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065_The Velvet Underground & Nico 「The Velvet Underground」

この作家の小説を読んでいると、大体のあらすじは同じだ。

主人公の「僕」は、なにかしら異質な性質を持ち、ほんのギリギリの隙間で社会との折り合いをつけている。そこでやはり、なにかしら異質な性質をもった登場人物と、なにかしら異質な性質な出来事を(生々しい性描写を絡めて)繰り広げている。

大体いつも取り上げられるモチーフは同じ。淡々とした主人公、大切な妻や恋人の失踪、そこから生じるな大きな喪失感と失望、寓話的に現れる不思議な動物、小人や妖精チックにデフォルメされたキャラクター。現実と幻想が交互に繰り返されて、全ての謎は明らかにされず、結局何が何を表していたのかは読者を煙に巻かれたようにして、最終的に終幕する。

大体起こりうるそれらの出来事はいつもなにか直接的に意味を指し示してくれるような類のものでない。メタファーは、物事の本質をまとわりついた蜘蛛の糸のように絡め取ってしまう。しかし、それらはこの作家の心底の水脈から溢れ出る豊かなインスピレーションの多面的な一部に過ぎない。

現実でもそうだ、人付き合いは自分の心の写し鏡だが、まともな気持ちのときはまともな人がそばにいてくれる。混乱した気持ちでいると、同じく混乱した人たちとの混乱した付き合いと混乱した生活があてどもなく続いていくになる。なんともめんどくさい。そうとも、日常生活は退屈な出来事の連続でしかない。

何かを象徴するような暗示的で不可思議な出来事は自分には起こらない。多様な生き方や価値観が尊ばれる昨今だが、それによってまったくもってこの世は退屈そのものになった。

本を閉じて、僕はアイスコーヒーを飲み干して、氷だけになったコップをテーブルに置いた。今日は何か書こうかと思ったが筆が進まず、結局同じ本を何回も読む羽目になる。だがそうせざるを得ない筆舌に尽くし難い魅力をこの本は秘めていた。緑豊かで清潔そのものの学内のカフェを出て、左腕のApple watchを見る。次の時限まで2時間ほどまだ時間がある。確か、次の講義は現代フェミニズム論Ⅱ。やれやれ、なんともため息が出るタイトルだった。

2時間あれば十分だ、靖子の部屋に行こう。僕は携帯を取り出してLIneを立ち上げ、靖子にメッセージを送った。

部屋を開けると、靖子は眠そうな目をこすりながら、オーバーサイスのグレーのTシャツにホットパンツ姿でドアを開けた。化粧っ気もなく、ブラもしている様子はない。グレイアッシュに染めたミディアムボブの髪型もぐちゃぐちゃだ。あまりにも、無防備な姿だった。
「まだ寝てたのかい。LINE返ってこないから、そうだと思ってたけど、もう2時になるよ」
「うん、昨日、遅番でラストまでだったんだけど」
「腹減ってないかい。何か、作ろうか。パスタとかでよければ」
僕は靴を脱いで、勝手知ったる様子で部屋に上がる。クッションに鞄を下ろして、化粧品が散乱する机の上にとりあえず眼鏡と携帯を置いた。
「何もいらない」
「そう」
僕は頭の裏を掻いて、ホットパンツから伸びる靖子の脚を見やる。
「どしたの、急に来るなんて。何か用?」
「いや。まあ、なんていうか」
「なんなの」
靖子を目の前に、僕はモジモジするのが途中からアホらしくなってきた。こういうのは単刀直入にいうべきことだった。
「君とどうしてもしたくなったので、きたんだ」
「もう何、結局、それ目当てでわざわざ私を起こしたわけ」
「それしか、やることなんてないし」
「まあ、わたしたちはね」
そう言いながら、僕は彼女のTシャツの下から手を伸ばして、自分のそばに抱き寄せる。
「つーか。なんか、せわしくない?シャワーくらい浴びたいんだけど」
「授業の合間に来たから、2時間くらい空きがあって」
「はあ、その間にやろうっての?呆れた」
「あと、1時間半」
僕は性急に彼女の口を塞いで、拙速に舌を絡める。彼女の机に置いてったミンティアの味がする。両手を絡め合わせてそのまま、2人は狭い台所の床の上に崩れ落ちる。

結局、やること言ったらこれしかないのだ。僕ら生きている間の暇つぶしにせっせと従事するしかない。彼女とは付き合っているわけではない。2ヶ月前に彼女の働く店で僕が話しかけて、なんとなく意気投合したような気になって、そしてその後、ホテルに行った。彼女からとても体の相性がいいと言われた。

どれだけ、己の人生の有様に比喩と比喩を重ねても、我が下半身の本能は直接的なものでしかない。小難しい頭の中でも思索よりも、人間の本質は直接的な肉体の快楽を追い求めることにあるんだ、と思わざるをえなかった。そうだ、彼女は男の上で腰を振ることだけは卓越している。

彼女の肉感的と吸い付くような真っ白い体だけを(彼女は特段、おっぱいが大きかったり、特筆に値するボディを持っているわけではない)、これまで付き合ってきたどんな女性よりもたまらないほど求めている自分がいる。だから、ふと授業の間を抜け出して、こうやって彼女を抱かずにはいられなかった。頭の中がそれだけに占められて、このことだけは僕の中で今この時絶対的に真実だった。

終わった後、全てを出し尽くしてぶつかりあった僕らは脱力して、ベッドの上に死体のように体を投げ出していた。
「何、読んでいたの?文庫?」
「ああ、なんか昨日店超暇だったから読んでたの。店長もキャバクラ行ってたし」
「もうほんと、あの店、みんなやる気ないんだね」
「みんな腰掛けなんでしょ」
「田屋美智子か、面白いの」
「たぶん、面白いと思う」
「たぶんって?なんで?」
「うーん、私やっぱり馬鹿だからさ、これが世間で面白いものなんだって、思ってても私の感覚と違うこともあるし。大学とか行っているアンタとか違ってさ」
「別に僕も君も変わらないよ。でも、靖子も本好きだよね」
「できることならね、ずっと本読んでいたいのよ、1日中でも、ずっとどこかに籠って。でも私、本は好きだけど、それ以外の数学とか壊滅的にダメだったから。がっこのセンセの話とか、よくわからないの、マジ何言ってるのか」
ベッドで僕の腕を枕にしながら、靖子は気だるそうに目を閉じた。僕の見立てだと、靖子はたぶん思考するのに軽い障害か何かあるのだと思う。普通に話す分には何の問題もないのだが、特に数字に関する点は本人の言うとおり壊滅的だ。数字や数式の扱いや、考えて答えにたどり着く推論が苦手な学習障害を算数障害という。たとえ1+1=2という数式自体は覚えることができたとしても、概念として○+○=▲というものを、彼女の頭の中で一般化できないのだろう。

だから、彼女は勤めているガールズバーでも基本的に接客だけに従事していて、レジ仕事はやらさせてもらえないのだという。彼女に言わせると、数字の世界はどこか、ウサギや熊などの獣の世界の言葉を無理やり人間語に訳して語っているようにしか聞こえない。その時はみんな人間の体に、顔だけ獣のおかしな人たちが喋っているように見えるという。不思議な比喩をするなと思った。靖子の見えている世界の中では、数字だけは獣たちの言語であって人の取り扱うべきものではないということ。それは何かを暗示しているのかもしれないと感じた。

「できたら、私もね、大学とか行きたかった。本とか小説の勉強したかったな。そして自分でも書いてみたいと思ってた。でも私、父親もいないしね、仕方ないの」
「仕方ない、か。じゃあ、来てみれば、うちの大学」
僕は彼女の顔を振り向けた。
「キャンパスとか綺麗だし、図書館も本いっぱいあるし。いるだけだったら、別にバレないよ」
「いいよ、そういうの、なんかむなしいし。結局、味わうだけで私とアンタたちは別の国の人だもん。K大の女子大生とか見るだけで、もうたぶんうんざりするわ」
深くため息をついて、服を着た靖子は体育座りに膝を抱えて、机の上の午後の紅茶のペットボトルを口に含んだ。
「早番だから、そろそろ出勤して店の準備やらなきゃ」
「うん、僕もいくよ」
「はい、よかったわね、スッキリして」
「だって、君としないと、僕もたないんだもん」
「K大生なのに、やることしか考えてないのね。何のために大学行ってるの」

何のために大学行っているだろう。大学に戻るバスの中で座っている僕の頭の中で、彼女の言葉が振り子のように行ったり来たりしている。ああ、その通りだ。自分は何のために、何を学ぶために大学なんか行ってるのだろうか。彼女が決して行くことができなかった大学で、哲学や現代思想などをいくら聞きかじっていても、自分の存在がこれ以上、マシなものになるとは到底思えない。結局は彼女の体を求めることしか考えていない自分は、靖子の世界でいうところ、真っ当な人間の皮を被った獣以下の存在だった。

彼女に渋谷のガールズバーではなく、この大学の図書館で好きな文学を読んで過ごしてもらっておいた方がどれだけ意味があるだろうか。自分がこの世の中でなんて意味もなく矮小な存在なんだろうかと思った。そして結局、僕は次の講義は出ることもなく、自分の家に帰って彼女の白くきめ細やかな肌の質感と柔らかい肢体を思い出しながら、自慰をしてそのまま果てて寝てしまった。




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