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164_Super Furry Animals「Golden Retriever」

母親から、親父は死んだことは電話で告げられた。

歌舞伎町でのライブの日で、相方と新宿駅西口前で集合して飯食ってから、さあこれから楽屋に入ろうっていうかっていう、ちょうど10分前に電話がかかってきたのだ。
「良、あの人、死んだんよ」
「え。マジで」
「うん、なんか友彦おじさんに警察の人から連絡あったって」
「あ、そうなんだ」
少し沈黙があった。親父が酒を楽しそうに飲んで、何本もタバコを吸っている場面ばかり脳裏に浮かんだ。
「そうか」
「線香でもあげにいかんとね」
「そやね」
最後に親父の話が出たのは2年前。よくは知らないが、体を壊してどこかの病院に入院しているような話を母が話していたを聞いたくらいだった。同じく友彦おじさんからの話だそうだが、どこまで本当かわからなかった。

少なからず動揺していたのだろうか、相方の豊間に「良、どうした?」と言われて、「いや、別に」と言って楽屋を出て、俺は外でタバコを一本吸った。タバコをつまんだ指がプルプル震えている。豊間はタバコは吸わないのに、何も言わず俺の傍にいる。
「賭けてた馬が落馬したわ」
「何やってんねん。ライブ前に縁起悪いやろ」
「そやな」
豊間は笑った。本当にそう思っているのだろう。察しの悪い奴でよかった。ネタもこれまでは2人で半々で書いていたのが、最近はほぼ俺が書いているし、先輩への挨拶とかも全然気い使えないし、本当にこの先コイツと売れることができるのか不安になる時がある。いい奴ではあるんだけど、芸にキレがない相方に時々イラついてしまう時がある。しかし今日だけはそれも気にならなかった。豊間はどこまで言っても人の良い奴だ。まるで俺の親父みたいに。

お笑い芸人など目指していても、劇場でも簡単に上がれない毎日だ。賞レースなぞ、いっても2・3回戦までというところ。働いている歌舞伎町のキャバクラのボーイもすでに7年目に入り、店の中でも古参の域に入ってきた。今では店の女の子を含めて厚い信頼を得ている。ゴタ消し役として、女の子に絡むどうしようもない客をつまみ出したあと、店先でタバコを吸いながら俺は一体何をやっているんだろうという気がする。

スクールの同期もどんどん辞めていく。飲み友達の他のコンビのツッコミだった崎山が、いつも通り飲みに誘ったら急に長髪を切ってスーツを着てきた。最初はそういうサラリーマン系のコントのネタか、新しいステージ衣装か何かなのかなと思ってたら、さっきまで会社で就職活動をしていたんだとあっけらかんとした表情で言った。もう相方にも辞めることを伝えていると。

俺は面食らった。崎山が社会に戻ろうとしていること、そしてそれが臆面もなくできることが俺は心底羨ましかった。考えてみれば、崎山は大卒だし、両親も芸人なんぞ辞めて家業の会社を継げと言われていることを、酒を飲みながら確か聞いていたのだ。

芸人を目指すなんて、大方社会の道から外れて、どこにも行き場のない人間が行く世界なのだという先入観があったのだが、入ってみれば崎山のような頭のいい大卒の人間もいるし、どう考えたって芸人じゃなくたって十分に食っていけるやつも多かった。

そういう奴は別にお笑いなんかじゃなくていいと思う、どうせ自分の自己実現とか何とかでお笑い芸人にでもなりたかったんだろう。崎山もクラスで一番暗い奴で高校の時は鬱屈した時間を過ごしていたことをよくネタにしていた。本人にとっては不幸自慢に近いのだろうが、別に住む家も普通にあったんだし、自分としてはそれくらいなんとも思わないのだが。残念ながら、俺の場合はそんなんじゃない。

俺は親父は建設工事の会社をやっていたが、バブルの煽りをくらって倒産した。あの当時、そんなものは巷にいくらでも溢れていた。親父は本当に人が良かったんだろう、日本語もしゃべれない外国人労働者をいっぱい抱え込まされても、「みんな何言ってっかわからなけど、いい奴だから。会社の奴らはみんな家族だからな」と酒を飲んで大笑いをしていた。

結局、借金とか相手先とのトラブルだとか、いろんな厄介ごとでごちゃごちゃになって、会社を畳んだあと、俺たち一家は離散した。親父と母親は俺が小学校くらいで離婚してから、住む家も無くなった母親と俺と妹は叔母の家に転がり込んだ。だが、叔母夫婦もその後離婚したので、俺たちは逃げるようにその家も出た。そこからいろんなところを転々とした。

結局、俺は遠い親戚のおじさんの家へ、妹はまた違う親戚の家にいて、母親は軽トラで車上生活している時すらあった。父親はおろか残された家族3人も一緒に過ごすこともできない日々が長く続いた。やっと3人で住めるようになって見つけた家は、居酒屋の2階の倉庫でそこはゴキブリだらけだった。それから俺も妹も虫が苦手だ。

俺が高校生の時だ。ファミレスでバイトしていた時に荷物をたくさん持ったホームレスみたいなおっさんが、「良!」とつぶやいて俺に話しかけてきた。俺は一瞬で親父だとわかった。確かそれも9年ぶりくらいに会ったのだと思う。親父の会社が倒産してから、俺も母親も妹もそれまで散々な生活だったが、それで親父のことが少しも恨めしいとは思っていなかった。俺にとってはいつまで経っても、あの小さい会社を家族だと言って笑っていた、人のいい親父だった。

「妹もおふくろも心配しているし、たまには連絡しろよな」俺も親父にこう伝えるのだけがやっとだった。「うん、うん」親父は両手に荷物を下げて背中を丸めて涙を滲ませながら、俺のことをずっと見ていた。たぶん俺の元気な顔だけでも見にきたかったのだろう。

俺のバイト先に迷惑をかけたくないとでも思ったのか、親父はそそくさと逃げるよう出ていった。店から出ていく際に俺に「お前タバコ一本持ってないか」と聞かれて、俺は「持ってない」と答えた。高校生の息子からタバコをせびろうとしている親父もまあ大概な大人だと思うが、バイトが終わってからもこのことはなぜか、母親にも妹にも言えなかった。それからまた何年か経つ。

結局、その後のライブでは、客の反応はそこまでなかった気がする。大きくスベリもしなかったが、ウケもしなかった。良かったのか、悪かったのか、ライブでの反応というのは決して数字にもならないから、どこまでいっても永遠の謎だ。

楽屋に戻ってから、さっきまでのネタの出来を思い返すたび、そういえばいつも来ている最前で立っているおじさん全然笑ってなかったなと思い出す。狭いハコだから、ステージからは客の表情がダイレクトでわかってしまう。いつもあのおじさんのことを親父と重ね合わせて見てしまう自分がいる。

いつか、このステージの上から、俺のネタを観に来た親父の姿が見れるんじゃないかと思って、これまでお笑いを続けてきた。もうしばらく行方も知れなかった親父だが、俺がお笑い芸人になって売れて有名になって、テレビとかにも出られるようになれば、いつか気づいてくれるはずだ。

見た目も悪くはなかった妹も子役として、幼い頃からいくつも端役をこなして、最近やっと名前のついた役をもらえたとはしゃいでいた。妹も俺も人の前に立つ仕事を選んだのは、別にどちらかが示し合わせたわけではないのだが、やはりどうしても親父のことが念頭にあったのだと思う。

親父の存在が俺がお笑いを目指す大きな理由だったのだが、その理由も今日、途絶えてしまった。それは相方にも誰にも言えずにいる。俺は楽屋から出て、外でタバコを吸う。相変わらずタバコを持つ自分の指がプルプル震えていた。

そういえば、母親から吸いすぎを注意された時の親父の手もそうだったな。今日は偶然にも、タバコを注意されたおっさんが出てくるネタだった。親父へのせめてものはなむけだな。俺は昇っていく煙の先の暗い曇り空を一人眺める。


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