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013今思う1000本ノック

1000本ノック。もう死語かな?

ぼくは野球が好きで、よく観たり応援したりしてる。小学校から中学までは野球をやっていたけど、今は観るの専門。プレイしていたその当時1000本ノック自体は受けたことないけど、似たようなものはあった。先輩後輩の関係とかも最悪だしイヤになって高校で別のスポーツ、陸上競技を始めた。合理的な競技だし、もちろん練習だってそうだった。なので今はプレイ(ラン)するのは今はこっち。

今思えば当時の野球部なんて不合理な練習の連続だったな。
んで1000本ノック。すごい無駄な練習だよなと思うけど、実はちょっと見直してる。

とあるデザインコンペに出品して落選、発表された結果を見た。結果についての良し悪しは、まぁ人それぞれ「いい」と思う人もある一方「これ!?」って文句を吐く奴もいる。その時の結果にはあまりピンとこなかったんだよね。ただし、これらの人はどうやってここ(受賞)まで来たんだろう?って興味の方が強かった。マイナーなコンペだったしそれほど派手に名前が出るようなジャンルでもないので、できるだけその人たちを調べてみた。「ほほう、こういう人たちなのか」と思った瞬間、自分で「1000本ノック受けなきゃ!」と感じてしまったんだ、なぜだかわからないけど。

要するに受賞者たちは日常的にその、あるデザインジャンルを黙々とこなしている姿が浮かんだからだと思う。そういう意味でも敗北を認めた瞬間でもあったのかな。
それから(正確には違うけど)デザインの1000本ノック的なものを自分で課して続けることにした。そしたら何か自分でも手応えみたいなものを感じて来たんだよね。

たぶん何にでもそうだろうが、いつまでもビギナーズラックは続かず壁にぶち当たると思う。きっとそこを抜けた人たちが「プロ」としてやっていけるもんのような気がする。ただ、ちょっとしたアドリブや細かな技など、パッと出でできるかといえばなかなかできなくて、やっぱ練習にはかなわないように、デザイン上でも急にこれ!ってすぐできるわけもなく、経験やその結果の検証などの繰り返しでスキルって積み上がっていくものなんんだと思うんだよね。

今やある程度シミュレーションはコンピュータでできる。できる分だけそれで満足しちゃうシーンは、こりゃ否定できない。なのでここには手が届かない!ってとこを攻め続けないと上向いて行かないもんなんだよね。そしてそんな風に続けていくうちに無意識で手が動いちゃう。手(や目)が自動化してくるのかな?

野球解説の落合さんが失敗したあるトリックプレーを解説してて「これ練習したの?してないでしょ?練習しなきゃできるわけないじゃん」と仰ってました。そうだよな、と今さらその言葉に納得した。しっかし、この歳でやっとそんなことに気づく自分の鈍さにはちょっと困ったもんだなと思う。

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