記憶の断捨離⓪-4 ~自己催眠状態の体験記~

記憶の断捨離術は、自分の本当の気持ちと向き合うことで、過去の嫌な記憶に決着をつけて、心を健康にする心理療法です。

前回はついに瞑想から催眠状態に入る方法を説明しました。今回は具体例として、実際に私が自己催眠で解決した過去の出来事を紹介します。催眠療法では、これまで抑え込んでいた負のエネルギーが深層心理から一気に解放されてきます。万が一、読んでいて気分が悪くなったりしたら、すぐに読むのをやめて下さい。



いつものように瞑想をやっても、寝つけない日がありました。身体はとてもリラックスしている様子だったので、自分の脳内でサイコドラマと呼ばれるカウンセリング(後日記事にします)をやってみようと思いました。私が選んだ場面は、中学時代の私が部活で顧問にしごかれているところです。




私には、中学時代から10年以上経っても全く恨みの記憶が褪せない教員がいました。

彼は私が中3のときに赴任してきた体育教師で、所属している剣道部の顧問でもあります。顧問は全国大会に出た経験があり、高圧的で、イきり散らして自我を保つためだけに体育教師になったような人間でした。

当時の私は大将と部長を務めていて、そんな顧問と部員との板挟み状態になってしまいました。部員は、弱小チームでやる気もなく、前年は区内大会で敗退するレベルでした。そんな中、急に要求レベルの高い顧問に変わってしまい、板挟みのストレスから、誰が見てもすぐに分かる円形脱毛症になってしまいました。

14歳で円形脱毛症になるというだけでも異常事態だと思いますが、顧問はそれを見て見ぬふりをしていました。心配もケアも何もしません。指導者失格です。大人失格です。人間の屑です。




そのようなことがあったので、10年以上経って私が社会人になってから駆け込んだカウンセラーと話したときにもその恨みが出てくるなど、何かにつけては顔を出すほど、記憶にこびりついていたのです。

サイコドラマの場面としてこの時代を選んだのも、そのように今までの人生で一番嫌な思い出として残っていたためです。


さて、若干14歳のひたむきで真面目な禿げた僕が、練習中に顧問にいたぶられているシーンがありありと脳内に再現されます。大人になった今の僕は、道場の隅っこでそれをじっと見ています。

こうした"しごき"は、剣道界では鍛錬の一環として広く受け入れられて(極めて悪しき習慣だとは思いますが)、一対一の稽古でよく発生します。通常は、順番を待っている他の部員は、しごかれてんなぁと認識すると口々に「ファイトー!!」と言って鼓舞するのが常識です(鍛錬なので、頑張って耐え抜くことが様式美として求められているのです)。


しかし、そのシーンでは誰も僕を応援しません。


それどころか、僕が蹴飛ばされてコケないように必死で踏ん張った瞬間、1年生の初心者数人が大笑いしたのです。


耳を疑いました。彼らの神経を疑いました。こういう時は応援の声が来て、それがあって初めてこの鍛錬の時間を乗り切る勇気と力が湧いてくるのに、笑い声???

しかも、他人の努力をあざ笑うような行為を、顧問は気にも留めていません。まともな指導者であれば大激怒して然るべきところを、その顧問は僕少年をいたぶり続けるだけなのです。


愕然としました。

愕然としたよなぁ、と今の僕も思い出しています。


いわば"起きて見ている夢"なので、好きに手出しができます。

「こんな屑人間、殺しちまうか? 俺を笑った部員は? 殺す?」

「…………。」

僕少年の当時の感情は、復讐ではないようです。


この辛かった記憶は、恨みや怒りとして溜め込んでいたとばかりに思っていましたから、この反応は意外でした。

では何か。思いつく限りを列挙していきます。



逃げ出したかった? 違う。

この程度のしごきに音を上げる自分の体力のなさに対する無力感? 全然違う。

努力を認めて欲しかった? いや、応援をされたかったわけじゃない。板挟みで俺を苦しめていたコイツらに、応えて欲しかったわけじゃない。

大人から部員にビシッと言って欲しかった? 「お前らこういう時はファイトーっつって全員で応援するもんやろが!!! 恥を知れ!!!」 今の僕が代わりに言ってみる。でもそういう問題でもないらしい。

悲しみ? 絶望? 応援されなくて悲しかった? 少し近いかもしれない。


このシーンは確かに決定的ではあるけど、これ以外にも日頃から、それこそ禿げるほど、色んなストレス要素が積み重なっていたんだ、と思い出す。

そういえば当時の僕は、感情のないアンドロイドのように茫然と過ごしていたような気がする。同級生に禿げとからかわれても、一憂一憂取り合わないように感情のメーターを破壊してしまっていたのかもしれない。

いちいち悲しまなくて済むように、自己防衛本能が働いていた。悲しみという概念そのものが、初めから無い感情として、感じることすらも許されないように、押し殺されていた。



本音は何だったんだろうか?


「誰か僕を分かって!!!」


近い。


「こんなに頑張っているのに、なんで自分ばっかりこんな目に遭うんだ!!」


これだ。


「人の気も知らないで!!!!!!!!!!!!」


今の自分と過去の自分が、やっと共鳴し、大粒の涙が溢れる。


うん、そうだったね。こんなに報われない努力をして、禿げてきたことに薄々気付きながらも、恥ずかしい気持ちからか親に心配かけたくない気持ちからか、隠そうとして抱え込んで、誰にも相談できず、そもそも分かってくれそうな人すらいなかったよね。

日々、ただ辛い出来事がいっぱいあっただけじゃなくて、それを誰も分かってくれなかったことがさらに辛かったんだね。辛さを分かって欲しかったんだね。



ひとしきり泣いた後、催眠の締めの言葉をかけます。

その辛さ、俺は全部知ってるよ。俺は、未来のお前。もう、お前は一人じゃない。何もかも分かってもらえる存在が、胸の中にいるよ。

あんな死ぬほど辛かった出来事があったけど、お前が必死で必死で耐え抜いて、死なないでいてくれたおかげで、今の俺がいるんだよ。ありがとう。

大丈夫、あんな辛い出来事を耐え抜く強さを、お前は持ってる。お前がそれをまだ知らなくても、俺が知ってる。

俺とお前はもう味方。これからは何もかも分かり合える。そう、俺はお前の中にもいて、お前も俺の中にいるんだ。

あの辛かった時期を乗り越えられたお前が心の中にいてくれると思うと、これから先、どんな大変なことがあっても乗り越えられるような気がする。そばにいて応援してくれている気がする。


ありがとう。




今でも、顧問が人間の屑であることに変わりはない。死んだ方がいい人間だと今でも思う。

でもそれは、単なる"事実"なんだ。

顧問が人間の屑であるという事実、それを恨むかどうかは僕の感情。

僕の本当の気持ちは、顧問にどうのこうの復讐したかったわけではないと、気付けた。

事実と感情は、ここに分かたれた。

あの頃の記憶は、今思い出しても嫌な事実は山ほどあるけれど、僕が一人で苦しんでいたという記憶は書き換えられた。


長いこと、閉じ込めててごめんな。




おわり


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