中世の本質(23)自律の始まり

 双務契約は<自律>という生き方を中世世界に導入しました。契約当事者は契約を結ぶ過程において必然的に契約相手を認め、相手を観察し、相手の立場を理解するようになります、そして契約を履行する過程で自己の力を発揮し、そして場合によっては自らを制御し、契約義務を果たそうと努めます。
 それは自主性の確保です。中世人は大枠で自ら人生を選択できるようになったのです。すなわち中世人は双務契約を維持するにせよ、破棄するにせよ、それは当事者の自由であり、勝手だからです。あるいはどの領主と契約を交わすかという選択権も持っています。
 それは古代王からの解放であり、絶対服従の惨めな生き方からの解放でした。しかしそれは同時に自己責任という厳しい生き方を強いるものでもありました。自律というものの誕生です。
 自律は厳しいものです。単に服従さえしていれば安全であるといった怠惰で卑怯な生き方とは違います。自分の安全は自分で保証する、そして自分の人生に責任を持つ、そのためには自らを厳しく律していかなければいけません。怠惰や卑怯は許されない。古代の超克は自らの超克でもありました。
 そして自律は現代国(法治国)にとって必須なものです。現代国における支配者は法です、国民は支配者である法に従って動きますが、それは各人が自らを厳しく律して動くことです。それは服従行為ではありません、しかし自らの判断で法に従うのです。それは自律であり、順法精神の発揮です。
 今日、日本は安全な国として世界的に知られています。それは日本人が順法精神を培い、誠実さを身につけ、責任感に富んでいるからです。それは数百年に及ぶ双務契約の死活的な履行が日本人を鍛えた結果です。中世が現代をしっかり準備していたのです。ですから日本人がもともと特別な人種であったというのではありません。古代においてはごく普通の人種でした。
 従って中世の有無、そして自律の有無は重要事です。それは国家の形まで決めてしまう、つまり国の形は国民次第で決まるのです。もし国民が自律の生き方を欠いていれば、その社会は順法意識に乏しく、人々は法を守らず、自分の都合で勝手に動き、社会秩序は形成されません。
 そんな世界では血縁や縁故がはばをきかせる、世襲はあたりまえになる、不条理な古代思想が現実を歪める、聖職者が権利、権力をめぐり政治に介入する、そして古代の身分制(カースト制など)が法の上に立つ。その結果、大小の争乱、不正、汚職、様々な事故が日常事として頻発する。(法治国の国民の立場から見ますと)そんな国は到底、法治国とはいえません。
 言い換えれば法治主義の徹底されていない国とはネジがしっかり締まっていない建築物のようなものです。大きなネジも小さなネジもゆるく、適当に締められているからです。建物はいつもぐらぐらしていて、不安定です、そして少しでも横から力が加わると簡単に傾いてしまう、あるいは倒壊してしまいます。すなわちネジをしっかり締めるには自律の働きが必要不可欠なのです。 
 そして興味深いことはこのような無法の国が秩序を確保する唯一の方法は独裁者による支配を招くことです。それは独裁国の出現です。自分たちで秩序を形成できない国民は独裁者に依存し、秩序形成を依頼するしかないのです。
 当然のことですが、そこには<沈黙の秩序>が形成されます。独裁者は専制的に、すなわち暴力をもって国民を支配します。国民は暴力を恐れて口をふさぎ、ひたすら独裁者の定めた法(命令)に従います。言論の自由や報道の自由の認められない社会です。自律の許されない社会です。
 民主国の法というものは国民の合意です、そしてその法の支配を法治といいます。一方、古代国の法とは古代王あるいは特権階級の一方的な命令です。それは人の支配です、人治です。それを法治とは言いません。
 すなわち国民が自律を欠いている場合、その国は混乱、戦乱の地となるか、あるいは独裁者の君臨する古代国(人治国)となるかのいずれかということです。つまり国民は混乱の地においても古代国においても自律を実行できない、法治国とはなりえない、永遠の人治国であるということです。それは哀れなことですが、世界にはそんな国がたくさんあります。
 例えば中国です。中国はいくつもの古代国が2000年間にわたり、消滅と誕生を繰り返した国です。隋、唐、宋、元、明、清と古代王朝は変遷しました。そして隋と唐の間など、古代王朝と古代王朝との間には必ず全国規模の大きな内乱が起きる、あるいは近隣の外国勢が侵入する。地方の反乱は時々、起きますがそれらは朝敵として制圧されます、しかしこの大乱は古代王朝を崩壊させる。そして崩壊後に生じる大小の争乱を鎮め、中国全土を征服する者が中国の新しい古代王となります。そして新しい古代国を樹立する。
 中国史はこうした古代王朝の専制支配と戦国の無法の世とが繰り返された歴史です。つまり中国史には中世国が一度も出現しなかった。武士や騎士は登場しなかった。双務契約は開発されなかった。中世の精神と自律の生き方は生まれなかった。それは歴史事実です。
 一方、日本や西欧諸国においては無法の世(古代国の衰退や自滅)から中世が誕生しました。それも歴史事実です。そこには決定的な違いがあります。
 中国は中世へと進まないのです。過去2000年間、そして今も中国は古代世界の中に生息しています。古代国の堂々巡りで、飛躍が無いのです。日本史でいえば平安時代で止まってしまった状態です。
 昔も今も中国やロシアには古代が淘汰されず、存在し続けています。不平等主義が社会を覆い、片務関係がはびこり、<他者を認める>思想は発生せず、平等主義は誕生しません。そして絶対服従が求められ、自律の生き方は拒まれています。そしてユーラシア大陸のほとんどすべての国はロシアや中国と同じく、今も古代国として存在しています。
 このように自律の有無は国の形を決定しています。そしてそれは現代世界を苦しめています。すなわち世界は二極に引き裂かれているからです。専制主義国(古代国、人治国)と民主主義国(現代国、法治国)とが厳しく対立する状況です。前者はロシアや中国や多くのユーラシア大陸の国々です。これらは独裁国、あるいはそれに近い国々であり、自律の許されない、あるいは自律に乏しい国々です。一方、欧米と日本が後者です。
 19世紀、20世紀の植民地時代に世界は二極に割れました、宗主国と植民地に、です。その二極化は武力によるものでした。しかし21世紀になりますとこの二極はただ存在するだけで異なったもの、そして対立的なものと認識されるようになりました。国の形が根本的に異なっているからです。
 二極化の原因は中世史の有無です。そして自律の有無です。すなわちそれは歴史から産み落とされてきたものです。法治国と人治国との相克は一朝一夕に解決できるものではなく、あるいは政治や経済で臨床的に解決できるものでもありません。
 中世という気の遠くなるような長く、重い歴史の積み重ねが古代国の前に厳然としてそびえているからです。それは悲劇です。世界の二極化はまるで人類にとって癌のようなものであり、人類の宿痾といえます。人類は重い荷を背負ったのです。


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