白井聡 本土は沖縄と共に立ち上がれ

このままでは辺野古で死者が出る

―― 白井さんは新著『「戦後」の墓碑銘』(金曜日)の中で、沖縄問題について言及されています。12月上旬には沖縄を訪れ、辺野古に行かれたそうですね。辺野古を訪れてどのような印象を持ちましたか。

白井 第一に挙げたいのは、機動隊や海上保安庁職員などの暴力行為のために、かなり危険な状況が生まれているということです。全国紙でも報道されていますが、彼らに暴力を振るわれて怪我をする人が出ており、中には骨折した人もいます。

 私が辺野古を訪れた際も、機動隊との間で緊迫した場面がありました。辺野古ゲート前の幹線道路を通行しようとした米軍の軍用車両に対して、抗議者たちがそれを阻止しようと立ちはだかりました。すると、機動隊員たちがわらわらと走ってきて、少し揉み合っていたようです。辺野古ではこのような応酬が日常茶飯事となっています。

 また、辺野古では法的に疑問のある逮捕も行われています。例えば、沖縄平和運動センターの山城博治さんが、罪状が定かでないまま逮捕・拘束されるということが起こっています。辺野古周辺はいわば「法の外」に置かれているのです。

 それ故、現在のような状況が続くようなら、今後何が起こってもおかしくありません。私は落命する人が出てしまうのではないかということを非常に危惧しています。

 もう一点、今回沖縄を訪れてわかったことは、日本のデモクラシーに対する沖縄の最後の期待が崩壊したということです。沖縄は県知事選挙によって翁長雄志知事を誕生させることで、辺野古新基地建設反対という民意をはっきりと示しました。しかし、それでも安倍政権は辺野古の工事を中止しようとしませんでした。

 そこで、翁長知事は辺野古の埋め立て承認を取り消すことで、さらに明確に基地反対の意思を示しました。しかも、承認取り消しに当たっては、法理的に万全を期すためにかなりの時間をかけて丁寧な検証を行っています。沖縄側としては、安倍政権も民主国家という建前がある以上、正規のプロセスに則ったものであれば耳を傾けざるを得ないと期待していたのだと思います。

 ところが、安倍政権はそれでも蛙の面に小便なわけです。そのため、沖縄では日本に対する幻滅がますます強まっています。このままでは、沖縄はいずれ安倍政権ならびにそれを成立させた日本人と決定的に決裂します。そうなれば沖縄の人たちの間で「自分たちは沖縄人だ」あるいは「自分たちは琉球人だ」という意識がいよいよ強くなり、独立を志向し始めると思います。

―― 本土では、沖縄独立論は「居酒屋独立論」だとして、酒場談義くらいにしか考えられていません。

白井 それは沖縄を馬鹿にし、「どうせ独立などできるはずがない」と高を括っているからでしょう。しかし、世界を見渡せば、沖縄よりも少ない人口や小さい経済規模の独立主権国家はいくらでもあります。沖縄独立論は決して絵空事ではないのです。

沖縄は「永続敗戦レジーム」の決定的構成要素だ

―― 白井さんは沖縄で行った講演で、沖縄は「永続敗戦レジーム()」の決定的構成要素だと指摘されています。この点について詳しく教えていただけますか。

*編集部註:白井氏の著書『永続敗戦論』(太田出版)のキーワード。アメリカから敗戦の責任を免責してもらい、敗戦の事実そのものを曖昧化することによって権力を維持してきたが故に、際限のない対米従属を続けなければならないという日本の権力構造の在り方。

白井 日本はアメリカとの戦争に敗れた結果、アメリカの支配を受け入れざるを得なくなりました。その時日本に流入した「アメリカ的なるもの」には、二つの側面がありました。

 一つは、「暴力としてのアメリカ」です。これは占領軍や米軍基地という形で流入してきました。それは「もし言うことを聞かないならもう一度痛い目に遭わせるぞ」と言外に言っているわけで、極めて強圧的な存在でした。

 しかし、暴力一辺倒では日本人から嫌われてしまうので、統治は上手くいきません。そこで、アメリカは日本から好かれるためにもうひとつの統治手段を持っていました。それが、もう一つの側面である「文化としてのアメリカ」です。これは物質的な豊かさやポップカルチャーという形で日本に怒涛のように流入しました。

 戦後、本土では時間が経つにつれ、「暴力としてのアメリカ」がどんどん後景化していきます。それは、「暴力としてのアメリカ」を「文化としてのアメリカ」へと回収することに成功したからです。例えば、米軍基地は「福生発のカルチャー」や「横須賀発のカルチャー」というように、暴力性を脱色されて文化として消費されていきました。

 しかし、本土で「暴力としてのアメリカ」が不可視化した最大の理由は、その大分部を沖縄に引き受けさせたからです。本土の日本人が「永続敗戦レジーム」を見ないで済むのは、まさに沖縄のおかげなのです。私が沖縄を「永続敗戦レジーム」の決定的構成要素だと言うのはそのためです。

 この観点に基づけば、安倍政権が普天間基地の跡地にディズニーリゾートを誘致しようとしている理由がはっきりします。「暴力としてのアメリカ」と「文化としてのアメリカ」は、それぞれ「海兵隊としてのアメリカ」と「ディズニーランドとしてのアメリカ」と言い換えることができます。要するに、本土ではディズニーランドで遊ぶことで海兵隊を忘れることができたので、沖縄にも同じ手法を適用するということです。実に人を舐めた話だと言えます。

―― 11月9日付の琉球新報に、普天間返還を主導したモンデール元駐日アメリカ大使のコメントが掲載されています。彼は普天間の移設先について、移設先は日本側の決定だったことを強調しています。これはまさに「永続敗戦レジーム」そのものだと思います。

白井 そうですね。日本の支配層は自らの対内的権力を維持するために、対米従属を続けなければなりません。そのため、「アメリカは辺野古に移設したがっているに違いない」とアメリカの意思を忖度し、移設先を決定したのでしょう。

 しかし、それが本当にアメリカの意思であったかどうかは疑わしいところがあります。また、日本の意思表示によってアメリカの意思が変化することだってあり得るわけですから、予めアメリカの意思を忖度すること自体が間違いです。

 実際、1995年に起きた米兵による少女暴行事件や、2004年に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件の際には、アメリカは普天間基地閉鎖を始めとして、かなりのことを覚悟していました。彼らがそこまで追い詰められていたということは、日本にとっては交渉力を最大化するチャンスでもあったわけです。もしこの時アメリカときちんと交渉を行っていれば、1995年か2004年に普天間基地が閉鎖されていてもおかしくなかったと思います。

 ところが、普天間基地はいつまで経っても閉鎖されることはなく、それどころかいつの間にか普天間基地を閉鎖するなら代替基地が必要だということになり、その代替基地のプランもどんどん巨大化していきました。アメリカの意思というよりも、日本側がアメリカの意思を忖度した結果、このような状況が生まれてしまったのです。それほど「永続敗戦レジーム」は根が深いということです。

本土は沖縄と共に立ち上がれ

―― 安倍総理の掲げた「戦後レジームからの脱却」というスローガンは、アメリカから独立するという意味だったはずです。そうであれば、沖縄の米軍基地を軽減・撤廃する方向に動かなければ、整合性がとれません。

白井 私も「戦後レジームからの脱却」というスローガンを聞いた時、安倍総理には何かしら肚があるのではないかと思ったことはあります。彼には屈折した反米感情もあるので、卑屈さに輪をかけた卑屈さを見せながらも、実はどこかでアメリカから自立する機会をうかがっているのではないかと観察していたこともあります。

 しかし、ここ数カ月で結論ははっきりしました。彼には何もありません。驚くほど何もありません。彼にあるのは「アメリカのご機嫌をとり、アメリカから認めてもらって首相をやらせてもらっている僕って凄いじゃん!」という、ただそれだけです。

 それは安倍総理の沖縄問題への対応を見ても明らかです。彼はややこしい問題にはタッチしたくないから、全て菅官房長官に丸投げしています。まさに救い難い、目を覆いたくなるほどの責任感の欠如、これこそが彼の本質です。

―― 沖縄に対する無責任や無関心というものは、安倍総理だけでなく本土の人々にも見られます。

白井 物凄く大雑把に言えば、本土の人々の50%は沖縄の問題に関して無関心です。残りの50%は関心がありますが、その半分は「気の毒だ」という同情的感情を持っており、残りの半分は「沖縄にはろくな産業もないから基地でも押し付けておけばいい」という差別的感情を持っています。

 無関心と同情と差別的感情を比べれば、一番ましなのは同情です。しかし、同情は他人に対してしかできないことなので、所詮は沖縄問題を他人事として捉えているということです。それではダメなのです。

 沖縄で起こっていることは決して他人事ではありません。矢部宏治さんが『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)で指摘しているように、米軍機は日米地位協定その他の取り決めによって、高度も安全も何も守らず日本全国の空を飛んでよいことが法的に認められています。それ故、本土でも沖縄のように米軍のヘリが落ちるということがあり得るのです。現在の沖縄の姿は実は本土の姿なのだということをしっかりと認識しなければなりません。

―― 本土に住む我々は沖縄問題に対してどのように対処していくべきですか。

白井 沖縄は今、アメリカを向こうに回して必死に戦っています。アメリカという巨大な敵に真っ向からぶつかっています。これはまさに「永続敗戦レジーム」に対する挑戦だと言えます。

 こうした姿を突き付けられた時、本土の日本人はどのような思いを抱くでしょうか。彼らの勇敢さを見せつけられた時、自分たちがいかに卑怯で臆病で情けない人間であるかということを感じざるを得ないのではないでしょうか。そうであれば、本土もまた沖縄と共に立ち上がり、本当の意味での独立を実現するために「永続敗戦レジーム」と戦うべきです。私もまたその覚悟でいます。

(『月刊日本』2016年1月号より)

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