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欠礼

昔々あるところに、心優しい指導者がいました。ある日、その優しい指導者は国民のために「自由の防音室」を作ってくれたのです。そして、指導者は言いました。「君たちには言論の自由があるんだよ。言いたいことがあれば、遠慮なく、なんでも言いなさい。ただし、『自由の防音室』の中で」って(笑)。

これ自由って言えるんでしょうか(笑)。

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では、密室でなければ、何をしてもいい?

高級レストランで食事中、急に立ち上がって隣のテーブルに行き、見ず知らずの客に差別的な発言をするのは言論の自由? 

この言動を制することは、言論弾圧であり、検閲や人権弾圧に繋がるのでしょうか?

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昭和天皇の肖像画を燃やしたあとの灰を足で踏みつけることが表現の自由なのでしょうか? もし、「表現の自由にも許されないものがある」といったとたん、「それは検閲だ、表現の不自由だ」と主張するなら、ほかの国の指導者や英雄の肖像画に同様のことをしても、ヘイトだって騒げませんけど、それでもいいですか(笑)?

芸術の定義うんぬんの前に、自由について考える必要があるようですね。

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自由には freedom(フリーダム) と liberty(リバティ) があります。フリーダムは「お互い好き勝手しましょう」という意味の自由で、リバタリアン(自由至上主義者)が好むもの。リバティリベラリスト(自由主義者)が好む自由で、束縛のない状態解放権利という意味あい。

権利としての意味を持つリバティの方が制約があります。

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一方、アリストテレスは「人間ポリス的動物である」と言いました。

「50歳が14歳と淫行したらポリスにつかまる」。

前者のポリス的動物は社会的動物ってことで、後者のポリスは警察(笑)。

つまり社会的ということは、していいことと、してはいけないことがあるってこと。「法は最小限の道徳」でしたね。

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タブー (taboo):「何をしてはならない」という決まり事。行動のありようを規制する文化的規範。日本語では禁忌(きんき)
モーセの十戒(Ten Commandments)は、モーセがエジプト出発の後にシナイ山にて、神より授かったと記されている10の戒律。




父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
隣人について偽証してはいけないこと
隣人の財産をむさぼってはいけないこと 

常識や道徳っていうものは人間社会の潤滑油であり、これがあるから、安心・安全に暮らせるってものなんです。

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J.バイデン大統領が、英国エリザベス女王にウィンザー城で謁見した際、サングラスをかけていました。日差しを避けるためだし、女王も気にした様子はなかったと擁護する意見もありますが釈然としません。

米大統領といえば、D.トランプも女王を炎天下で10分以上も待たせたし、J.W.ブッシュも失言のあと、女王に向かってウインクをしたりと、自由すぎます(笑)。

「欠礼しました」ってね(笑)。

これが「royal(ロイヤル、ローヤル): 王の、王室の、高貴なの意」と「官位や爵位を持たない一般市民=平民」との区別のない「平等の国」アメリカ合衆国の品位なんでしょうかねぇ(笑)。


PS:「失礼」と「無礼」と「非礼」の違いについてはえんちゃんにお任せします(笑)。

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