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【消される言葉】

戦後の「差別は許さない」という風潮は、言葉にも強く影響を与えていて、昔から使われていた単語や言い回しが、どんどん使用禁止にされてきたという経緯がある。

所謂「言葉狩り」であるが、これに対して少しでも異を唱えようものなら、もう大変なことになる訳である。

そう・・〈差別主義者〉のレッテルを貼られて、それこそ吊し上げの刑の憂き目に会うのがオチなのだ。

確かに、言葉狩りされた色々な単語を顧みた時に、成る程と思わされるものも沢山あったことは認めよう。

ここでいちいち〈言葉狩り〉を受けた単語を取り上げ、検証することは遠慮させて頂くが、つい最近、2度目の変更を受けた単語があることを知ったので、チョッとそれを紹介してみたいと思うのである。

その単語とは・・・

〈小使いさん〉である。

〈小使いさん〉という言葉は、昭和中期までは普通に使われていた単語で、学校の雑用をして下さるオジサンのことをそう呼んでいたのである。

それが差別的な言い方だということで、〈用務員〉という言い方に呼び名が変わったのだが、最近では〈用務員〉ですら差別的だとして、〈主事〉と言わなければならないのだという。〈言葉狩り〉は行き着く所を知らない。

要するに、社会的地位が余り高くない人達や、所謂、弱者の「人権」を、呼び名の面からも保護しようという思想なのだ。

だから「人権、人権❗️」と言う。如何にも倫理観溢れる主張やに見える訳である。

それはいいとしても、人権の主張が高じて、〈被害者〉は放ったらかしておいて、〈犯罪者〉の人権の方を過剰に擁護するということが罷り通ってはいないか❓️

もう既に、凶悪犯人を批判したら「差別だ❗️」・・なんていう社会になってはいないだろうか・・・

極論を言うと、例えば10人を殺めた凶悪犯人に対してすら、公に糾弾や批判が出来ない社会が、果して正しい社会なのだろうか・・

人権を盾にして詭弁を繰り返すパヨクである。しかし、最大の人権蹂躙である「殺人」を、それも何人もの人を殺めた「殺人犯」であるにも拘わらず「人権が人権が❗️」と言う。

それは余りにも厚かまし過ぎるのではあるまいか。左翼の言う「差別論」とは、言論封殺であり、共産主義者の破壊工作に他ならない。

挙げ句には、不法移民を擁護し、密入国を自慢するようなタレントまで跋扈のさばってくる始末なのである。


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