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昭和より今が断然生きやすい、というお話

去年あたりにインスタに上げた記事で、「#私を構成する42枚」というハッシュタグについて、記事を上げました。

もう、ここでは42枚のCD全ての紹介は省きますが、その中に1枚、徳永英明のAlbumで「Realize」という作品があります。
徳永英明のボーカル自体はすごく好きでしたが、特に海外でミックスされ、シンセサウンドと打ち込みが中心になったこの作品は、僕の音楽嗜好との相性がバッチリで、かなり一緒に歌い込みました。これを一番聴き込んだ思春期には、本気でハスキーボイスになることに憧れたりしたものでした。
その辺を踏まえて、本編の方に行きたいと思います。

yamaに自分の存在を重ね合わせる

本当に最近の話なのですが、つい最近、yamaという若いアーティストの存在を知り、その人のライブとも、MVとも、ドキュメンタリーとも限定できない、それが1つになった映像作品を、いつもお世話になっている音楽酒場ブギさんの方で見ながら飲んでいました(ソフトドリンクですが)。

ステージに立つなり逃げだす、というところから始まるその映像は、ある程度年齢を重ねてしまった自分から見ると、「演出」の意図を汲み取りながら見てしまう嫌な側面もあるのですが、歌うときは仮面をつける、全く生活の匂いがしない、歌声から年齢や性別すら判別できない、と言ったミステリアスさに衝撃を受けるというか、ある意味、自分の中で既視感がありました。

まずステージから逃げ出す、という行動。これについては休職についての件で書いたように、職場でのパニック発作事件を思い起こさせる一幕でした。
あれに近いこと、もしくはもっと周囲の大人たちが困ることを職場でやってしまったが故、あの「演出」には、かなり既視感を感じました。実際、今も、いつ自分がああいう行動を起こすかわからない不安を日常的に抱えながら生きています。

そして、人物像が見えないというところ。現在も配信中である「目眩」という楽曲について、このNOTEで書いたときに、Yu Katsuragiの性別設定が「ノンバイナリー」であることをお話した訳ですが、生活感が見えない、素性もよくわからない、年齢、性別さえ判別不能、その上、自己肯定感の低さ故の仮面などの自己表現方法といったものが、僕自身がYu Katsuragiとして実現させたかった音楽の表現方法をとことん突き詰めたものに共通していたものだったことに「既視感」を感じたのです。

そこで一緒にその作品を見ていたブギのマスターKUROさんから
「葛城悠(Yu Katsuragi)は、まだ早かった訳やね。」
という言葉をもらうのですが、それはもう四半世紀以上前から付き合いがあり、ステージや曲を聴いてもらってきた方で音楽仲間だから、という部分もありますが、正直、その言葉をもらえたのは、僕というかYu Katsuragiをきちんと理解してもらえていたことが嬉しかったのです。

僕がKUROさん達と一緒に音楽活動を始めたときは、そういう実像が見えにくい上、男性でも女性でもなく、あるいはゲイでもレズビアンでも、バイセクシャルでもない判別不可能なアーティスト性に対し、風当りが強く、なかなか理解が得られなくて、どうやって爪痕を残すか試行錯誤し(今もしていますが)、常に「生きづらさ」と共に表現のしづらさも付きまとっていた中での音楽活動でした。僕はYu Katsuragiを通して、自分を確立したい思い、自分の「あるべき姿」を取り戻したい気持ちで、自己肯定感が低いなりに必死になっていました。

正直な気持ち、多少「行き過ぎ」な部分があるとも感じながら、今の「多様性に理解を示そうとする姿勢」に向かっている現在の世相にありがたさを感じると同時に、この時代に10代や20代といった若い時代を過ごせる人達を羨ましく思います。自分が10代20代の頃には得ることのできなかった「生きるヒント」がそこら中にあって、容易に得ることができるのだから。

「Dialogue 1991」は誰との対話か

ここから、アルバム「Dialogue 1991」以降の作品のついてのYu Katsuragiの話になります。
yamaの歌声というのは、一般的には女性シンガーのキーで歌っていますが、ときには声変わりする前の少年の声のようにも聞こえたりして、すごく透明感が増す瞬間がところどころにあります。
Yu Katsuragiの中の人である僕自身は、思春期に変声期を迎えてしまった男性であるため、どうしてもクリアできない声のクリアさ、自分のイメージの中にある声と、出てくる声とのギャップに悩み苦しんできました。今も中の人自身が一番抗いたいところである「加齢」という要素とも格闘を続けていたりします。

ただ、一度その苦悩を「無し」にしようと思った時期がありました。

それが「Dialogue 1991」を作るきっかけの1つになったのも事実です。

そこで自分自身の悪いところである「他人軸」が登場する訳なのですが、今まで作ってきた自分の作品、Yu Katsuragiの声が「気色悪い」という評価を受けた過去を思い出し、もしかして、自分の作品に対して、そういった否定的な評価が大半なのではないか?と、しきりに他人の評価を気にする思考で頭がいっぱいになったのが理由で、自分の「個性」を否定し「コンプレックス」にしてしまうことで、Yu Katsuragiの「設定」を「変えたい」気持ちが出てきました。

そこで僕は、Yu Katsuragiと中の人とのギャップを埋めようとし、「男性ボーカリスト」になることを試みるのです。「Dialogue 1991」の「Dialogue」は「対話」という意味になりますが、以前の記事でも書いたように、自分一人プロデュースからの脱却を意味するために、他のミュージシャンの参加を受け入れて、アルバムの世界に共存した、という意味での対話の他に、まず、Yu Katsuragiと、その中の人との対話というのが隠しテーマになっています。つまり男性である中の人がボーカリストとして降臨したのが「Dialogue 1991」なのです。

「男性」になるために必要とした「モノマネ」

しかし、「ノンバイナリーな声質」が今まで自分自身の声質と思って、自分自身の声を作ってきたので、なかなかYu Katsuragiの「男性ボーカル」というイメージが沸かずに、自分自身の声がわからずにいました。
そうした中で、僕はあるアルバムにヒントを得ます。それが#私を構成する42枚の中の1枚である冒頭に書いた徳永英明の「Realize」なのです。

今の音楽シーンの男性ボーカルのキーは信じられないくらい高くなっていて、たぶん昭和40年代~50年代に比べると1オクターブ半くらい高くなっていると思いますが、徳永英明のキーも「Realize」をリリースした80年代後半にしては、かなり高めのキーで特徴的でした。
そのことがヒントになり、Yu Katsuragiの中の人と「男性ボーカル」のイメージとのギャップを埋めることになります。

「Dialogue 1991」に収録された曲で一番最初に作った「スパイラル」という曲の仮歌の段階で、徳永英明の「Realize」の曲を歌い込んでいた時を思い出して歌ってみたところ、それが見事にハマり、仮歌どころかOKテイクになり、現在聴けるのも、そのテイクが使われています。たぶん、そのテイクを上回るテイクで歌うのは今後絶対不可能なのではないか、と思っています。

そこを皮切りにアルバムの収録曲をどんどんレコーディングしていくうちに、「男性ボーカル」のYu Katsuragiが確立していきました。

「Dialogue 1991」の制作過程の中で作った「秘密のロマンス」では、やっと中の人の「素」の声で歌えた曲になった感じがします。

製作途中だった「Dialogue 1991」を聴いてもらった感想の1つとして、「なんか声が野口五郎っぽい」という自分の中では全く想定していなかった的外れな感想を聴いたりもしましたが、それもある意味、Yu Katsuragiが「ノンバイナリー」なシンガーではなく、「男性ボーカル」として認識された証拠なのだと思います。

そういった経緯があったからと言って、Yu Katsuragiの設定である「ノンバイナリー」の部分が無かったことになった訳ではないことは断言します。
「それ」は「それ」、「これ」は「これ」、曲によって使い分けることができれば、別にそれでいいかな…と今は思っています。
まず、自分の中にある「イメージ」を第一にして、それに近づき、その声を出すこと、つまりイメージの放出を最優先して、今後は曲作りやステージ歌うことを楽しんでいければいいな、と思っています。

とりあえず、自分のキャラ、人格を否定される恐怖、不安といったものからは、音楽をやっている間だけは考えずにしておこうと思っています。

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