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【都心の街は日々変貌し拡大します】

1.都市再開発

 東京の都心部では一時も休むことが無く、どこかで再開発が進行中です。都市再開発事業が行われる地域内には、集客力の高い施設が出店し、道路や街並みが整備され、地域の魅力が高まります。多くの人がそこに訪れるようになると、その周りに店舗が集積し、やがて周辺の住宅地域にも店舗が出店します。住宅地域内の店舗の数が増えて裏通りにも店舗が連坦するようになると、気付いた時には地域全体が商業地域になっています。住宅よりも店舗の賃料は高いので、その地域の不動産価格は上昇します。
始まりはたった一軒の魅力的な店舗かもしれません。その店に人を集める力があると、集まった人が店舗を集めます。店舗の地域が拡大すると地域内の物件価格が上昇します。不動産の価格はその利用価値すなわち賃料を反映して形成されるので、住宅として利用されていた物件が店舗として利用されることで、その物件の価格は上昇します。

2.都市再開発の外部経済効果

 新聞やテレビ・ラジオやインターネットや書籍などのあらゆるメディアを駆使することで、都市再開発の情報を調査して、近い将来再開発事業が実施される地域を早い段階で見つけておきましょう。その地域内が無理ならその周辺の物件を購入すれば、いずれは確実に値上がりします。不動産は売り買いで利益を得るものではありません。購入したらずっと所有し続けて、その間に得られる賃料でまず購入費用を回収し、その後も所有し続けることで多くの利益を得るものなのです。だから株取引のインサイダー情報のようなルール違反をしなくても、将来発展する地域や物件を値上がり前に見つけるだけで良いのです。日ごろから情報収集をしていれば、計画段階で再開発地域は誰にでも判ります。その時点で周辺の物件を購入しておけば、その後に値下がりすることはまずありません。ずっと所有し続ければいずれは値上がりします。
 道路や交通機関などのインフラ整備には莫大な費用を要しますが、その費用はその地域の土地や物件の所有者が直接負担するものではありません。国や地方公共団体や都市再開発事業者が負担します。事業が実施されるとその周辺地域はその便益を無償で享受します。そしてその外部経済効果によって周辺地域内の不動産価格は上昇します。都市再開発地域の周辺は外部経済効果を享受できる地域です。

3. 渋谷の街の変貌の兆し

 都市再開発事業が行われなくても、建物のテナントが入れ替わったり、建物が建て替わったりすることで、街は変貌し始めます。1960年頃の「渋谷」には東横百貨店と駅周辺の飲食街と、道玄坂沿いの恋文横丁と、その先に百軒店という歓楽街があるだけでした。そんな小さな商業地域が数十年を経て「原宿」駅や「表参道」などの周辺地域を巻き込んで巨大な商業圏域へと変貌しました。そして今は宮益坂から北青山や南青山方面にもその圏域が拡大し、代官山方面にまで圏域を広げそうな勢いです。
 「渋谷」駅の東側には東急文化会館を、西側には東急プラザを建てて、東急グループが駅前の立地を制覇していた街に変化が起きたのは1968年でした。ライバルの西武グループが駅の北西側出口に面するスクランブル交差点の直近に西武百貨店を出店しました。大々的な広告宣伝活動が行われ、その先の「公園通り」沿いにパルコという商業施設を次々と建てました。当時私は建築学科の学生でした。西武百貨店渋谷店が外壁にカーテンウォール工法を採用すると聞いたのでその新工法を見にでかけたのですが、その建物よりも渋谷の街の変貌に目を奪われてしまいました。

4.渋谷の街の拡大

 「ジロー」というテラスのあるおしゃれなカフェがポツンとあるだけだった「公園通り」には、パルコパート1、パート2、パート3という複合商業施設の出店が相次いで、その周辺にはDCブランドの店舗が次々に出店し、渋谷教会の地下には「ジャンジャン」というライブハウスができて、閑静な住宅地域だった公園通り沿いが、区役所や公会堂や桑沢デザインスクールに至るあたりまで、瞬く間に商業地域へと変貌しました。デザイナーの浅葉克己氏やコピーライターの糸井重里氏などが起用されたイメージ広告戦略の強力なバックアップ効果もありました。ターミナル駅周辺の普通商業地だった渋谷の街が、若者中心の最新情報発信基地になり、商業エリアが急速に拡大しました。私はその街の変貌に魅了され、それ以降は街の変貌を眺めることが日々の楽しみになりました。

5. 渋谷から原宿へ

 その後も渋谷の街は拡大を続け、街は隣の原宿と繋がりました。それ以前の原宿は西隣に明治神宮の鬱蒼とした森があって、明治通りと表参道の交差点周辺とそこから原宿駅へと続くケヤキ並木の参道沿いに店舗が散在するだけの住宅街でした。その参道の坂道を登った先に高級マンション「コープオリンピア」が1965年に建設されました。美しい街並みに雁行型の外壁が映えるランドマークの出現です。ケヤキ並木の木漏れ日が落ちる表参道のなだらかな坂道をゆっくり下っていくと明治通りとの交差点に到達します。そこには原宿セントラルアパートがありました。今は東急プラザ原宿表参道です。そこは渋谷からちょうどいい距離感にある場所で、周辺は閑静で緑あふれる住宅地です。渋谷と比べて家賃の安い場所でしたから、原宿セントラルアパートやその周辺に、新しいファッションの担い手となったDCブランドのデザイナー事務所や建築設計事務所などが開設されました。やがてアーティストやミュージシャンも集まるようになって、いわゆる原宿文化が形成されました。

6.原宿の街の拡大

 渋谷から原宿まで歩いて散策する人が増えるようになり、代々木公園前の広い道が休日には解放されて「歩行者天国」が実施されるようになり、「竹の子族」や「一世風靡セピア」などのパフォーマンスがさらに人を集め、「桃色クローバー」の路上ライブも始まりました。ひっそりとした商店街だった竹下通りまでが、いつの間にか人波で溢れました。キャットストリートは渋谷川の暗渠で児童公園に猫がたむろする寂しい裏通りですが、渋谷から原宿に向かう近道でした。その道沿いにアンティークファッションやファンシーグッズを売るおしゃれな店がポツンと出店し、しばらくすると明治通りとの交差点近くにピンクドラゴンというマニアックな店舗ができて評判になって、キャットストリート沿いに店舗が連坦し、やがて表参道を超えて千駄ヶ谷方面に向かう道沿いにまで店舗が増えていきました。そこは裏原宿と呼ばれる地域になって、拡大した原宿は流行発信基地に成長しました。同潤会アパートが取り壊されて表参道ヒルズができると表参道沿いの商業地域はさらに勢いを増して、渋谷区内だけにはとどまらず港区に至り、青山通りを超えて御幸通り沿いにまで広がって、その背後の北青山や南青山一帯の住宅地を侵食し始めました。

7. 東京都心の再開発

 都心の商業地域が発展、拡大する時は周辺の住宅地域が少しずつ商業地域に変貌します。その発端はたった一軒の魅力的な店舗の出店かもしれません。そこに人が集まれば周辺にまた店舗ができて、人が増えれば店舗も増えてゆきます。大学や専門学校などにも多くの人が集まります。するとその周辺には学生相手の店舗が出現します。そんな地域発展の兆しを一早く見つけ、店舗が増えて物件価格が上昇する前に、そのあたりの物件を手に入れておけば、街の成長を眺めながら暮らすことができ、暮らしながら向上する街の利便性を享受でき、暮らし方の選択肢も広がって、豊かで濃密な日々を過ごせます。その間に住まいの資産価値は勝手に膨らみます。
 六本木ヒルズと東京ミッドタウンができたことで、六本木地区は高度商業地域へと変貌し、虎ノ門ヒルズと麻布台ヒルズができたことで、アークヒルズや泉ガーデンを含む地域一帯は超富裕層の住む街になりました。日本橋三越周辺にはコレドが幾つもできて日本橋ミッドタウンも建設中です。丸の内は仲通りの整備によって業務地域から業務商業混在地域へと変貌しました。八重洲側にもミッドタウンができて、銀座中央通りから日本橋に至る地域全体の開発が進行しています。銀座周辺ではホテルの建設の勢いが凄まじいのですが、この先どんな街に変貌するのでしょうか。渋谷も今またもう一度脱皮して新たなステージへと向かっています。東急文化会館をヒカリエに、東急プラザをフクラスに建て替えて、渋谷ストリームを建設し、駅前広場にスクランブルスクエアを造り、宮下公園を商業施設に変貌させました。サクラステージももうすぐ完成です。新宿駅の周辺開発も動き出しています。品川駅周辺もまだまだ開発途上です。東京の都心はこの先も開発され続けます。だから東京の都心部はどの場所も広域的な外部経済効果を受け続けています。だから一軒の魅力的な店舗がその場所の潜在的なポテンシャルを刺激して、住宅地を商業地に変貌させるのです。

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