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20220410

朝起きたらもうすっかり10時を回っており、今日は下北沢BONUS TRACKで日記祭というイベントに行こうとしていたし、11時からのトークショーが見たかったんだけどうちから下北沢までは1時間かかるし早々に諦めた。

それでも、12:30からのfuzkueの阿久津さんと「プルーストを読む生活」の柿内さんのトークをとても楽しみにしていたので、それには行きたいなーと思っていた。朝からカレーを作るまりなに「いけるー?」と聞くとと、振り向いた顔は化粧済みで、もう準備はできてる!、ということでとても楽しみにしていたようで嬉しくなる。

向かいがてら電車ではうとうとしながら11時からのトークのインスタライブを聞き、下北! まりなはしばらくぶりの下北で、犬を散歩するお金持ってそうな夫婦を眺めながら、すっかり代官山のようだねえという。そういえば代官山の元気な話を最近聞かないが、僕の生活圏から離れてしまったからだけなのだろうか。元気でやっているといいな。

BONUS TRACKにつくと12時半ぎりぎりで、阿久津さんや遊ちゃんとセイハローして、早速「他者に日記を公開することについて」。

「日記は今日のスケールでしか物事を捉えられない」「文学の実学への軽視/実学だって遊びだぞ」「タイトルつけるのが一番恥ずかしい」などいくつものパンチラインが出てきて、メモしながら、日記を書きたいなあと思う。余計なことばかり言ってしまう自分が嫌にもなる。

発酵ソフトを食べてこれはリピだね〜となって、日記のブースを回っていたのだけど、どうしてもこういう場でブースの知らない人と何を会話していいかわからない。

昨日「プルーストを読む生活」を読んで線を引いた、ルールのことを柿内さんとお話しをする。柿内さんとは、もっと対話を深いところまでディープダイブできそうなしつつ、まだそこまではたどり着けなかった感覚、まあこういう場だししょうがないのか。「町でいちばんの素人」を購入。

僕にとってルールとは声の大きな人に好き勝手させないためのものなのだけど、もしかして多くの人にとってルールは大きな声そのものなのではないか。声の大きな人の独善的な声のようなものだと考えられているのではないか。             
                                  ー柿内正午「プルーストを読む生活」(H.A.B) p.481

ルールというものが為政者を含めたすべての民たちのプレイを規定するものとしてあると考えられずに、為政者によって与えられる規則としてルールがあると信じられてしまったら、あっという間に自分のこ「他人に決めてもらう」ようになる。しかも「基本的に人は他人に決めてもらいたい」というズボラさがある。僕だってなんでもかんでもは自分で考えたくない、どうでもいい考え事は外注したい。しかし僕は、自分がどのように生きていくかは、何に寄与して何に与しないかということは、いつだって自分で決めたいのだ。
                  ー柿内正午「プルーストを読む生活」(H.A.B) p.482

珉亭。まりなが楽しそうでよかった。

下北沢はすっかり変わって代官山みたいだねえと喜んでいたのも束の間、シモキタエを通って、新しくできたミカンのつくられたアジア感に辟易とし、逆側の出口に出ると、すっかり昔の下北沢だった。街の匂いがだいぶ苦手で、それはお香だとか古着だとかそういうのではなく、自意識の高さが染み付いた匂いだ。少し気持ち悪くなり、スタバでリフレッシュする。僕にとってのスタバはもはや約束された安心に近い。

K2で「この日々が凪いだら」という映画がやっていることを知る。K2をやっている人たちは多少なりとも知る顔もいるし、彼らの映画の選球眼は信頼に足るものなので観にいく?とまりなを誘うと、「私は絶対好きじゃないから」とひとりで帰っていった。このくらいの心地よさがいい。

映画は冒頭から危うさが漂う。アネットの例を挙げずとも良い映画は冒頭からとんでもなく良いのだが逆もまた然りで、登場人物たちの世界を冷笑的に観る視線と俺だけは違う自意識がとにかくしんどく、スクリーン観るのも耐えられないみたいな瞬間がいくつもある。私の精神力は主人公と幼馴染が自転車でニケツするシーンで崩落した。

ちょっと話そうよ、という幼馴染が唐突に自転車の後ろに主人公を乗せる。その彼女は「ビール持っておくよ」となぜか二人乗りを推奨する。明らかに二人乗りのシーンを撮りたかっただけ、という監督のむちゃくちゃな設定だが、画が全く美しくない。この若い監督は、侯孝賢の「百年恋歌」を、岨手由貴子の「あのこは貴族」の美しい二人乗りを観たのだろうか。

冒頭に負けず劣らずの直視できないラストシーンを迎える頃には、上映後常間地裕監督や主演のトークショーがあることを思い出し、いかに席を立つかばかり考えてしまっていた。エンドロールは当然に、「常間地裕」の名前が何度も登場する。監督/脚本/編集・・・って一回で書けよ。エンドロール終わった瞬間に、劇場を出ると、出口でトークショー待ちの監督たちと出くわしてしまう。ちょっと顔をあげることはできず、そそくさと退散。

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