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ムブガル・サール『人類の深奥に秘められた記憶』

2023年に翻訳された小説の中ではかなり優れていたと思う、モアメド・ムブガル・サール作『人類の深奥に秘められた記憶』(Mohamed Mbougar Sarr La plus secrète mèmoire des hommes)についての小文です。

モアメド・ムブガル・サール氏 Wikiより

作者は1990年生まれのセネガル人で、パリ在住。本作は2021年にフランス最高の文学賞であるゴンクール賞を受賞し、フランスで65万部の歴史的ベストセラーとなっています。

ストーリー

ぱっとしない駆け出しの若い小説家である私は、1938年に『人でなしの迷宮』で華々しく登場したが剽窃などの醜聞で回収騒ぎを起こし、歴史の闇に消えたエリマンという作家の存在が気になっている。たまたま遭遇した先輩格の女性作家シガ・Dが、エリマンのその本を持っており、譲り受けて読むとますますエリマンの事が気になる。

私はエリマンの軌跡を追い求め、エリマンの同時代の批評家や彼が姿を消した後の行く末、関係者や彼がいたと思われる地へと向かう。パリ、アムステルダム、ブエノスアイレス、ダカール、そしてセネガルの名もなき村へ…。異なる語り手、時間軸も場所も複雑に入り乱れる壮大な捜索が展開される。

謎の人物を探すうちにさらに謎が見つかって、その魅力に吸い寄せられて深入りしていくという、物語的にはよくあるタイプのものです。

本書の魅力は「文学」に対する内省的な言葉で満ちていることと、それによって強靭な軸が通っているため、語り手が変わり時間や場所が飛び移ろうが、引き締まった印象が最後まで持続していることにあります。

感想

①洞察の鋭さ 箴言の奔流

物語に推進力を与えているのは、熱い文学論や政治論を交わし合うところよりは「私」の内省的な呟きの強度にあると思います。箴言を繰り出し続けるモラリスト文学のようです。

偉大な作品は人を貧しくする。必ずや人を貧しくする。偉大な作品はわれわれの無駄な部分を取り除く。読み終えたのち、人はつねに貧しくなって戻ってくる。豊かになってと言ってもいい。引き算によって豊かになるのだ。

p38

これと同様に、対になる概念を巧く絡ませて語る部分として

過去から逃れようとする魂たちは、実際には過去を追いかけているのであり、いつの日か、未来において過去に追いつくものなのだということを。過去には余裕がある。過去はいつだって未来の十字路で辛抱強く待ち受けている。

p457

など、最初から最後までこのような文章が頻繁に出てきます。話を質的に引き締めると同時に、作者の「私の思想を伝えたい」という迫力が全編を通じて表れているのが、本書の魅力です。

大人になるとはいつだって、幼かったころの自分に対して不実を犯すことだ。だからこそ子ども時代は素晴らしいのだ。それは裏切られるために存在するのであり、その裏切りはノスタルジアという、おそらくはいつか、人生の終わりになってから、若いころの純粋さをふたたび取り戻させてくれる唯一の感情を生み出すのだ

p365

ページを開くたびにハッとするような言葉に巡り合えます。

②人はなぜ書くのか

マラルメやボルヘスのような「真の書物」への議論が行われるかと思えば、情けない自虐ネタや呪術的な殺人?などハチャメチャなことが起こり、ジェットコースターが激しいです。

この小説自体が過去の古典作品へのオマージュ、ラテンアメリカ文学などへの愛に溢れているのですが、その節々で「これほど過去に傑作があり、大量の本が書かれてきたというのに、なぜまだ人間は書くのか」という問いが根底に潜んでいます。

ロマン主義的な作家の神話はなく、お金は稼げるわけでもない、名声ならセレブやユーチューバーになった方がいい、本を書くという行為にかつてほどの権威もなくなり…という状況です。

われわれは何もわからないから書くのであり、書くこと以外、この世で何をすべきかわからなくなったと言うために書くのである。

p46

人生をどうやって修復すればいい?書くことによって?物語、書かれたもの。現実との相似性に期待をかけ、言葉が本来持つはずの力を秘めた単語の絶対的配列に助けを求める。それは内面の隔たりを縮めてくれるだろうか?

p61

と書くこと=救済であるという話がまず出てきます。

ただ捜索=冒険をしているうちに、自分の思考や情動がエリマンとその本によって変質していくことに気がついていきます。やがてその変化は主人公の創作の動力へと宿命的に繋がっていきます。

作家は既にある夥しい作品の影響を受けて「作家的思考回路」というものに変質し、応答であれ反発であれ、それによって創り始めるということになります。

要は「これほど過去に傑作があり、大量に本が書かれてきたというのに、なぜまた書くのか」の答えは、実際のところ「これほど過去に傑作があり、大量に本が書かれてきた」からに他ならない、という逆説が示唆されるのです。

人が新たに書く理由は、既にたくさん書かれてきたから。この感覚はものづくりや芸術に関わってきた方ならなるほどというか、うまく言語化されたなという感じです。

個人の意志に発するものでも、その根本には既に書かれたものたちの影があり、個人というよりはもっと巨大な渦の中の現象なのです。それこそ「人類の深奥に秘められた記憶」というものかもしれません。

既に先行作品によって耕されて土壌が豊かであることは、ビジネス上のレッドオーシャンではなく創造の母体であり、人は書くことによってその土壌に加わる営みを延々と続けてきて、それはこれからも続くという予言のようなものが、最後の行に凝縮されていると思います。

それは美術も同じで、なぜこれほど過去に傑作があり、大量に絵が描かれてきたというのに、なぜまた描くのか、の答えも文学のそれと繋がります。既に傑作が大量にあるからこそ描くのです。

よく絵描きが美術史の中に属したい、美術館に収蔵されたいと言う心理はまさにそれで、意識無意識関わらず過去の作品の出逢いによりその世界の一員になり、描くことによってその世界そのものになりたくなる衝動が全てです。

金を稼ぎたい、エリートに見られたい、有名になりたいなどで作家や芸術家になるのは、本書の中にもあるように時代錯誤で馬鹿馬鹿しいことです。創作意欲や情熱といったものの奥底へは向かえません。

しかしそれでも人はなぜ創るのか。究極と言っていい問題のひとつだと思いますが、著者はそのひとつの回答を示しています。  

まとめ

ここでは「書くとは」という、内容を中心に述べてきましたが、アフリカ出身の黒人作家がパリの白人の文壇で評価されるということの微妙な関係だったり、政治闘争と文学、ユダヤ人の問題など、本書は多くの現代的なテーマを配置しています。

それぞれの観点から読んでみるというのも可能です。優れた小説の持つ多様な面をこの作品も備えていますし、まだ傑作は書かれるのだということを、内容のみならず商業的な成功も含めて本書で証明してみせた意義はとても大きいと思います。

これから長く注目していきたい小説家です。

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