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072_Aphex Twin「SYRO」

私はいつも寝る前の、この時間は詩を書く時間に充てていることにしている。

シングルモルトのウイスキーと氷を入れたロックグラスを傍に、部屋に置いた窓際のちいさなデスクでノートパソコンと向き合っている。小さな間接照明がほんのり仄暗い光を私にあてるが、リラックスした心持ちになる。窓からは夜の気配がする。

マンションは12階の特別に眺望の良い部屋を選んだ。近くの河川沿いに大きな整備された緑地を見下ろせるこの眺めが、部屋を選んだ決め手だ。私ももうすでに独身の30過ぎの女だし、中堅家具メーカーの人事担当として、仕事上でもある程度評価はされている。少しばかり、部屋にお金をかけたとしても、格別ばちは当たらないだろう。

この前、妹が2人の子どもを連れて部屋に遊びに来た。妹は心底羨ましがった。この部屋の眺めを横目に、存分に書きものができるからだ。いわば自分だけのプチ書斎といったところか。妹は結婚してもう2人子供がいるが、どうしても毎日家族の世話で時間が取れない。だから、自分の好きなものを書く時間がないのと不満を漏らしていた。

気持ちはわかる。私も妹も、どうしても邪魔されないリラックスして集中できる場所で、自分の作業に没頭したいという言い表し難い欲求を持っている。だから、妹は私と対照的に、朝に小説を書く時間を設けている。朝5時に起きて、夫と二人の子供が起き出す7時前までに創作に集中するのだという。

私は夜仕事を終え、8時には家に着いたあとは自分だけの時間を満喫できる。気ままな独身女性の一人暮らし、簡単に夕食も済ませて、あとは寝るまでこの部屋でひとりで気ままに詩を書いている。誰に見せるわけでもない。ネットに投稿していいね!の数を求めるわけではない、これは、あくまで私にとってひどく個人的な作業。それは妹にとっても同じなのだろう。

最近、こういった自分の思うがままに文章を綴ったりする行為は書く瞑想、ジャーナリングなど呼ばれて心を整える方法として注目されているらしい。それ専用のアプリもあるという。もちろん私にはそんなものは必要ない。昔からずっとやってきているものだから。

おそらく2人とも幼い頃からずっと書きものをしているのだが、不思議と私と妹はお互いの作品を見せ合った覚えなどない。それはつまるところ、二人の暗黙の了解というか、沈黙の中で会話しているというか、それはそういうものだと腹に決めていて、お互いの領分というものをわきまえているのだ。

不思議な感覚だが、ひとつ確かなことがある。私たち姉妹が、こうやって個人的な物語や詩を毎朝毎晩糸を紡ぐように書き連ねてきたことは、間違いなく死んだ母の影響だということだ。母は生前、家で一人でずっと書き物をしていた。父を会社に、そして私たち2人を学校に見送ったあとは、それに没頭していた。

そして、私たち姉妹は確かにそれを知っているだが、これもまた不思議なもので母親が家で一人で何を書いているか、私たち姉妹は気に止めたことはなかったのだ。それは母個人の領域だから、と親と娘であっても、そこには確実に踏み越えてはいけない道路の白線のようなものが引いてあったのだ。

私たちが仲が悪くてよそよそしい家族であったか、というともちろん決してそういうわけではない。同じ家に住む血を分けた家族、陽となり陰となり、お互いを支え合って生きてきた。ただ、お互いのこころのうち、知るべきことは知って、知らなくていいことは知らないでおく。そういう術を、母と私たちは日々自分たちの言葉を綴ることで、編み出したのだ。

対照的に、父はまったく活字を読みもしないし、仕事が終わったら家にいてずっとテレビを見ているような人だった。母親や私たちの書き物には、いたって特段の関心を抱かない。それはそれで、母親にも私たちにも好都合なことであっただろう。

そして、3年前、母親は末期の癌が見つかって、発見から1ヶ月もたたない間にあっという間に亡くなった。たぶん死の直前まで言葉をつづっていたのだろう。押し入れからは、これまで綴ってきた何十冊も分厚い母のノートが出てきた。母の細やかな字と丁寧な文章は、まさにこれまで母が生きてきた証だった。家族で相談して、火葬する時にその一部を母親の棺桶に入れたあげることにした。(なにしろ、何十年も毎日書き綴ったものだから、とんでもない冊数にのぼった)

そして、母の死後、2人で申し合わせたわけでもないのに、私たち姉妹はそれまで中断していたそれぞれの書き物を再びはじめた。私は仕事で、同じく妹も結婚と育児にかまけて、忙しい日々の中で書く時間を無くしてしまっていたからだ。それは間違いなく必然なのだと思う。

亡くなる数日前の母の文章には、私たち家族との思い出との感謝の言葉がいつ果てるまでもないように綴られていた。母はそのつもりなどなかったのだろうけど、私たち姉妹はお互い母の遺した長い長い遺書のようなメッセージを受け取ってしまったのだ。そこに母のすべてが記されていた。母が何を感じ、何に戸惑い、何を求めて生きてきたのか、そして父を私たち姉妹をどれだけ愛していたかが、ノート上の言葉という形を取ってそのままそこに顕現されていた。

「おかしいね、2人して」
「そうだね」

妹とたまに交わす会話は、いつも今はもういない母のことばかりだ。母がこれまで何を書き記してきたのか、私たちはそのすべてを知っているわけではない。ただ、母がこれまで紡いできたメッセージというものは、ノート上の言葉や文章にならずとも、私たち姉妹には確かに届いていた。

そして、私は今夜もこうやってひとりリラックスしながら、ウイスキー片手に書き物を続ける。昼間の仕事の残務や今後の悩ましい人事の案件など、今は頭からすっぽり消えている。書き連ねながら、細かい言い回しや文章の構成にと頭をひねらす。そしてふと手を止めて、時間をかけて、じっくりと噛み締めるかのように書いた文章を読み返す。家族のいない家でひとり書き続けていた母と同じように。そして、私の生み出す文章のニュアンスの中で母と会話する。比喩で妹とも会話する。そしてそれが、私の胸の中を深く深く満たしていく。


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