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富山妙子という画家

この本を借りて読んでいたのですが、とても面白かったです。この本自体もそうですが、富山妙子さんという方がとても魅力的です。

国境のないアーティスト

富山妙子(とみやま たえこ)さんをご存知でしょうか?女子美術大学中退の画家で政治的活動のせいで日本の画壇を追われ*¹絵画としての発表の場を失い、様々な人の協力*²で作成したスライド上映しながら国内はもとより世界中を渡り歩いた方です。今年で100歳になります。

韓国の民主化に貢献した*³ということで、日本人としては大変珍しく大韓民国国民褒賞を授与されてもいます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

経済成長と差別再生

本の話に戻ります。彼女はハルビンで少女時代を過ごしているのですが、父親はダンロップ護謨極東*⁴に勤めていました。当時は多国籍企業として英国籍社員と日本人社員との間や男女の賃金格差があったそうです。

イギリス人は、女子タイピストでも手当込みで500円の月給と自動車の送迎つきなのにくらべ、現地採用の日本人は大学出でも初任給は70円。(中略)工員は日給男子2円50銭、女子75銭だった。
富山妙子著「戦争責任を訴えるひとり旅」岩波書店 13ページ
岩波ブックレットNo.137 ISBN4-00-003077-9

彼女が後に英国に招かれた個展*⁵でのこと、日本企業で働いた経験のある英国人婦女たちが父と同じような不満を訴えたそうです。

日本企業で働いていた三人のイギリス人女性がギャラリーにやってきて、語り始めた。「日本人と現地雇用者の間にひどい賃金差別がある。それに女性差別がいやになって私はやめてしまった。日本人は傲慢で、何でも金で解決できると思っている。」 
富山妙子著「戦争責任を訴えるひとり旅」岩波書店 14ページ
岩波ブックレットNo.137 ISBN4-00-003077-9

日本の経済成長によって起こった逆転現象。とても皮肉な話でした。
しかし振り返ってみれば経済的に豊になった中国が自国の利益を優先して他国を侮り、権利を侵害している姿にも重なります。

日本も通ってきた道の一つとして反省しつつ中国と向き合っていく必要も感じました。

弱者の視線

常に立場の弱いものの視点を忘れず、また過去の罪に対する許しを、忘却ではなく記憶に刻むことによって為し得ようとした人生。

彼女は自らの役割を「恨*⁶」を解く「巫女」として活動した。加害者による忘却のための魂鎮めではなく、悲しみをゆりおこす魂振りによって。今はこの「恨」を解く人こそ求められているのでは。

『美術手帖』8月号で「女性たちの美術史」特集

富山妙子さんをフェミニズムだけでくくってしまうのは抵抗があるのですが、むしろ境界を無くす、超える画家だと個人的には思っています。とはいえ、ご興味をもった方は是非一読を。

注釈

*¹当時の画壇は当然男性が中心で、戦後ということもあり反戦など政治的要素はやりつくした(新鮮味がない)という意見もあったよです。更に政治活動は芸術活動に相応しく無い(純粋でない)という偏見もあったのかもしれません。

*²音楽家の高橋悠治などとスライドを作成して活動した。

*³一時期は民主化運動により韓国への入国が禁止されたことも

*⁴賃金格差で日本人技術者がブリジストンに流出し凋落していったという。

*⁵ロンドン大学のブルームスベリー・ギャラリーで『イメージ・オブ・コレア』というタイトルで開かれた韓国民衆版画展と同時開催だった。

*⁶この概念を研究していた韓国人学者の李効再は彼女の作品が「恨」を表現していると賛辞を贈っている。

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