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K-166 セネカ胸像

石膏像サイズ: H.47×W.22×D.26cm(原作サイズ)
制作年代  : 2世紀頃(原作はヘレニズム期)
収蔵美術館 : ルーブル美術館
出土地・年 : フランス南西部Auch川 

ユリウス・クラウディウス朝時代(1世紀中ごろ)のローマ帝国で活躍した、政治家・哲学者・詩人のルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca B.C.1-65)の肖像彫刻とされています。

第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、ネロ帝の治世初期にはブレーンとして支えました。ストア派の哲学者としても有名で、多くの悲劇・著作も残しました。哲学者であると同時に有能な政治家でもあったセネカは、権力欲、金銭欲とも関わりが深く、清廉・倹約を旨とする生活を主張しつつも政治闘争に明け暮れた半生だったようです。ネロ帝末期には政治の世界から引退していたセネカですが、ある人物の陰謀からネロ帝によって死刑を宣告されてしまいます。観念したセネカは、ドクニンジンを飲むも死にきれず、風呂場で静脈を切って死に至ったとされています。またその死に際には妻のパウリナも同様に臨んだということで、劇的な死の場面は何点かの絵画作品の主題ともなっています。

石膏像の原形となっている大理石像については、科学的な分析結果からセネカの生きた時代よりも以前に製作されたものであることが判明しており、この彫像がセネカであるのかどうかは議論の余地があるようです。そのためルーブル美術館では、この彫像は“Psuede-Seneca(偽りのセネカ)”と表記されています。モデルの人物については、ヘシオドス(古代ギリシャの叙事詩人)、アリストファネス(喜劇作家)、エウリピデス(悲劇作家)などではないかと推測されています。

ルーブル美術館収蔵 Psuede-Senekaの像 2世紀頃
(写真はWikimedia commonsより)


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