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「古典的なもの」への警戒

「先生」という得体のしれない怪物的な称号を持つ人から、一度は言われたことがあると思われるセリフ「いいものを見なさい。一級品を知りなさい」は、少なくとも若い創作者にとっては素直に受け取らない方がのではないかという話。

いいもの=歴史的な高い評価を得たもの=古典を知るという教育は、骨の髄まで「温故知新」が好きな日本人には響くものがあるでしょう。素朴な権威主義に委ねることも一概に悪いわけではありません。
実際古典とされているものの中には本当に偉大な要素を含んでいるものもあるからです(大概は教科書のページ数を確保するために名前だけ書かれているに過ぎないが)。

もうひとつの古典への見方として「タイパ(タイムパフォーマンス)が良い」というものがあります。多くの人による歴史の審判を経ても伝わってきたものだから、きっと面白いはずという期待です。

時間の制約上、私たちは片っ端から読んだり見たりすることはできないため、期待値の高いものを最初から手に取るという考えは、かなり現代的な態度のように思えます。

旧来の「内容や精神主義」的な観点と「タイパ」的な観点から古典的なものに触れようとする姿勢がありますが、逆に若いころは古典とは距離を置いた方がよいのではないかと最近考えるようになってきました。

「古典」による創意の揺さぶり

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