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129_くるり「ジョゼと虎と魚たち」

9ヶ月だけ付き合った年下の彼氏は、大学の軽音楽部に所属しているらしく、音楽が好きだった。同じ居酒屋でバイトしていたので、休憩時間が一緒になった時に、突然好きなんですと言われて、流れで付き合ったんだっけ。正直、経緯はあんまり覚えてないな。それからも、いろんな人と付き合ったし。

当時人気のあったくるりだとかスーパーカーとか邦楽ロックのそういうの。私は彼に勧められるがままに、アルバムを借りて聴いていた。その時は、特に何も感じなかった。ああ、世の中にこんな音楽があるのね、っていう感じ。

彼から感想を聞かれても、せいぜいこの曲のこのギターがかっこいいね、とか、この曲は静かだから寝るときに聞くといいかも、とか、そんなどうでもいい答えしか返せなかった。正直に言えば、なぜこんなものに夢中になれるのか、あんまり理解できなかった。

一緒にフジロックにも行ったけど、音楽が好きで集まっている人がものすごくいっぱいいて、私みたいな半端もんはここにいるべきじゃないなって正直思った。みんな夢中になって音楽聴いてる人ばっかりで。その後、なんとなくその彼とも別れた。

私って、大体いつもそう。車とか、プロレスとか、ラーメン屋巡りとか。付き合った男に合わせて、すごいねーとか、マジヤバいねとか、まあそれなりに好きになって興味があるふりを素振りを相手に見せて。それでも、実はまったく興味ないし、全然好きじゃないの。こう、胸のうちに全然響いてこない。

結局、カメレオンみたいに周囲の環境に合わせて、自分の体の色を変えてただけ。私の体を求めてくる男たちに合わせて、共通の話題として持っておけば何かと便利だし。そうしておいた方が何かとスムーズだし、ふんふん言っておけば余計な軋轢を生まないから。どうせ、男ってたぶん女性が好きなもの自体に興味もないしね。

自分の好きなものの話をして、興奮して、相手もそれが好きだと思っていてくれてると思い込んでいる。男の人って、ホント単純だなあ、と思う。そこまでわかりやすい女の子と付き合えていれれば、そりゃ楽よね。自分の好きなものを当然、女にも許容して欲しい。そんな子供じみた感覚が見え隠れしているんだ。

私がタバコを吸い始めて今だにやめたくてもやめられないのも、二十歳前後の時に付き合ってた元彼の影響だった。地元の祭りが最優先の、荒っぽくてなんでも適当で勢いだけの奴。絶対、お前も祭り見に来いよって言うから、私もわざわざ彼の地元まで見に行った。そしたら、見ているこっちのことなんてほっぽりだして、1日中酒を浴びるほど飲んで、神輿をガンガン担いで、ダウンしちゃってた。

「俺たち、年に1回のこれのために生きているからよ」朦朧とした意識で、うわ言のようにそんなことばかりを繰り返していた。でも夜になると、私とセックスするために、急に元気になって。今考えてみても、いったい、なんだったんだろう、あれは。

本当にあの男は、あの祭りのために生きていたのだろうか。酒飲んで、神輿を担いで、夜は女と交わる。なんて単純な生き物なのだろう。私も、それくらい単純な仕組みでできていたら、良かったのに。でも、こんな話を聞いたら、「お前は男のために生きているんだろう」なんて、誰かから言われかねない。でも私も反論できない。反論する気もない、半分間違いで半分正解だから。

これまで付き合って男どもは、自分の好きなものばかりを私に押し付けてくる。逆に私は私の好きなものを男どもに薦めたことはない、というか、私には好きなものなんてない。そんな、相手にも勧めたくなるほど、夢中になれるものなんてない。男の好きなものや趣味に合わせてきたのも、結局は相手と何を喋ればいいのかが、わからないからなのかもしれない。

なんでそんなに夢中になれるんだろう、なんで自分の好きなものを、相手にも理解して欲しいって思うんだろう。(男は当然、相手の好きになってくれると確信しているし。それに合わせる私も悪いのだけど)それが不思議でしょうがなかった。

他者、特に異性との関係において、答えのない問いを私は持ち続けてきた。30歳を超えて、アパレルの仕事を続けながら、休憩時間には地元の同級生のS N S上でポツポツと見かける結婚式や子供の写真を、なんとなく空虚な目で見つめていた。

マッチングアプリでも、「趣味や好きなもので相手を選ぼう」「共通の話題があるとマッチ率が上がる」と謳っているものが多い。私は正直うんざりした。また男の好きなものの話を聞かなかきゃいけないのか。まだ私にそれをやらせるの。でもそれって、仕方ないことなのかな。結局、私が好きなものなんてないし。

いっつも、家で一人でいるときは、テレビしか見ていない。音楽なんて全然聞かないし。たまにYoutubeを見て、一人で笑ってたりするけど。だからって、「Youtubeを見るために生きてる」なんて言わない、決して。元カレは祭りのために生きていたかもしれないけど、私はそうじゃない。そこに大きな違いがあると思うし。

振り返れば、一人暮らし用1Kの私の部屋の中には、これまで付き合った元彼と関係したものがどこかしこに溢れていた。ゴルフクラブ、ネイティブインディアンのアクセサリー、よくわからないアニメグッズ。相手からもらったり、相手に合わせて買ったり。元カレ同様、私の中ですでに死んでいるものたちばっかりだった。捨ててしまえばいいのに、なんで捨てられないんだろう。ここにあっても、何も変わらないのに。私も、物たちも。

その中に確か1枚のC Dがあるはずだった。その音楽好きな大学生の年下の彼氏と映画を見に行った。彼の好きなくるりが音楽を担当した映画だ。その時に二人で買った映画のサントラ。(その子はなんかよくわからない外国や国内の凝った映画とかが好きで、よく一緒に見に行った覚えがある)確か、まあいい映画だったと思うけど、正直内容まで細かく覚えていない。確か妻夫木が主演で出ていて、かっこいいなって思って。まあ、残っている印象はそれだけ。

でも確か、ひとつ気に入ってる曲が入っている。映画の主題歌にもなって、サントラのアルバムの最後に入っているくるりの曲。なぜか、よくわからないけど、たまに無性に聴きたくなる。その曲を「好きだ」と言っていいのかわからない。別に無くても生きてける、けど、あったら聴きたい、その程度の曲。それって、好きなの?そうじゃないの?

結局、部屋の中を探してもそのC Dが見つからなくて、そういえばC D自体を再生できるものもないことに気づいた。曲名がわからないし、しょうがないのでYoutubeで検索することにした。

そうしたら、偶然、今日はフジロックのライブの配信がやっていた。しかも、くるりがちょうど演奏中だった。なんで、私にこんなタイミングを与えてくれるのだろう。神様に別に感謝する気も起きない。別に私はこのために生きているわけじゃないし、好きなのか好きじゃないのかさえ、わからないのに。

あの曲をやってくれても、やってくれなくなくても正直どっちでもよかった。でも私は淡々とくるりの演奏を聴いていた。たぶん会場には、音楽が好きで好きでたまらない人で溢れている。そこには、私とは決して交わらない女の子もたくさんたくさんいた。




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