惚気話

 はっきりと言ってしまうが僕は人の惚気話が苦手である。他人はもちろんのこと、その関係性が友人であろうが、そして対面であろうがSNSであろうが、誰かが誰かのことを非常に好いていて、かつその人と自分が結ばれていることを殊更にひけらかすような行為が嫌いなのだと思う。それが男であれ女であれ、自分が好きな人の自分しか知り得ないような情報であったり、相手が自分にだけ向けてくれた態度や視線のことを自慢げに語る人の話を聞くのは、苦痛とさえ思う。
 なぜこのような感覚に陥るのだろうと薄らぼんやりとよく考える。世の中にはむしろ人様の惚気話を好きだといい、積極的に誰かのそう言った類の話を聞こうとする人もいると聞くし、実際に僕の周りにも、いる。周囲の恋愛について、その成就を喜んだり、恋愛によって得ることができる周囲の幸せを願ったり、祝えたりすることはとても尊いと思う。単に僕の心が狭いだけの気もしてくるからたちが悪い。確かに、僕の心は狭いと思うけれど。

 前の職場で仕事をしていた時、同僚や先輩、上司と人並みに話す機会があったけれど、そこにいる人たちからは、少なくとも僕が耳にしていた限りでは自分の仕事か恋愛の話しかしなかったし、他のあらゆる雑談についても、そう言った話の付随物として認識され、話されている傾向があったように思う。それなりに長く生きていると分かってくるけれど、大多数の人々の人生において、その二要素は非常に大きな割合を占めている。なので日頃からそういった話が多いのは至極自然なことだとも思う。一方で、日常的に耳に入る情報について、そう言った話が9割を占めていた以前の環境に、僕が辟易していたことも確かではある。
 誇張などではなく常日頃から、同期の誰と誰が付き合った、だの、誰と誰がうまくいっていない、誰々の奥さんは元は誰々の奥さんだからあそこは再婚だ、誰々係長はずっと前に離婚していて今はシングルファーザーだ、誰々が誰々のことを狙っているが、その誰々は別の誰々と付き合っていてもうすぐ結婚寸前だから誰々は誰々のことを誰々がいるから諦めなければ誰々、ではなく云々…等、ありとあらゆる、どこの誰かもわからない、知りたくもない誰々の恋愛譚が横の席で繰り広げられる様は大変に苦痛であった。そろそろ誰々という語が自分の中でゲシュタルト崩壊してきそうな向きさえあった。これは誇張だけど。

 以前、その時の職場で僕が所属していた課の忘年会、その二次会の終わりに、僕と同期と、その年に入ってきた新人の女の子と3人で帰路についていたことがあった。後々思い返せば、忘年会や二次会の最中から、その女の子が同期のことを狙っていることがひしひしと、それはおそらくだけれど側から見ていてもおよそ露骨に見えるくらいには伝わっていた。後日、その時の様子を「本当にわかりやすかったよね」と別の同期から聞いたような気もする。今思えばだけれど、そもそもそう言った気持ちを隠す気なんてその女の子にもなかったのではないかと思うくらいには、わかりやすく表に出ていた。
 ただ一人、その時の僕だけは彼女のそう言った様子に全く気づいていなかった。
 当時、自意識をこれでもかと拗らせていた僕は、学校を卒業したばかりのその年下の女の子がかなり美人だったこともあって、かつ忘年会の席で結構話す機会にも恵まれていたこともあって、その子はきっと僕のことが好きなのだろうととんでもない勘違いをしていた。二次会の席でも、その女の子が所属していた係で上司とあまりうまくいっていないことを涙ながらに訴えていて、酔った勢いと無知のせいもあって隣でせっせと慰め役を買って出ていたのも僕であった。その子からは何度も「ありがとうございます」という言葉を聞いたし、その言葉に僕に対する幾許かの羨望が込められているような感じも受け、一人で勝手に浮き足立っていた。実際には慰めてもらっていることに対する実務的な謝意以外の気持ちなど、全くなかったのだろうけれど。
 そんなこんなで帰路についた時、女の子が明らかにその同期の隣で、いっそあからさまなくらいに舞い上がっている光景を、一人だけ真後ろで置いてけぼりを喰らったまま見せつけられることとなった。その女の子は僕の存在をスコンと忘れたかのように終始同期の隣で同期のことを褒めちぎり、ボディタッチを派手にかまし、困惑する同期をよそにもう一軒行きませんか、などと執拗に誘っていた。挙げ句の果てに思い出したように僕の方を振り返って、この期に及んでまだ何かを期待する僕に面倒臭そうにこう言った。

「あ、もう直ぐバス行っちゃいますよ? 早く行ったほうがいいじゃないんですか?」

唖然とする僕を置いて、女の子は同期の腕を引きながら「じゃ、お疲れ様でーす」と足早に僕から立ち去っていった。

 この話には後日談がある。僕がその課を異動する際に催された歓送迎会、その二次会で、先輩からなんとその女の子が僕のことを気になっているらしい、という話を聞いた。驚いた僕が、あの同期とはどうなったのかと聞くと、とっくの昔に振られてうまく行ってない、とあっさり伝えられた上で、

「だから、その子はあなたでもいいな、と思ってるみたいなのよ。どう? 連絡とってみない?」

そう言われた。そのことを聞いて、僕は本当に心が狭いと思うけれど、些か不快になってしまったのだった。

 僕が惚気話を好かないのは、恋愛やその当事者たちの自分本位な思考からくる薄情さと、唯一無二な関係を築くということが相当に難しいこと、にも関わらず自分はそういった関係を十分に築けていると信じて疑っていない人々の軽薄な考えに、痛い目を見させられているからかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?