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「なにも死ぬことはなかったのに」

母親が子ども二人とともに無理心中して、それを夫が発見した。淡々とニュースキャターはそう事件のあらましを伝え、何事もなかったようにエンタメ特集に話題が移る。

「なんで死ななきゃいけなかったのだろう」

それはそうだ。僕もそう思う。でも、それで死んでしまう人がいるのは事実だ。たぶんそれは、学校に行きたくない小学生のレベルなんだと思う。

「明日、算数のテストがあるから、世界が滅んでしまえば、明日学校に行かなくすむのに」と考える。おいおい、算数のテスト「くらい」で世界を滅ぼすんじゃないと、我々は子どもに言うかもしれない。

しかし今、目の前で死を考えている人はいろんな尺度でその〇〇「くらい」を抱え込みすぎちゃっているんじゃないか、と思う。

たかが仕事「くらい」、たかがお金「くらい」、たかが他人からの悪口「くらい」。その「くらい」でも、その人にとっては十分に死ぬ理由になりえてしまう。それは本人にしかわからない測りえない尺度で、高密度に考えた結果なのだ。

他人が「その人が死ぬ理由」どうこう言える話ではない。それは同じく「その人が生きる理由」を考えるのと同義だ。

戦争、災害、事件や事故。死んだ人と生き延びた人。生と死が毎日、目の前を錯綜する。人が死ぬニュースを目にするたびに「死ななきゃいけない理由」を考えなきゃいけないのと同じくらい「生きなきゃいけない理由」を僕らは毎日、目の前に突きつけられているようだ。

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