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命のビザ

月日の経つのは早いもので、あと半月で1年の半分が終わります。7月になると思い出すのが、杉原千畝。

杉原千畝がイスラエル「諸国民の中の正義の人賞」(ヤド・バシェム賞)を受賞したのには、理由があります。

ドイツがポーランドに侵攻した翌年、彼はリトアニアの首都ヴィリニュスではなく、当時、臨時首都が置かれていたカウナスに副領事として赴任します。総選挙があった7月、身の危険を感じたユダヤ系難民がビザの発給を求めて日本領事館に押しかけてきました。

杉原は、当時、同盟国であったドイツの意に反して、ビザを発給し続け、6000人ものユダヤ人の命を救います。彼の残した言葉はおおよそ以下のような内容でした。

「外交官としては、間違っていたかもしれないが、沢山の人を見殺しにはできない。大したことをしてはいない。当たり前のことをしただけです」。

当然、杉原にもナチスの手が伸びてきます。窮地に追い込まれた杉原千畝を救ってくれたのは、なんと、彼のビザで海外に逃げ延びたユダヤ人でした。

今、旧日本領事館は杉原千畝の記念館になっています。行ってみたいですねぇ、バルト三国。ただし、それまで、私の命のビザが残っていればの話ですがね(笑)。




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