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ゲンバノミライ(仮) 第56話 遠くからのエリーさん

窓を開けると、鮮やかに朝日が差し込んできた。冷え込む時期に入ったが、こうやって日の光を浴びると温かい気持ちになる。
垣田エリーは、酸味のきいたブラックコーヒーを一口飲んで、いつものように設計システムを立ち上げた。担当する大型複合施設の規模縮小に向けた設計変更作業が、大詰めを迎えていた。
海辺の街の復興に向けて、構想立案から調査・設計、施工、その後の運営までを一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)で、建築設計リーダーを務めているが、遠く離れた都会にある自宅が職場だ。

大型スクリーンで、設計図書と3Dモデルを一通り見ていく。
仕上がっている。相変わらず仕事が早い。
仕事を終えて、夕飯を食べて、ゆっくりと眠って、朝起きると作業が次に進んでいる。本当に無駄がない。心身ともに、本当に楽になった。昔のブラックな働き方は、いったい何だったのか。そう思う。

「オープンアーキテクト」と呼ばれる形が定着して、建築設計の仕事は大きく変わった。
BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)と呼ばれる設計システムが、データ統合のプラットフォームとなって、リアルタイムで一つの設計モデルに対して分業して作業を進められるようになった。最初は同じオフィスにいるメンバーで顔を付き合わせながら仕事をしていたが、情報通信網とクラウドが安定した形で構築され、ウェブ会議システムの円滑性が確保されてからは、一気にリモート化が進んだ。

コミュニケーションの面からするとオフィスに集まっていた方が便利な場面もある。大手の建築設計事務所やゼネコンの設計部門など通勤型の業務体制を敷いている組織が残っているものの、かなり少数派になってきた。リモート型ジョブが一般的となった今、就職情報では「通勤型ジョブ」がイレギュラーな条件としてあえて記載されている。そのこと一つをとっても、常識が変わったと改めて感じる。

オープンアーキテクトは、職能というよりも、仕事の在り方を示す概念のような意味合いが強い。建築設計というと、一般的にはデザインを中心にした「意匠系」をイメージする人が多いが、実際には、構造計算で力学的な面から成立性を担保する「構造系」、空調や給排水、電機などの設備を対象とする「設備系」、さらには内装やインテリア、情報通信設備などさまざまな分野に専門特化されている。小さな一戸建てであれば一人で完結できる場合もあるが、大きな建築物や複合的な用途が入る施設などは、多数のプロによる合作となる。

手書きの時代は、一つの場所に集まって議論しながら設計の方向性を定めて、そのために必要な計算を積み重ねて図面に落としていった。だが今は、コミュニケーションツールとBIMを通じて、一つの場所にいるのと同じ感覚で作業を進められる。そうすると、大きな組織に所属していなくても、ビッグプロジェクトを手掛けられるようになる。所属組織の規模よりも、優秀なパートナーと手を組めるかどうかの方が、設計の質を左右する。

プロスポーツは、フリーの人間をスカウトして監督に置き、監督の采配の下で選手が絞り込まれ、試合に臨む。監督に重要なことは、どの組織に所属しているかではない。能力があるかどうかだ。そうした世界と同じことだ。

エリーは新卒で大手建築設計事務所に入り、同僚だった垣田洋一郎との結婚を機に、二人で独立した。その後、新しいリモート分業を模索し、ある程度の形ができあがってきたタイミングに、あの災害が起きた。誰が言い出したのかは定かではないが、オープンアーキテクトという呼称が浸透してきた時期にも重なった。業務効率化を追求してきたことが、復興のスピードアップに求める道と合致し、CJVの仕事につながっていた。

本来であれば、今回の施設の設計は完了しているはずだった。行政施設や災害公営住宅、高齢者介護施設、体育館、商業施設、ホテルなどが入る大型複合施設で、既に工事も始まっている。だが、計画変更を余儀なくされた。

早期復興を目指してきたが、1~2年で終わるようなものではない。時間が経つにつれて関係者の考えが変わっていった。まずは被災者だ。

土地区画整理事業で基盤を整えた造成地に一戸建て住宅を再建しようとしていた人達が、自身の高齢化から長期のローンに不安を覚え、災害公営住宅、要はマンション型の賃貸住宅に切り替える動きが増えた。そうなると、一戸建てのエリアの需要が減り、土地が余ってくる。同時に、災害公営住宅は足りなくなる。

もう一つが経済情勢の変化だった。あの感染症が世界中に拡大した影響で、全世界的に人の行き来が激減し、観光業が大きな打撃を受けた。徐々に戻りつつあるものの、一定期間内に新たな感染症のパンデミック(世界的大流行)が起きて需要が押し下げられるというリスクを、事業計画に織り込むことが必須となった。パンデミックが起きれば、人口集積地から遠く離れたこの街は、客がほぼゼロになる。そうした想定で、事業を組み立てなければいけない。

CJVは、行政と、デベロッパーやゼネコンといった民間企業らで構成するコンソーシアムだ。経済情勢の変化を受けて、投資する側の構成企業から、当初計画に待ったがかかった。
上層階に設ける予定だったホテルを見直すことになった。この施設からはホテル機能を外して災害公営住宅を増やすが、全体の規模は縮小する。

ホテル機能は、一戸建て住宅のエリア縮小で生じた区域に移す。それも単なるホテルではなく、サービス付き高齢者向け住宅をベースとした災害公営住宅と、ホテルとを兼用できる施設にする方針だった。10戸ごとに区画を区切られるようにしておき、ホテルニーズに応じて配分を切り替える。入居者とは定期借家契約を結び、当該住戸がホテルへの切り替え対象となった場合には自己負担無しで引っ越してもらう。その代わりに複合施設側の災害公営住宅よりも安価にする。
感染症が収まっている時期と、そうでない時期とで柔軟に用途変更することで、収益性と施設運用率向上を両立させるのだ。もともとホテルの従業員と高齢者介護施設の従業員を一体で考えていたため、仕事の内容が変わるだけで、人員体制の大きな変更には至らない。

そうした方針転換が決まったのが、ほんの数ヶ月前だった。現地では既に工事が始まっており、全体工期を考えると工事を止めるわけにはいかない。要は「急いで新しい設計をまとめてくれ」ということだ。

もともと当初設計も、早期復興のためにかなりのスピードアップを強いられた。だからこそ、現場に常駐する設計担当の宋静が、垣田夫婦に声をかけてきたのだ。
宋は、かつて勤務していた建築設計事務所の後輩だ。四角いめがねがトレードマークで、真面目を絵に描いたような風貌だ。仕事が正確で、なおかつ速い。実際は茶目っ気たっぷりの陽気な性格なのだが、相手の懐に入りやすくするために、あえてギャップを作っているのだという。

「先輩たちのやり方が正しいのか、ここで試してください」
そんな挑戦的な物言いも、宋の戦略だった。
「受けて立つわよ」と言いたくなるエリーの性格をよく知っていてのことだ。

エリーは全体のデザインを統括するリーダーとなり、チームを編成した。今回は、現地にいる宋のほか、構造設計に長けたアラン、コンピューターによる自動設計を意味する「コンピュテーショナルデザイン」を得意とするジュリア、設備設計のプロである石黒知也、分野横断的に経験豊富なグエン・トゥーをサポートメンバーの中心に据えた。
サポートメンバーには、それぞれ、意匠、構造、設備の各分野で対応できる補助員を当てている。エリーと石黒はこの国に住んでいるが、海辺の街からは離れた都会にいる。アランとジュリアは、昼夜がほぼ真逆の遠い国に住んでいて、ちょうど間くらいに位置するのがグエンだ。エリーと各サポートメンバーは、自分のグループで一通りの作業ができる体制を組んでいて、割り振りを柔軟に変えながら、バトンを渡すように設計に必要な作業を一つ一つこなしていく。それぞれのワーク・ライフ・バランスを保ちながら、24時間体制で設計を進めていく。

それぞれ自分の地域ではリーダーとして活躍する一流の設計者。だからこそ、仕事がスムーズに進む。
そう聞くと簡単なことのように思われるが、実現には大きな壁がある。
パートナーとなる相手をどうやって探して選ぶのかという采配の部分だ。

最適な采配をするには、それぞれの実力と性格を見極めることが不可欠。そのための定量的なデータを集めることが、仕事の成否の鍵を握ることになる。エリーが、この世界で一歩抜きん出ているのは、こうした推進体制を構築できたからだ。それは夫の洋一郎の力によるところが大きい。

当初は夫婦で仕事をしていたが、人材獲得が鍵になると考えた洋一郎は、早々に設計の世界から足を洗って次の一手を打ち出した。それが多額の賞金を懸けた設計ゲームだった。

オーソドックスな建築物と、実現可能性が低いような奇抜な建築物という二つのお題が出される。その設計に必要な作業を分断して、人工知能(AI)が得意分野や実績を踏まえて応募者に割り振り、作業スピードや正確性、創造力を競うのだ。それぞれの参加者の設計成果は、BIMを通じて最終的には一体化される。設計を進める際には、周りの参加者と議論して細部を詰めていく必要性があり、コミュニケーション能力も試される。

参加者は、割り振られた作業に対応可能であれば取り掛かるが、専門外ならパスして別作業を選べる。パスは減点にならない。必要なのは、オールマイティーな素養ではない。担うべき分野における秀でたスキルと、「自分がやるべきではないこと」に対する正確な自覚だ。

同じ箇所の作業を複数の参加者が手掛け、AIが審査する。その結果を踏まえて上位者には得点が付与される。終わったら次の作業に進んでいき、得点を重ねて、獲得点数の上位者に賞金が贈られる。

洋一郎が、クラウドファンディングで資金を募って実現させた。プロの建築設計者がメインだが、賞金獲得だけを目的に参加する人もいる。重要なことは、できるだけ多くが参加して、盛り上がること。100以上の言語に対応しているため、世界中から老若男女が群がる。24時間体制の公式実況には多くの視聴者が集まる。動画配信サイトで勝手に解説する人も増えてきた。参加者はニックネームで呼ばれ、ファンが付いている人までいるから驚きだ。おかげで、建築設計としてではなく、プロスポーツのような感覚で広告を出すスポンサーが世界各国に存在するまでになった。

AIは優劣を判定すると同時に、個々の参加者のスキルや正確を分析する。一定得点以上の参加者は、自身が望めば、オープンアーキテクトのリストにスキルシートが掲載される。このリストは、世界中で販売しており、優秀な設計者を探すクライアントらが参考にしている。

建築設計の分業化の成否は、技術レベルとコミュニケーション能力の可視化にかかっていた。レベルが判定できれば最適な配置が可能になる。そうすれば、設計の質が確保できる。

エリーも当然ゲームに参加している。上位にランキングしているが、1位になったことはない。だが、上位をキープしていれば、優秀な参加者と仲良くなれる。そこで知り合ったメンバーが、アランやジュリア、グエンらだった。今回はエリーが全体を統括しているが、案件の場所によっては、リーダーとサポートが入れ替わる。メンバーも、手持ちの仕事によって変わるため、まったく同じメンバー構成で案件をこなすようなことは皆無だ。

仕事が終われば、クライアントと各メンバーが、互いに成績を付け合って、オープンアーキテクトのリストに反映される。こうしてリストは常に更新されていく。

信頼できる仲間が増えれば増えるほど、仕事の成果が上がり、報酬も増えていく。結局のところ、大事なのは信頼だ。エリーは、プロジェクトが決まると、必ずリアルで会うようにしていた。作業着手の前に現地で集合し、途中段階や完成後にも必ず現地でミーティングを行う。途中段階には、自国以外の場所で集まるようにしていた。

今は感染症のパンデミック(世界的大流行)で難しいが、収まってきたら次のミーティングを開く予定だった。そこで、急きょ設計変更が降りかかってきた。

皆が納得してくれるか不安だった。今回のプロジェクトは終わりかけの仕事であり、皆が次のメインのプロジェクトに軸足を移している。自分たちのミスが原因であれば対応せざるを得ないが、不可抗力の設計変更のため、ドライに断られても当然だった。

実際には、皆が納得して、いやむしろ自分の確固たる意思として、今回の変更作業に力を注いでくれている。

大きな設計変更が生じることを伝えるミーティングで、口には出さないものの、難色を示すような表情を見せたメンバーがいた中で、ジュリアが「トヨトミユキはどうしてる?」と聞いてくれたことが、大きかった。

市川トヨ、吉沢トミ、藤森ユキという、あの街で再び暮らす日を待ちわびる3人の名前だ。設計着手前に現地で開いたミーティングで知り合った。トヨとトミは姉妹で、ユキは幼なじみの友人で、3人はかつて近くに住んで毎日のように仲良く遊んでいた。その仲を裂いたのは、街を飲み込んだ災害だ。

今回の災害が起きるずっとずっと昔の出来事だった。その後に、戦争が起き、この国の経済が成長し、そして地域経済が低迷し、再び、災禍に見舞われた。その3人が、復興を経て、もう一度、昔のように笑顔で日々行き来するようになるはずだった。

長年の農作業で腰が曲がり、元々の小柄な姿がより小さくなっていた。深く刻まれた顔のしわや大きなシミ、がさがさになった手が、これまで生きてきた中での労苦を物語っているようだった。けれども、ミーティングに現れたエリーら多国籍な面々に、底抜けの笑顔で話し掛けてきた。

同時通訳機でやり取りしながら、どんな場所に住んでいるのか、食べ物は何が好きか、仕事は楽しいか、辛いことはないか、そもそも何でここにいるのかなど、たたみ掛けるように質問を浴びせてきた。3人が住む複合施設の設計をすることを理解した後は、「本当によろしく頼むよ」と何度も何度も丁寧に頭を下げていた。

エリーもそうだったが、皆が3人の魅力にめろめろだった。自分たちの祖母のような親しみを覚えていた。あの3人のためにも頑張りたい。そうした思いは皆に共通していた。

プロとしての仕事を誰に届けたいのか。
青臭い話だが、そういう観点は馬鹿にできない。

設計者は、新たな時代を想起させるような大きなプロジェクトやエポックとなる建物を手掛けることこそ大事だと思いがちだ。キャリアアップしていく上では欠かせない視点であることも間違いない。だが、設計者にとっての成果品は、自分の存在価値を高めるための道具ではない。そんな傲慢な気持ちは、必ず透けて見える。

エリーは思うのだ。やっぱり、誰の笑顔が見たいのかを大切にしたいと。
その建物の先にある人や街や暮らし、地域。そうした諸々が幸せになるための手助けになり得るか。もちろん、全員が等しく幸福になるような物など存在し得ない。けれども、そうした理想を追いながらクライアントや建築主に納得される設計に仕上げることができてこそ、プロと呼ぶにふさわしい。

今回のプロジェクトで笑顔を見たい相手を考えると、真っ先にあの3人が思い浮かぶ。それは、報酬など何かを得られるから頑張るということとは異なる力を生み出す。設計の質やスピードに、何より責任感に大きな影響を与えうる。

「トヨトミユキはどうしてる?」

あの言葉は、エリー達全員のエンジンを、もう一度点火するスイッチとなった。
変更した設計をまとめて、工事が進み、完成した頃にはきっとパンデミックも収まっているはず。そうすれば、もう一度、あの街で再会できる。

その日の姿を、皆が頭の中で同じように想像している。その共有にクラウドなど必要ない。

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