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013_FIVE DEEZ 「Koolmotor」

もうあれは5年前だ。業界の音響関係の知り合いの依頼で、私はPAとして、あるヒップホップユニットの全米ツアーを一緒にまわることになった。PAというのはPublic Address(パブリック・アドレス)の略で、いわゆる放送設備を意味し、しばしば、ライブなどでこれらに従事するオペレータに対してもPAと呼ぶこともある。おおかた自分はこれまでジャズのコンサートスタッフをやっていた期間が長く、そこいらじゃ古参と言われるほうだ。

ヒップホップか。昔、パブリックエネミーが出てきた時に、こいつはすごいなと思ったことがあるが、あれ以降、私は特段ヒップホップはあまり聴こうとは思わない。いかんせん、あの業界自体、ドラッグと女と金にまみれて商業化されすぎていて、初期の先鋭化した黒人的な音楽センスがスポイルされてしまったきらいがある。今、ああいった連中の中で、純粋な音楽性を評価できるような輩がいるとはとても思えない。まあ、そこは仕事だからな。そう漠然と思っていた。

大学卒業後、音楽の仕事をしたいと一念発起し、日本からアメリカに渡った。いろんなツテを通じて、この仕事をやりはじめて、はや10年。たまに日本人ジャズプレイヤーのコンサートの手伝いをする以外に、このアメリカの地で日本人としての自分のオリジナリティを意識する機会などは格段に少ない。しかし、たまに日本語で無性に喋りたい時がある。だから、仕事で日本人と接する機会がある時などは、なるべく日本語を喋るようにしている。

日本にいた時は全然意識しなかったが、私は「ありがとう」という言葉が好きだ。「ありがとう」は、文字通り「有難い」から「ありがとう」なんだよな。深い言葉だ。遠く離れた異国の地で、同じ日本人に対して「ありがとう」と言う機会が自分にとって、有難い。

全米各州のツアーを周っている中で、それはロスでのライブのことだ。これまでもライブに客演する地元のラッパーなどがいたのだが、今回はそれが一味違った。黒髪に黒い瞳、どう見ても、アジア人だった。珍しいな。ヒョロヒョロした体躯で背はそれなり高いのだが、いかんせんジャストサイズの白いTシャツとジーンズが、黒人でマッチョな連中が多いこの界隈じゃどう見ても異色だ。

あんな奴が出て大丈夫か?関係者ではないとは言え、日本人の俺も不安を拭い去れない。しかし、それは杞憂に終わる。いざライブがはじまると、彼は並のネイティブよりも聞き取りやすい英語で、流麗にラップしはじめた。「ヒュー」最初は突然現れた場違いなアジア人を訝しげに眺めていた観衆たちも、途端に見る目が変わる。

このステージに立つっていうことは、それなりのスキルは持っているってわけだ、面白い、まあお手並み拝見といこう。客たちは、そうでも言いたげで、まあ大方が酒をあおりながらの様子見だ。いつの間にか自分は、商売道具の、PAの器材よりも、ずっと彼を凝視し続けている。
そして、彼の流れるような英詩のラップから、その流れから逸脱せずも、急に唐竹を割るように、突然日本語でラップしはじめたのだ。客は、皆おやおや、という顔をしはじめる。当たり前だが、ここにいる人間は私を除いて9割以上が日本語を理解できない。何をやっているんだ、このアジア人は、そんなものを見にきたんじゃないんだ。しかし、私は彼のMCに釘付けだ。驚いたのは、彼の繰り出す妖しさと湿り気を帯びた日本語の響きとその内容にどうしても惹かれる。

衝撃というよりも、最初は違和感が付きまとった。しかし、気付けば頭の中で何度も何度も彼のリリックのフレーズを反芻する。腑に落ちる、という言葉があるが、腑というのは内臓のことだ。彼の繰り出す日本語は、どうも頭ではなく、腹の中の内臓に落ちていく感覚があるらしい。

なぜ彼はいきなり日本語でラップしたのだろう?おそらく、彼は生粋のバイリンガルで英詩のラップももちろんできるし、スキルもそこいらのMCと聞き比べても遜色もないほどだ。今夜の客の中で日本語を理解できるのは私含めごくごく少数だろう。むしろ今まで聞き流していた、ヒップホップ自体のリリック(しかも、日本語)に対し、自分がなぜここまで気になるのかが、逆に自分にとっては驚きだ。彼から、確かな問の軽石を投げかけられ、自分の中の古池に大きな波紋が形作られた。なぜなら彼のリリックというのは、自分が日頃、無性に求めていた「日本語」そのものだったから。

私たちが言葉をしゃべるとき、私たちの口からでた言葉というものに魂が宿り、大きな力が生じるという日本の考えがあることを、本で読んだことがある。これを言霊という。例えば皆で集まって死んだ人のためにお経を唱えること。本当に死んだ人がお経を唱えられて喜ぶかは、生きている人間は決して伺い知れない。しかしそれを皆が信じて、集まってお経を唱えるという行為により、なにかしら皆に感じさせられる力が生じるんじゃないか。自分はそう解釈していた。

まだ日本で中学生のとき、私の祖母が亡くなった。田舎の古い葬式だ。親戚総出で、ただただ葬式は慌しくて、慕っていた祖母の死がまだ現実に捉えられなかった。そこで、寺のえらいお坊さんにお経を上げてもらった。その時、そのお坊さんの唱えるお経を聞きつつ、また自分でもそのお経をたどたどしくも唱えたとき、なぜか不思議と気分が落ち着いたのを覚えている。祖母の死が受け入れられるような、安心と共に静謐な、穏やかな気持ちになり、自然と涙が出た。火葬場でそれを母に言ったら、母も同様に感じていたそうだ。不意にそんな記憶が蘇った。

彼の言葉の一つ一つにこれと似たような感覚を覚える。彼の言葉は彼の確固たる確信から生じた言葉たちであって、そこには小さくとも言霊の力が働いているんじゃないかな。別に超能力みたいとかそんなんじゃなくて、確かな信念を持った人のことばや演説というのは聞いている人の心を動かす。ケネディ大統領とかキング牧師の演説は、幼かったころ、内容は分からなくとも強烈に印象が残っている。それが幼い頃、慣れ親しんだ日本語ともなれば言わずもがなだ。

彼は、間違いなく、日本人として確かな自身の信念からリリックを書いて、そして確かな「日本語」でラップしている。政治、社会、若者、人生、生命、死、人間。生きるうえで、こういった様々な関心事に対し、私は日本人として感じたことを、日本語で喋る書くということが、この異国の地で普通にできているわけではない。アイデンティティとして自分の言葉を持っていない、ということは、果たしてきちんと生きていると言えるのだろうか。彼のリリックを聞いているうちに、無性にそんな不安に駆られる。

ライブが終わったあと、すぐに彼の元を訪れた。あれだけのライブの後なのに、彼は、汗ひとつかいていない。涼しい顔をして「日本人の方ですか?」と問われた。「ああ、とても素晴らしかった。」私は答えて握手する。か細い手だったが、なんとも力強い。彼はアルコールではなく、レモネードを飲みながら、好奇の目を輝かせて、私を見た。

「ありがとう。」そう、有り難い機会だった。私はこれだけを、確かに彼に伝えたかったのだ。

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