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K-103 武装せる女神胸像(ジュスティニアーニのアテナ)

石膏像サイズ: H.88×W.43×D.44cm(原作サイズ)
制作年代  : ローマンコピー(紀元前4世紀の原作)
収蔵美術館 : ローマ・ヴァチカン美術館
出土地・年 : ローマ・エスクイリーノの丘 17世紀初頭

古代ギリシャ神話の知恵と正義の女神、アテナ神の彫像です。2mを超える巨大な全身像で、兜をかぶり、鎧を身にまとい、槍を持った完全武装のスタイルです。盾は持っておらず、右手には槍を持っています。両前腕、槍、兜の上のスフィンクスなどは、いずれも修復によって付け加えられた部分です。

オリジナルのギリシャ時代の彫像(おそらくブロンズ製)が制作されたのは紀元前5~4世紀頃と考えられています。現存する彫像は、それを1~2世紀頃(古代ローマの五賢帝時代 漫画のテルマエ・ロマエの舞台と同じ頃ですね)のローマの人々が大理石で複製したものです。

17世紀初頭に、ローマのエスクイリーノの丘(ローマ建国当時からの7つの丘のひとつ)の神殿跡から発掘されました。このアテナ神の名に付随している”ジュスティニアーニ(Marchese Vincenzo Giustiniani 1564~1637年) ”というのは、17世紀のローマの銀行家の貴族で、アートコレクターでもあり、あのカラヴァッジオのパトロンであったことでも有名な人物です。発掘されたアテナ神像は、このジュスティニアーニに購入されて、そのコレクションの一部となりました。

17世紀末には、この彫像の素晴らしさはヨーロッパ中で有名になり、ローマを訪れたイギリス人旅行者達(グランド・ツアー)の賞賛の的となりました。ジュスティニアーニコレクションの管理人が、訪れたドイツの文豪ゲーテに向かって、”彫像の手のところが他の部分に比べて白いのは、イギリス人たちがあまりにも頻繁にそこに口づけをするからなんですよ・・・”と語ったという逸話も残されています(実際には、そこは修復で付け加えられた部分だった)。この彫像の姿は、グランドツアーの時代のローマで最も有名だった肖像画の大家ポンペオ・バトーニの作品にも頻繁に描きこまれています(バトーニは、肖像画の中に古代彫刻や古代遺跡を描きこむスタイルで有名だった人物で、グランドツアーでローマを訪れた旅行者たちは、競って彼に自分の肖像画を依頼した)。

19世紀初頭のナポレオンによるイタリア征服によって、ジュスティニアーニコレクションの大部分がパリへと持ち去られた(その後、コレクションの多くがプロシアのヴィルヘルム三世によって購入されて、ベルリン美術館に収蔵された)のですが、このアテナ神像は当時ローマに居を構えていたルシアン・ボナパルト(ナポレオン1世の弟)によって1805年に購入されて、彼の住居に展示されました。さらにその後、教皇ピウス7世へと売却されて、現在の展示場所であるヴァティカン美術館に収蔵されることになりました。

ヴァティカン美術館収蔵 ジュスティニアーニのアテナ(Atena Giustiniani) オリジナル彫像
(写真はWikimedia commonsより)


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