち(戦争をはじめた存在)、食事の配給方法、そして、戦いが進むに連れて減っていく食料など。ゲームにおけるルールの3つ目である、参加者の半数がゲームに反対した場合、ゲームは中止でき、賞金は全てゲームに負けた人(死者)の遺族に分配されるのもそう。最初のゲームである「だるまさんがころんだ」において、止まらずに動くと銃殺されることは、朝鮮戦争以降の北緯38度線を隔てた韓国と北朝鮮の関係性を想起させる。(ちなみに、第1話のタイトルにもなっているこのゲームの韓国語は「무궁화 꽃이 피던 날」。意味は「ムグンファの花が咲いた日」。ムグンファはムクゲのことで韓国の国花でもある)更に、イカゲームというゲームで発される「暗行御史」という言葉は、李氏朝鮮において、地方官の監察を秘密裏に行った国王直属の官吏のことを意味する(『天命の城』とも共通する)。ちなみに、韓国では2020年に、『暗行御史<アメンオサ>~朝鮮秘密捜査団~』(原題:『암행어사: 조선비밀수사단(意味:暗行御史:朝鮮秘密捜査団)』)というドラマも放送されている。本作における引用は、このドラマからかもしれない。(元々あったイカゲームという遊びで実際に暗行御史という言葉が使われていたようだが、敢えて、このドラマのタイトルに採用したのは、単にカーストや年功序列をイメージを想起させる造形というだけでなく、こうした意味も踏まえてだろう。)

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更に朝鮮戦争と照らし合わせて考えると、作中の後半に出てくる懐かしいゲームを実際にしていた年代はいつ頃だと考えられるか。最終回、黒幕であった1番の老人イルナム(演じるオ・ヨンスは77歳)が語るには、彼自身の幼少期に遊んだものばかりだったということで、恐らく70年ほど前だろうか。描かれる技術や一般的な普及具合を考慮して、本作が描かれた時期が公開時と同じ2021年ごろと仮定すると、70年前は1951年頃。つまりは、朝鮮戦争が行われた1948〜51年と、そうは変わらない。ちなみに、あの老人は恐らく、出兵しない年齢であったのではないかとも考えられる。その時に出兵できなかったことが、デスゲームに自ら参加したことにもつながっていると読み取ることもできるかもしれない。

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そして、先に書いた通り、朝鮮戦争においては、東西冷戦の流れから、西側自由主義陣営諸国と東側社会主義陣営諸国が参戦した。参戦した国を羅列してみよう。

西側自由主義陣営諸国:アメリカ/イギリス/コロンビア/フランス/カナダ/オランダ/ベルギー/トルコ/タイ/フィリピン/ルクセンブルク/ギリシャ/オーストラリア/ニュージーランド/エチオピア/南アフリカ

東側社会主義陣営諸国:中華人民共和国/ソビエト連邦

本作の第7話「VIPたち」では、一連のデスゲームを賭け事(金儲け)の道具として扱うVIPの存在が明らかとなった。彼らの素性は最後まで明らかとなっていないが、話される言葉から、どこら辺の国の出身者かは推測できるだろう。そして、彼ら5人が付けていたマスクが表す動物は恐らく、バイソン、鹿、ライオン、鶴、熊。世界各国には、国獣という国を代表・象徴する動物(各国、複数存在する)が定められているが、各国の例を挙げるとイギリスがライオンで、アメリカがバイソン、ロシアが熊である。そして、中国の国鳥は鶴。(ちなみに、黒幕であった老人が付けていたマスクは恐らくフクロウを表していた)朝鮮戦争において、韓国も北朝鮮も多大な犠牲を払ったが、戦争のきっかけとなった東西冷戦を起こした国々の犠牲はどれほどだったろうか。特に、決定権を持っていたであろう各国の指導者たちには、どれほどの犠牲が。シーズン1の最後を迎えてもなお、VIPたちは決して死ぬことも逮捕されることも無いどころか、怪我一つしていない。

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そして、黒幕の老人イルナムも、誰からも殺されることなく持病で死を迎えた。ゲームに参加しながらも彼自身が攻撃され、傷つけられたことは一度もない。デスゲームによって老(と言っても50代以下だろう)若男女、様々な人物が傷つき、殺された一方で、安全圏から、ただスリルを味わい尽くして生涯を終えた。

まさしく「老人が始めた戦争で死ぬのは若者」である。
https://rockinon.com/blog/shibuya/141280

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さて、社会派監督でもあるファン・ドンヒョクが、8年の歳月をかけて自らオリジナル脚本を書き上げて監督も務めた『イカゲーム』は、誰を告発しているのだろうか。

その刃は、『イカゲーム』を単なるエンターテインメントとして消費しようとする私たちにも向いているのではないだろうか。

大ヒットを受けて作られるシーズン2において、VIPたちの顛末はどう描かれるのだろうか。