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突然の別れから死生観を考える


続いた訃報

この歳になると近しい方の訃報も珍しいことではありません。
2024年を迎えて2か月になろうとしていますが、他部署ではありますがお世話になった先輩、子ども食堂活動でご一緒する機会の多かった方、立て続けにお二人を見送る事になりました。
どちらも急な訃報でした。
しかもどちらも、数日前にメールでのやりとりや、実際に会って何気ない世間話をしたばかりでした。
先輩は私が仕事に就いて数年経った頃、地元の祭りに誘ってくれたり、労働組合の事を教えてくれたりと親身になってくれた記憶があります。
また、子ども食堂活動をされているもうひとかたは、農家の方の好意でいただいた大量のタケノコを一緒に皮を剥いたり、あく抜きを長い時間かけてドラム缶を前に長話をした記憶があります。
先日も健康診断後にお会いして世間話をしたばかりでした。

死生観を考える

こんなとき、いつも考えるのが死生観についてです。
田坂広志さんの講演や書籍で感銘を受けた死生観があります。

詳細は書籍を読んでいただきたいのですが
田坂さんは

人は必ず死ぬ

人はいつ死ぬかわからない

人生は一度限り

といった死生観を定めて生きるとやりたいことを先延ばしにしたり、何事にもありがたいという意識が芽生え、雑な生き方をしなくなる・・と言います。

また、大きな志を持って成し遂げた(名を馳せた)経営者は3つのうちどれかを経験していると言います。

1 大病

2 投獄

3 戦争

田坂さんは生死を彷徨う大病を患った経験があり、ソフトバンクの孫正義さんや松下幸之助さんも大病の経験があります。
ガンジーやネルソンマンデラ大統領は投獄の体験があったり、アシックスの創業者鬼塚喜八郎さんや、史上最悪の作戦インパール作戦の生き残りでワコールの創業者塚本幸一さんは戦争体験があります。
夜と霧の著者であり心理学者のフランクル博士も第二次世界大戦、アウシュビッツでの投獄体験。
名前を挙げれば限りないほどです。
(経営者以外の方の名前も挙げましたが)

メメントモリ
死を忘れるな・・。という言葉ですが、身近に死を意識していれば日常が輝くのだと思い知らされます。

後悔の質

現役(仕事をしている年齢)の最中に亡くなった先輩や同僚って後悔はなかったのだろうか? ふと考えます。
ある方の葬儀の親族挨拶で(その時は奥様でした)
「定年退職したら、一緒に旅行に行ってゆっくりしよう」、そんなことを故人と話していました。
といった一節がありました。
上記の死生観を考えたとき、人はいつ死ぬかわからない。という死生観をもっていれば旅行やゆっくりする・・といった一緒にやりたいことは働いている “今“ すべきことだったのか!と感じます。
亡くなったご主人、残されたご遺族のことを想うと、軽はずみに言えることではありませんし、旅行に行っていたからよかったといったことではないでしょう。
仕事の都合を優先すると、どうしてもプライベートでまとまった時間を作ることは困難です。(今は人手不足で連休もままなりません)

人が亡くなる時に後悔するランキング1位がもっと⚪︎⚪︎しておけばよかった。といったやらなかった、挑戦しなかったことへの後悔だとするとやらない後悔の方がやらなければよかったという後悔よりも後に引きずるのでは?と思います。

お金についても、亡くなった方が財産の70%を残して亡くなっています。
面白い考察では著書 Die With Zero で資産を命の尽きる時にお金を残さずに死んでいくことを薦めています。
(そのお金の使い方、残し方を伝える内容です)

意識するだけで世界は輝いてくる

スティーブ・ジョブズは朝目覚めて今日することを考えた時、
「もし今日、明日命が尽きるとしてそれをするであろうか?」
と自分に問うと言う。
今に目を向けて、生きていくことで生きていることを実感できるのでしょう。
昨日は薪、明日は灰
と言うことわざがありますが、今、今日しか炎はできないのです。

自分でも、後悔のない日々を送ろうと考えながら仕事一辺倒にならないようにしよう、仕事に打ち込む時は全力を傾けよう、やりたいことは先延ばしにしないようにしよう、といったことを意識するようにしていますが、それでもやれていない、挑戦しなかった そんなことがたくさんあります。

今回の立て続けに起こった身近な方の訃報は、日々を過ごしていた自分にメメントモリ(死を忘れるな)を思い出させてくれました。

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