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087_Nine Inch Nails「The Fragile」

「悪かったな、急に呼び出したりして」
「気にすんな、お前ともゆっくり話したかったし」
「ああ、俺もだ」
「もう、式場とか決まってんだろ、いろいろ決めなきゃいけないから、大変だよな、この時期」
「まあね、いろいろと。美樹ともなかなか意見まとまんなくてな」
「まあ、とりあえず乾杯」
「ういー」

タカシのどこか浮かない表情を見ていると、やっぱり結婚式の準備とか大変なんだろうかと勘繰ってしまう気持ちがある。それともマリッジブルーってやつか。大学4年間、たかしとはずっと下宿先が一緒だったこともあって、一番同じ時間を過ごした仲だ、卒業して数年経っても、こうやって定期的に杯を酌み交わす。

そして、大学の時から付き合っている娘と結婚する旨を聞いて、大いに祝福をしたのが去年の暮れの話。もちろん美樹と呼ばれる相手の娘のこともよく知っている。その娘と初デートするときのプランも一緒に考えてやって、送り出したのも俺だ。

式ではスピーチはお前に頼むわ、などと盛り上がったのも昔の話で、今のタカシは明らかに何かに悩んでいて、それを俺を共有しようとしている。俺も何かしかの、心の準備をしておくべきなのか。俺も独身だから、何と言ってやればいいのかアドバイスできることがないかもしれない。だが、悩みを共有する先に俺を選んでくれたということにまず感謝すべきだろうか。

「俺ってさ、なにかとややこしい家でさ、前話したよな」
「ああ、お前の親御さんとこの」
「そう、なんか大学行ってる途中にさ、俺下宿変わるかもしれない、って話した時があるの、覚えてる?」
「うん。確か、大学4年の時だっけ?親御さんに変えろって言われたんだよな」
うっすらした記憶を掘り起こすような気分で、その当時のタカシの表情なども思い出した。暗いというか、ひどく虚ろな顔しながら、あきらめるような口調で「もしかしたら別の下宿先に移るかもしれない」と呟いてた。その時は、事情も知らず、もちろん残念な気はしたけど、そんなに深刻な話なんだろうかと訝しんだことを覚えている。何より、その時のタカシの表情がいつも大学で見るものと違ったのを覚えている。

「そう、俺はさ、仲良い友達がいるから嫌だ、って言って結局、下宿移るのはなくなったんだけど、移りたくない理由が他にもあったんだよ」
「他に?」
「そう。その移れって言われてた学生寮みたいなとこって、俺の母親が入っている新興宗教の信者の息子が集まって住むとこだったの」
「え。へえ、あ、そんなのあるの」
俺は話の方向性があまり掴めていない。自分が生まれた場所は港町だから、よく波止場に着く船を見ていたのだが、いつも自分が見慣れていた港に、自分の知らない船が行き交っているのを眺めているような気分だった。

「うん、大学とは別々なんだろうけどね、そういう信者の子ども向けの寮みたいなのがあって、そこなら環境としていいからそこに入れって言われてさ。俺もそん時、ヤバい留年するかもっていう時だったから、母親も真面目にやらせようと思ったんだろうね。まあ、結局、移らなかったけどさ」
「うん」
「まあ、つまり、俺は2世信者ってやつなんだよね。俺は、そんな熱心なもんじゃないけどさ、なんか俺の部屋にもさ、たまにいろいろおかしいもの置いてたじゃん?」
「ああ」
俺は、記憶の糸が手繰り寄せられたように急にいろんなことを思い出した。あれのことを言っているのだろうか。言われてみれば、何か心当たりが多すぎる気がする。確かにタカシの部屋に行くと、そこは開けるなと言われていたクローゼットがあった。たまに、謎の変な笑顔のおっさんの写真というかブロマイドみたいなのをタカシの部屋で見たことある。タカシが母親にメールを打っている携帯の画面を偶然後ろ手に眺めた時に、「写経の用紙は俺の名前書いてすぐに送る」とだけ書いてあった。バスケが得意でいつも明るいタカシと、「写経」というキーワードがまったくハマらなかったのを覚えている。

俺といるときに、たまに母親らしい人物から電話がかかってくると、彼は逃げるようにして俺のそばから離れて、廊下だとか必ず俺のいない別の場所で母親と会話していたようだった。そんなに親との電話を聞かれるのが恥ずかしいのかと俺はその時は能天気に思っていたが、タカシは少し事情が違っていたということだろう。それらひとつひとつはあくまで断片的な記憶のパーツにしか過ぎなかったが、それが今ひとつの客観的なファクトにつながっていった。

「だから、最初はいいんだけどさ、まあ段々と美樹もいろいろわかってくるわけ」
「ああ、その宗教に対してね」
「もちろん、俺も話すよ?こういうのがあって、昔から母親がやってて、俺ももちろん嫌々だけど、しょうがなくやらされてて、みたいな話をするわけさ。でも、アイツも慣れてないからさ、そういうの。やっぱ、拒否反応っていうか、それ私もやらなきゃいけないの的な」
「そうかあ。そら、そうなるよなあ」
俺はさまざま色々な感情や思いを込めて、そう呟くことがやっとだ。そんな問題をタカシが今まで抱えていただなんて。今持ち合わせている俺のセリフは限られている。なぜなら、そういった問題に、これまで俺が直面したことは今までなかったからだ。でもたぶん、タカシは俺に聞き役になってほしいと思っているに違いない。こんな個人的に込み入ったセンシティブな問題を、そんなに多くの人にタカシが共有できるとはとても思えない。人は歳を重ねるにつれて、幼い頃や大学生の時とはまた違った人との関わり方をせねばならない。

「母親にも弱いところがあって」
「うん」
「なんか、父親の仕事がうまくいかない時があって、それで母親にあたっていた時があったの。たぶん、それでその宗教にハマり込んじゃって。俺が小学生の時かな。親戚とか知り合いとかもみんな辞めさせようとしたんだけど、今でもやってて。親父とかももう諦めてるんだけどさ」
「長いね」
「そう、結構、もう15年以上ってくらい。俺もその教会とかいろいろ連れてかれてさ。でもさ、わかんねーじゃん、子供だから。なんで、母さん、こんな一生懸命祈ってんだろ、なんでこんな場所に俺を連れてくんだろって。ほかの信者の子どもとか、見ていて俺と似たような感じだったな」
「そっかあ」

「あ、ごめん、飲み物、何か飲む?」
ふと、タカシは自分が話し過ぎていることに気づいたようで、俺の様子を見て、間合いを切るように飲み物の注文を店員に頼んだ。
「じゃあ、俺、生で。おかわり」
「悪いな、こんな話に付き合わせて」
「いや、別に気にすんな。いろいろあるよ、みんな」
「うん」
「あのな、俺も思うんだけどさ、タカシんとこもそうだろうし、まったくなに問題のない家族なんてこの世の中ないって思うよ。うちはそうだ、って言ってても家族の誰かが、実は心のうちはそう思っているかも知れないしね」
「ああ」
「大学3年の時のカテキョやってた家の子とか、お金持ちですごい家族仲良くてもう幸せそのものの家なんだけど、その子の姉ちゃんだけは死にたいとか言って自殺未遂繰り返してんの。お前にも話したよな」
「そういえば、あったな。お前がカテキョ言った時にそのお姉さんが半狂乱になって暴れてたとき」
「ていうか、うちも、ひどいもん。兄貴が自己破産したって話したよな。家族会議して、どうすんだお前って、親父もマジギレしてさ、あん時はマジで大変だったんだもん」
「ふふ、どこもそんなんだもんな」
「そうそう、どこもそんなんだよ。お前んとこだけじゃない」
「そうだな、わりいな。いろいろ。ありがと、お前に話せてよかったわ」

そう、お前んとこだけじゃない。俺は実感を込めてそう呟いた。何にも抱えていない家族なんてこの世の中にない。宗教の教義とかそういう難しい事情はわからないが、結局最終的にはそういう問題に落ち着くんだ。タカシもタカシの母親も、俺も俺の家族も皆、色々な問題を抱えて生きているんだから。


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