「手紙屋」を読んで③[2020/8/4]
手紙屋を読んでの続きを書いていく。前回は手紙屋が諒太くん宛に送った手紙のうち、6通目以降で考えたことを3つ挙げた。
①会社や職業を自分に向いているかで考えていた
②働くとは、多くの人を幸せにすること
③夢を叶えた人はやりたいことに情熱を持って続けてきた人
そのうち、①について、前回深掘っていった。今日は②、③について考えていく。
②働くとは、多くの人を幸せにすること
働く=辛い?
正直、働くことに対して、僕はどこか辛いものと感じていたところがあったと思う。そして、辛いこと、辛い時間を耐えた対価がお金のように捉えていた。
言葉として、「働くことは他者に価値を与えること」ということはよく聞くが、中々腑に落ちない。それはきっと、働いている人たちを見ていると、仕事は大変というイメージになってしまうからだ。働く中で嬉しかったこと、楽しかったことについて、あまり聞かない。僕自身が出会った社会人のサンプル数が少ないからかもしれないが、現にそういうイメージを持っている。
残業がどうだとか、ワークライフバランスがどうとかっていうニュースもよく見かける。けど、それって、仕事を辛いと思っている人たちに対しての制度であって、辛いと思っている人たちが社会のほとんどであることの証明であるような気もしてしまう。
そんな辛いと思っている人たちがちゃんと多くの人たちに幸せを与えられているかというところに疑問がある。
どうせなら楽しい方がいい
就職したら、仕事を生活のほとんどを捧げるわけだから、もちろん楽しくて、充実感のあるものにした方がいいに決まってる。そのためには価値を与える対象というのを明確にしておいた方がいいのだろう。
手紙屋の手紙の中にもあったが、多くの人を幸せにしたいといっても、具体的にどんな人?、どれくらいの人数?というところがすごく曖昧。
僕自身が考えるに、会ったこともない人全員に幸せになってもらおうとは思わない。自分に興味を持ってくれる人が幸せになってくれればいいと思う。もちろん多いに越したことはないと思うが、少なくても幸せになってくれる人がいればいい。
今取り組んでいるnoteの発信でもそうだが、始めたばかりだから、投稿に対して反応してくれる人なんて、ほんの少し。けど、少しでも反応してくれる人がいるだけで、嬉しいと思うし、もっと頑張ろうという活力になる。noteで発信していることはただただ自分が感じたことを書いているだけだから、反応してくれた人全てに価値を与えられているわけではないと思う。けど、多少なりとも、共感やこういう考えもあるんだと思ってもらうことも、価値を与えるということと捉えてもいいんじゃないかと、後付けではあるがそう思った。
だから、まずは今の生活の中で感じた幸せに気づくところから始めていこうと思う。
③夢を叶えた人はやりたいことに情熱を持って続けてきた人
まずは行動
「夢を叶えた人はやりたいことに情熱を持って続けてきた人であって、どうしてもやりたいことは何か」を考えるようだ。この本の中にはその対称として、夢を叶えられなかった人も挙げている。「夢を叶えられなかった人は才能がなかったと言い、自分が成功できることは何かと考える」と言っている。
やりたいことって、簡単に見つかることではないと思う。というか、やりたいことって、見つけるというよりも、興味を持ったことをとりあえずやってみる。やってみたことが長く続いたことが、後から振り返った時やりたいことになっているのではないかなーと思った。ボトムアップ的な考え方というのだろうか。
一つの目標や夢を決めて、それに向かって注力し、成し遂げるトップダウン的な考え方の人もいる。もちろんそれでモチベーションを維持することができて、目標が達成できればそれに越したことはない。
しかし僕にとっては自然と湧いてきた考え方はボトムアップの方だ。他の場面でも同じようにボトムアップ的な考え方で生活しているかと考えたが、すぐには浮かばなかった。それに関しては反省して、以前の自分との変化、他者との違いなどに気づけていけたらと思う。
だから、②の最後にも述べたが、結局のところ気づきが大切。生活の中での気づきの回数を増やしていきたいと思う。
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