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【三木武吉の反論】

昔、三木武吉ぶきちという政治家がいた。彼は豪快闊達な性格で、実に面白いエピソードを残している。顰蹙ひんしゅくを買うであろうことは承知の上で、今回は〈Wikipedia〉よりそれを紹介したいと思う。

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『戦後、公職追放解除後の第25回衆議院議員総選挙の立会演説会で、三木武吉は、対立候補の福家俊一候補からスキャンダル攻撃を受ける。

「戦後男女同権となったものの、ある有力候補のごときは妾を4人も持っている。かかる不徳義漢が国政に関係する資格があるか」

と批判された。

ところが、次に演壇に立った三木は・・

「私の前に立ったフケ(=福家)ば飛ぶような候補者がある有力候補と申したのは、不肖この三木武吉であります。なるべくなら、皆さんの貴重なる一票は、先の無力候補に投ぜられるより、有力候補たる私に…と、三木は考えます。なお、正確を期さねばならんので、さきの無力候補の数字的間違いを、ここで訂正しておきます。私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5を4と数えるごとき、小学校一年生といえども、恥とすべきであります。1つ数え損なったとみえます。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」

と愛人の存在をあっさりと認め、さらに詳細を訂正し、聴衆の爆笑と拍手を呼んだ。この選挙では三木がトップ当選を果たし、福家は最下位で落選している。

「およそ大政治家たらんものはだ、いっぺんに数人の女をだ、喧嘩もさせず嫉妬もさせずにだ、操っていくぐらい腕がなくてはならん」

と、男っぷり溢れる発言をしたり、松竹梅といわれた3人の妾 (ちなみにこれは、愛人のランクではなく、実際に名前が松子、竹子、梅子だった) を囲ったりした。松子には神楽坂待合茶屋を持たせた。晩年も精力に衰えはなく、72歳で亡くなるときも愛人が5人いたという。しかしその一方で愛妻家でもあり・・

「本当に愛情を持ち続けているのは、やはり女房のかね子だ。ほかの女は好きになった…というだけだ」

と述べている。妾たちもかね子を別扱いにして、世話をしていた』(Wikipediaより引用)

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いやはや、「英雄色を好む」とはよく言ったもので、三木武吉の精力たるや凄まじいものがある。それに引き換え、1人の女房ですら持て余している僕なんかは、所詮、小物なのである。


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