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差別語と語源

以前、とある言い回しについて、「語源から考えれば〇〇は差別語ではない! それを禁じるなんて言葉狩りだ!」という主張を読んだことがあります。

語源の問題ではないと思います。

もともとの意味がどうあれ、今この時代において、その言葉がどういった意図で用いられ、その使用が何を含意しうるのか。大切なのはそこではないでしょうか?
少なくともその〇〇という言葉は、2ちゃんやヤフコメ、そしてTwitterなどでは、これ以上ないほどにあからさまな差別的表現として使われています。また、非ネットの世界でも、〇〇を特定の集団を揶揄する言葉として使う人々に、たくさん出会ってきました。
語源がどうあれ、今その言葉が多くの人間によって「差別的意味」を込められて使われているなら、それは差別語なのではないでしょうか。
博識な人が、歴史的、言語学的な知識などを援用しながら「だからこれは差別語じゃない。したがって、使用するに問題はない」などと口にするのを聞いたりすると、「学問を差別を隠蔽するための道具にするな!」と強く思います。それは学問に対する裏切りではないか…と。

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