「退屈が動き出す」がやてっく〜誕生前夜〜 #3
紹介も舞台も書き終えたので、そろそろ物語を始めます。
これは、埼玉県越谷市の情報を発信するweb掲示板【越谷雑談がやてっく】が生まれるまでの物語。
▼退屈▼
入社してから5年半。僕はずっと考えていた。
行き詰まっている。
欲しいタイトルは全て穫った。入社したばかりの頃は、全然広告が売れなくて「向いてないのかも」と思った。
このままじゃだめだ。
僕は、もう一度頑張るという思いで、ノートを広げ「目標」を書き込んだ。
今、そのノートを見返すとすべての目標の横には「○」がついている。
せっかく入社した会社だ。ここでできること、学べることは全て会得してやる。
そんな気持ちで、絶対に成し遂げるリストを作った。
「仕事に打ち込む」ことを決めたのだ。
そんな僕の指針、拠り所だったノートが沢山の○で埋め尽くされている状況を見て、大きな達成感と深い行き詰まりを感じていた。
会社にいて、同じ仕事をこなす。慣れたもので、そこに「思考」は必要なくなっていた。これは過去の僕が作った「功績」であり「退屈」だ。
誇りたいけど、少し寂しくもあった。
仕事をこなすうちに「会社」や「組織」というものを考える時間が増えた。
辿り着いた景色は思ったよりもキレイじゃなくて、ありふれていたように思う。
株式会社C社は、時代の波に乗って大きくなったけれど、次の時代に乗り遅れて孤島にポツンと立ち竦んでいた。
単にWEBの時代だからとか、紙の時代に終わりがきたからだとか、そんな理由じゃないと思う。
根っこにあるのは「人の考え方」と「価値観」、それに「ビジネスモデル」の問題だろう。
C社は、会社としてイノベーションを求めていた。でも、それを体現できる「人」がいなかった。
営業をして紙媒体に広告を掲載する。いつも見るのは数字だけだ。その先にある「広告が集まる仕組み」や「価値の見直し」には一切メスを入れなかった。
売上が落ちて利益が出ない体質を「ヒューマンエラー」や「活動量の問題」として片付けて、毎日毎日延々と同じ言葉を繰り返す。
僕のノートには「営業」以外の目標も掲げてあった。そのおかげもあってか、時代の形を捉えられていたと思う。要するに、乗り遅れは防げたわけだ。
この会社を変える。そんな大層な事を言うつもりはなくて、会社が求めている「イノベーション」を形にしたい。そんなふうに思っていた。
そうしないと、僕とこの会社は常に胸のうちに巣食っている「行き詰まり」を祓う事ができないと思っていたのだ。
▼一本の電話▼
この頃、僕は「副業」をしていた。実は会社の給料よりも稼ぎがよかった。必要なものを必要なだけ提供し、次の動きに期待を持ってもらう。仕事はこうやって成立すると思っていたから、その線に沿って活動していた。
時代と相談して、得られた可能性を、お客さんに情報として伝える。
ここには、お金が発生していた。たったそれだけの事で、僕は必要な人材になれたのだ。
これでも十分生活は出来たと思う。満足もしていた。それでも僕が会社を辞めなかったのは、C社から、SOSめいた声が聞こえていたからかもしれない。
「お前はまだ、すべてを試しちゃいないぞ?」
そんな声が、僕の決心を鈍らせていたのだった。
会社にイノベーションを起こすならば、僕がやっている副業では通用しないことは分かっていた。
規模が違いすぎる。
何より、もっと根本的に大きな「世界観」を打ち出して、従来のビジネスモデルから脱却しないといけなかった。
僕は副業の他にバンド活動もやっていて、そちらのビジネスモデルはかなり強固で大きいものだった。
でも、こうした大きな世界観を生むには「ひらめき」が絡む。要するに「運」が必要だ。
いくつか案はあったけど、会社にイノベーションを起こすほどのものじゃなかったと思う。ここでも行き詰まっていた僕は、日に日に苛立ちを募らせていた。
誰かいないのか?
今の状況はどう考えてもピンチだろ。
どうして目の前の当たり前が全てだと思う。どうしてアップデートしないんだ。
独りで悩むのはしんどいんだ。
誰か靄を晴らすような世界観を提示してくれ。
僕は知識においても、行動においてもぶっちぎりだった自負がある。他の社員と比較しても、見えてる景色は確実に違かったはずだ。
まぁ、勉強したからね。
そんな悶々とした日々を過ごす中で、目を引く資料を見つけた。
地産地消の情報を届ける。
そんな事が書いてある7〜8枚のパワポを社員共有のフォルダから見つけたのだった。
そこには「この会社の構造を根本から覆すための世界観」があった。
これだと思った。
当時の上司は、兼任部長で経営会議に出るくらい偉い人だった。だから、この資料について聞いてみた。
「これは新規事業のアイデア」だ。
偉い人はそういった。
C社にこんな今どき(当時でいう今どき)の感覚を体型化できる人がいるなんて信じられなかった。
そして僕は電話したんだ。
「荒井さん、あの世界観マジで凄いっすね!」
と。
▼初コンタクト▼
何かが生まれる気がした。
これは描けたら確実に大きくなる。そんな予感と高揚があった。
荒井さんは「ありがとう」と言って、僕にこの構想の経緯を教えてくれた。
「単純に、都内近郊の情報が、一度東京を経由して届くことに疑問を持っていたんだよ」
「せっかくこれだけの情報網があるなら、紙で出してもネットで出だしてもいいと思ったんだよね」
「これだけ長い間、情報を発信してきた会社だから、この世界観はうまくいくと思う」
そんなことを言っていた。
この人は違う。
そんなふうに思った。もともと噂は聞いていた。中途入社して最短で係長にあがった人がいる。
荒井さんは、C社に沢山の新しいを持ち込んだ人だ。
グーグルマイビジネスの運用がとても重要になる。こういう知識は必要だ。
こんなふうに少しずつ、WEBツールを絡めていくことを会社に浸透させた人だった。
僕は必死になって伝えた。
「今バンドでサロンをやっていること」「品質だけじゃなくて共感が必要なこと」「コンテンツは参加型になっていくこと」
そんなことを捲し立てて、最後にこのプロジェクトに参加させてほしいと言おうとした瞬間に
「俺が出会った人の中でもかなり飛び抜けている」
「良かったら一緒にこの企画進めない?」
嬉しかった。
荒井さんからご指名を頂くことになるとは思わなかった。荒井さんはいつも地に足がついた行動を取る。
謙虚で、凄いものを凄いと言える人だ。
僕の返事は決まっていた。
やるに決まっている。
こうして「地域PICKS(仮)」が始まった。
会社がイノベーションを求めている。呼び止められるから踏みとどまっていたけれど、待っていてよかったらしい。
僕は、行き詰まりが解消されていく感覚と同時に、新しいおもちゃを見つけたような感覚を得た。
こうして、会社に対して「企画を通すゲーム」「イノベーションを起こして、根本から会社の体質を変えるという夢」を追いかけ始めたんだ。
きっと楽しい未来が待っている。
そんな風に思った。この頃僕は、提出すれば一発で通るでしょ。なんて甘い考えを持っていたのかもしれない。
普通の会社なら、議論して事例を調べて、予算と相談してやるかやらないかを決める。
それだけだ。
これから始まるゲームが「パズルゲーム」で一面さえクリアすれば終わりだと思っていた。
でも、ここはC社。
すべてが体を成しているだけの会社だ。
まさか僕が参画したゲームが「RPG」だったなんて。この頃は、そんな事微塵も考えなかったんだ。
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