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藝大お嬢様部の成り立ち

過去の回想というものはどうしても美化されますが、今思えば、非常に素朴な始まりだったと思います。私が”お嬢様”に会ったのは2021年の奈良でした。会うと言っても何度か話したことはあって、校内ですれちがうたびに雑談をするくらいの関係でした。奈良公園を久しぶりに歩きたいけれど、仏像や日本美術に詳しくないから案内してよ、という連絡です。親しい間柄とはいえ、急なお誘いに驚きました。

コロナが一旦おさまったのと、インドの変異型が流行して再度厳格な体制がとられる間の時期でした。観光客は当然ながらほとんどおらず近鉄駅前の行基も寂しそうです。彼女は遅刻常習者であることは知っていたので、早めに行って薬師寺や唐招提寺を観光していました。ちょうど次の年に凶事が起こる駅で乗り換えたのを覚えています。

現れた彼女は特別何かを観光したいでもなく、ならまちエリアの散歩と奈良ホテルあたりを巡るだけでした。私が建築やら仏像やらの知識を仕入れていたのは全くの無駄で、むしろどこの店が美味しいかといったことを調べておく必要がありました。結局、奈良らしい観光はしないで、樫屋という甘味処に入ります。

「最近何してるの。コロナで海外にも出られないでしょ。2019年は地球三周ぐらいしてたのに」
「図書館に籠ってる」
「研究?」
「いや趣味で。正直アカデミアに未来はないかな」
「そんなに物知りなら、何か質問あつめてさ、聞いて答えてあげればいいじゃん」
「慈善活動みたいな」
根来塗りの赤いお椀に宇治金時が運ばれてきます。赤・緑・白・黒の極彩色が、舌の上でとろりと滅びていくのでした。

しかしインプットばかりしてアウトプットは全くしていないこと、正直自分のためだけの勉強にも飽きてきいたこともあり、限界を感じてはいましたから、その提言が胸に刺さりました。その場で、見る専門にアカウントだけ作っていた「Quora」というサイトを開き、似たような質問回答系のコミュニティーを見せると、
「これをやればいいじゃん」
と勧められたのです。名前はふたりで考えて高見温にしました。藝大生で私とかかわりのある人なら、なるほどとピンとくるものでしょう。建築の教員だった北川原温先生への個人的なリスペクトもあり、下の名前はどうしようかと幾つも案は出ていましたが、アナグラムや雰囲気等を考えてそうなったのです。彼女は中性的な名前であることを大層気に入っていました。

それから、私たちは奈良ホテルそばの大乗院庭園や、せっかくなので東大寺にも行きました。とはいえ私は仕込んでおいた知識の披露ということはしないで、ゆったり過ごすことになり、中国人観光客不在により誰もエサをくれないためすり寄って来る、寂しそうな鹿の群れと応対して、それで旅は終わります。

そう時間は経たないうちに、匿名の質問を答えるということの妙味に病みつきになりました。もともと人とコミュニケーションをとるのが好きではない中で、よくわからない人たちと文章のみで通じ合う楽しみというのが性に合っていたようで、大いに惹かれていきます。いつのまにか昼夜逆転するくらいの熱中ぶりとなり、コロナではなくその不規則な生活でダウンしたこともあります(そのため、2021年のベストライターの一員になる)。

その中でtwitterを覗くと、「大学お嬢様部」というヘンテコなSNSサークルが複数あることを知ります。例えば京都大学お嬢様部は2020年からあるそうでした。これはネタとして面白そうだと思い、奈良のお嬢様とは別の友人の女性に聞いて話してみたら、
「投稿のネタがなくなったら、協力するよ」
と言われたので気軽に始め、慣れない言葉で「ですわ」と打つようになります。習慣は第二の本能と言いますか、最初はナニコレと思っていた次第ですが徐々に抵抗がなくなっていくではありませんか。批判の内容でもまるくおさまる言葉の響きも相まってか、とても心地よい運用ができていました。

ただそこでも質問を介したコミュニケーションをどこか欲するようになります。そのため質問箱のサービスを入れると、最初はのんびりとした質問が来ていたのですが、次第に「藝大」の看板がある故に、専門的な美術の質問が届くようになります。中には深刻な悩み相談も見られました。そのようなやりとりに没頭していると、当初のお茶や美術品を紹介する緩やかな戯れに収まる規模ではなくなっていきます。

質問にひとりでは答えられないことを先の彼女に話すと、協力してくれるどころか、一応お嬢様「部」なのだから複数人いないとね、と「加入」することになりました。お嬢様と執事という役割も設定上必要かなと思いましたが、あまりそこはちゃんとした他大のお嬢様部とは異なっていました。最初から最後まで茶飲み友人で結成された半分慈善事業というノリでしたから、リアルのサークルとして発展させていく気もさらさらなかったので、他のお嬢様部とは毛色が違うのでしょう。

もし新たに藝大お嬢様部ができるのなら、それは全力で応援しますが、自分たちの後継を招いて存続させるという気がそもそも念頭にありませんでした。後輩たちとはコロナの2年で完全な断絶があり、絶望的に交流がなかったのです。

2022年になるとフォロワーが数千人にもなり、twitterの美術界隈では好き嫌いはあるでしょうが、かなり有名なアカウントになってしまいました。こちらとしてはささやかなニュースにもなった「お嬢様部」界隈だと思っていたのですが、どうやらそのような認識はされていないというのを薄々と感じるようになります。非公認ですが大学名を冠していたり、教員のフォロワーもなぜか多かったので、かつてのようにお嬢様口調で仄めかす批判というのもできなくなり、もっぱら本や展覧会の紹介に徹することにします。炎上回避の策です。

この秋に奈良のお嬢様が英国から帰ってきていたので、大手町のパレスホテルにてお茶をすると開口一番、
「藝大お嬢様部って高見だよね」
と言ってきたので、隠す義理もありませんし、すべての起源も遡れば彼女なのでその通りだと話すと、
「じゃあ手伝う」
と話したのです。ちょうどフォロワーが一万人を超えた頃、三人で藝大お嬢様部の形ができます。

また、若いのに非常に厭世的な先輩が知り合いにいて、よく一緒にお茶を飲んでいました。先輩はSNSは情報収集用のインスタしかやってなかったので、直接的にこの部の存在は知りませんでした。ですが映画や文学の知識が尋常ではなく(おそらく非文学部生の中では日本屈指の読書家だと思われる)、恐怖を覚えるくらいのもので、よく質問箱に届く難しめの質問をさりげなく氏に話して、その回答を引用して送付するということをしていたのです。

先輩は2023年ころから放浪の旅に出ており、たまにしか会えません。一応「お嬢様部」というのがあって、少しあなたのコメントを引用させてもらっているとはだいぶ前に伝えていますが、現にあまり関心がないようで、お好きなようにという感じでした。今も日本か世界のどこかを放浪しているのでしょう。飄々とした真の貴族でした。

この三人+オブザーバーを核としたのが藝大お嬢様部になります。四人の共通のラインが作られ、届く質問をそこに投げると、それぞれが答えを投げてくれるというシステムが完成します。それでも無理なものは各自の友達に聞いてという形をとりました。結果的にこの部に関わってくれた藝大生は10人ほどに上るでしょう。ある種の集合知としての機能は果たせたのではないでしょうか。感謝してもしきれないほどです。当然ながら四人とも「あなたがお嬢様部の中の人?」と聞かれたことがあります。

ですが四人で会ったことは一度もありません。おそらく皆、互いが好き勝手に投稿するツイートと、執事ポジションの私を通じてしかそれぞれのことを知らないように思います。そのような変わった部活動というのが、正体です。2022年秋からはほぼ完全にこの体制で活動して、一切変化はなかったように思いますが、こうして私含め4人とも修了したことにより終わりという話になります。すぐに質問箱とDMに数十もの続行してくれという声が届いていたので、続けることになりましたが、目立つ「藝大」の看板は取った方がマナーとして健全という話になりました。

数学好きの友人が言っていたこの集団のように、ひとりであるように見せて同じ大学の複数人で結成した人格を運用する、という方針が出て賛成されたのですが、いい名前がなかなか思いつかないと言うときに、奈良の彼女が、
「原点の高見温でよくないか」
という話で満場一致で決まりました。

ブルバキは少しずつ実は複数人であるのではということが噂されて、実際そうだったのですが、それとは時代も違うし逆の考えで行こうということになります。
シェイクスピアも個人としてのウィリアム・シェイクスピアの周りに複数人いて、総体としてシェイクスピアができているというような話を聞いたことがありますが、そのような感じです。ネタバレですが、既にX(時代の流れ)で告知済みなので、それ以上聞かれても上のようにしか答えられません。

お茶友達たちとの緩い交流で思いついた戯れが、質問回答を通じた集合知的コミュニケーションをの楽しみに憑りつかれ、収拾がつかなくなるほどに巨大化したというのが本お嬢様部の歴史です。もとはと言えば全部コロナのせいですし、それがニュースにもならなくなった現在では、この名前は役目を終えたというように考えております。思い出にしたいのです。

いくつか運営してきたなかで功績とまではいかないですが、藝大の芸術学科の認知度を高め実際に倍率を上げましたし、紹介した本は再版や重版が決まってSNS上の賞まで左右するくらいの影響力を持ってしまいました。2500ほど未回答の質問が残っていますが、その3分の1ほどはお礼で、中には「自殺を留まった」「大学で美術史専攻にします」「おかげで藝大受かりました」「コレクターになりました」「美術館に寄付してます」と、どこか人生を変えてしまっているようなものも少なからずあり、そこまでの責任は取れないよと思いながらも、やってきた冥利がありました。会ったことのない人たちとのヘンテコなコミュニケーションだからこその楽しみがそこにあったと感じます。

批判してくださった人たち含め、東京藝術大学お嬢様部に関わってくださった全ての人に感謝申し上げます。高見温の由来になった私は環境が変わったこともあり、あまり投稿には関わらなくなるのですが、またこれからもゆるりとよろしくお願いいたします。

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