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【おむすびと乞食】

昭和30年代後半、僕が保育園に通っていた頃は、街にはまだ終戦の匂いが残っていて、松葉杖を突いた「傷痍軍人」や「浮浪者」や「乞食こじき」などの姿もチラホラと見受けられたくらいである。

その中に、有名な「乞食」が2人いた。

現在では、人権云々の観点から「乞食」という言葉は使われなくなってしまったが、乞食は乞食なのである。食を乞うから「乞食」というのだ。そこには、止むに止まれぬ事情があったに違いない。

さてその〈乞食〉・・ひとりは〈キヨイチ〉、ひとりは〈ヒカ〉と呼ばれていた。横溝正史の小説に出てきそうな〈キヨイチ〉という名前は、漢字では〈清市〉と書くのかもしれない。

〈キヨイチ〉は、50代くらいの年齢だっただろうか・・汚れたボロボロの衣服を纏い、垢でドス黒くなった顔をしていて裸足という出で立ちの、絵に描いたような乞食であった。性格は大人しかった。嘘か本当かは知らないが、彼は東大を卒業たのに、何かの事情で乞食になったんだという噂もあった。

一方、〈ヒカ〉は〈キヨイチ〉よりも少しばかり若い男で、〈キヨイチ〉との決定的な違いが、彼は明らかに精神面に異常をきたしているという点であった。彼が街中を彷徨うろつくく時には、ラジオ体操の如く両手をグルグルと回しながら「モヘヘヘ、モヘヘヘ」と奇声を発するので、子供たちは怖がって、「ヒカが来たヒカが来た❗️」と言っては逃げた。

・・・・・・・

そんなある日のことである。人の気配を感じた母が玄関に出てみると、そこには〈キヨイチ〉が立っていた。物乞いにやってきたのである。情に厚い母は、いとおしそうに声を掛けるのだった。

「まぁまぁ・・アンタ腹が減ったんでしょう❓️」

「・・・・・」

〈キヨイチ〉は無言のまま立っている。

「アンタァ待っときんさいよ。今、むすびを作ってあげるけぇね。待っときんさいよ❗️」

まだ戦後の復興時代なので、うちだって家計が苦しいはずなのに・・

暫くして台所から取って返った母は、〈おむすび〉が詰め込まれた経木の弁当箱を持っている。中にはオカズは一切入ってないし海苔も巻いてない、只の〈白むすび〉が詰めてあった。

「これを食べんさい❗️」

そう言って〈キヨイチ〉に〈むすび〉を手渡したのである。まだ保育園児だったけれども、それを間近で見ていた僕は、その時のことを今でもハッキリと想い出すことが出来る。

そして〈ヒカ〉は、子供たちには怖がられていたが、苛められるようなことは一切なくて、街の人々は優しい心で護っていた。

・・・・・・・

そして月日が流れていくと、徐々に〈キヨイチ〉と〈ヒカ〉を見る機会が少なくなっていった。

現在のような〈施設〉がない当時である。2人はどうしているんだろうかと、子供心に心配をしたものである。

それから更に数年が経ち、僕が中学に上がる頃には、2人の姿を見掛けることはなくなった。


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