20220414

このままじゃいけないと思っているときに、上の立場に対して違うと言うことは誰だって怖い。それでも違うと言うことをラストマンシップというらしい。
職場にひとり、経営者に対してもちゃんと違うとを言える人がいて、その人は戦略コンサル出身なんだけど、まだ20代でそれができてすごいと思う。

戦略コンサルにいるとこのラストマンシップが身につくとどこぞやのTwitterで見たので、てっきり自然にできるものだと思っていたが、別の先輩は誰だった逆らうことは怖いし、あの子はこのままじゃつぶれるで、ちゃんと味方しいやと言っていた。

だから自分が今日守りたいと思ったし、ラストマンシップの話を口にして見せたのは変わりゆく組織への必死な抵抗だった。


夜はここしばらくの楽しみだったられーやと会う。
僕はれーやのことが10年前のあるときからずっと好きだ。当時映画会社はいま以上に終わっていて、暴君の社長は突如未払いを宣告した。そのとき、おかしいやろ、と立ち向かっていたのがれーやだった。そんで中階段の喫煙所に行って、タバコを吸いながらほんまあの社長ムカつくな、と話していた記憶がいまも鮮明に蘇る。社会人経験の長さだろうか、れーやは年下だけどお兄ちゃんのようだった。

北千住駅に少し早く着いたので、いつものようにびあマに行って、少し強めのIPAを飲みながら、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を読む。お酒よりも、れーやと久々に会う緊張で、文章がすっかり頭に入ってこない。

れーやに会うのは3年ぶりくらいだ。3年前は、自分もノッているときで、多分いい話をしたんだと思う。れーやはたいそう感銘を受けた表情をしていることを覚えている。

今日あって、ひげを生やしてすっかり男前になっていたれーやは、UKのMBAに行っていたなんて話をして、毎日仕事終わって、3時から4時くらいまで勉強して、という話をしていた。最初、まだ緊張もある中で、あまりに変貌していたれーやの言っていることがうまく聞き取れないくらいだった。ほんの断片的な部分だけなのだろうが、その変化の幅の大きさが自分の許容できるキャパシティを超えてしまったという感覚。

それでも、時間が立てば徐々に何かを取り戻していくようで、「今日れーやと会うからタバコ買ってきた」「そやな、俺もや」となって、それは3年前のあの夜のやり取りのママでとても楽しくなる。Doをしていることは簡単に充足感を得られてしまうし、それによって現在の自己を肯定しやすいが、Well-Beingとは程遠い状態だよね、なんてことを話す。僕はWell-Beingの状態をもう少し追求しなければならない。

そのとき、映画の道にまた戻るとしたられーやとやりたいなと思っていたし、なんなら来る前は今日誘おうかなと思っていたくらいだったが、れーやはすっかり遠いところに行ってしまった感覚は寂しいものではあって、身近な人は身近にいてくれるという自分勝手さがほとほと嫌になる。それでも、二軒目のスペインバルで「一緒にやろーよ」と冗談ぽく言って自分の気持ちを成仏させた。今度はマリアと3人で会いたいな。

れーやは終電なくしてて、時計見ずにあら終電もーないわ、もう一本吸って帰る。久々に会った興奮で、全然眠りにつけない。



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