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5日間普通列車だけで日本縦断した話-5日目 (最終回)

こんにちは。ゲンキです。

今回は「5日間普通列車だけで日本縦断」旅行記の最終回をお送りします。それではどうぞ!


~あらすじ~
JR日本最南端の終着駅「枕崎駅」から日本最北端の終着駅「稚内駅」までを青春18きっぷ1枚を使って5日間で走破する旅 (2022年3月実施)。4日目はついに長かった本州を脱出し北海道に上陸。津軽海峡を越え、青森駅から小樽経由で札幌駅までやってきた。永遠に続くように思えたこの旅もいよいよ最終日。果たして無事に稚内にゴールできるのだろうか。

↓1日目をまだ読んでいない方はぜひこちらからどうぞ。



5日目 札幌

自然に目が覚めた。そして何か違和感を感じた。
あれ?昨日いつ寝たんだっけ?

ベッドに荷物を置いてからの記憶がない。というか服も着替えていない。風呂にも入ってない。時刻は5時過ぎだが、スマホのアラームもセットされていない。昨晩は突然鼻炎に襲われてくしゃみが止まらなくなり、それで僕は戦意を失って倒れ込むように爆睡してしまったのだった。そんなんでよく予定通りの時間に自力で起きれたもんだ。もし寝坊していたら…とヒヤヒヤしながら荷物をまとめてホテルをチェックアウトした。

早朝の大通りとテレビ塔

キンキンに冷え込んだ早朝の札幌を歩く。JR日本最南端の終着駅・枕崎から延々と続けてきたこの旅もついに最終日、5日目を迎えた。今日のゴールは最終目的地・日本最北端の駅である稚内だ。
枕崎からの移動距離は既に3000kmに迫っているが、札幌から稚内まではまだ400kmほど離れている。北海道の広さを甘く見てはいけない。

札幌駅

朝6時前の札幌駅。ものすごい数の改札機が一直線に並んでいる。あと数十分もすれば道内各地への長距離特急が立て続けに出発し始め、反対に札幌へやってくる電車からは大量の通勤・通学客が運ばれてくる。しかし今はまだ静かだ。

改札を通ってホームに上がると、途端にけたたましいエンジン音が耳に飛び込んできた。今日最初に乗る列車が既にホームで待機している。

第43列車 6:00発 普通 旭川行き

キハ40系

札幌〜旭川は北海道内でもトップレベルに需要が高い区間だが、意外にも両都市を一本で結ぶ普通列車は朝に1日1往復しか存在しない。しかも旭川行きの列車に充当されるのは国鉄製ディーゼルカー。全区間電化されているのにも関わらず。そういう意味ではなかなか異端な存在である。

札幌駅を出発

6時ちょうど、3両を連結したディーゼルカーは札幌駅を発車。昇ってきたばかりの太陽が真正面から光を放ち、列車が進む先にオレンジ色の直線と曲線を浮かび上がらせる。分岐、合流、交差、並行を繰り返す無数の線路の様子は、どこか今まで見てきた人々の縁にも似ているように思えた。

特急北斗2号

右側には同時刻に発車した函館行きの一番列車、特急北斗2号が並走している。この青と銀色の車両はキハ281系。かつては驚異の3時間切りで札幌〜函館を結んでいたこの車両も、JR北海道がスピード重視から安全重視に方針転換したことで2022年秋に全車引退となった。車齢もまだ浅めだしハイスペックなので、まさかこんなに早く引退してしまうとは思わなかった。
流石にこの並走バトルは特急が勝つんだろうな…と思っていたらこちらの普通列車が突然エンジンをふかしてスピードを上げ、なんと見事に特急北斗の先頭車を抜き去ってしまった。老いぼれキハ40の「わしもまだまだ現役じゃ」という声が聞こえた気がする。

特急を抜き去る普通列車。これぞ下克上

こちらは普通列車なので隣の苗穂駅に停車。その横を特急北斗が轟音を響かせながら通過し、一足先に架線柱の森の向こうに消えていった。

苗穂駅

白石駅で北広島、千歳、苫小牧方面へ向かう千歳線と分岐し、列車は黄色いスクリーンを重ねた空の下函館本線を進む。各駅で乗客を積んでは降ろし、ゆっくりと一日が動き始めた札幌近郊の街を走っていく。視界に白が入らない瞬間がない程どこもかしこも雪に覆われている。これが北海道の日常風景。

大麻付近

夕張川を渡ったあたりから一気に沿線の建物が減り、尋常じゃなくだだっ広い石狩平野の車窓が広がる。本州ではなかなか見ることのない景色だ。

夕張川
とにかく広い

6時55分、岩見沢に到着。昨日長万部で分かれ、洞爺、伊達紋別、東室蘭、登別、白老、苫小牧から追分を通ってきた室蘭本線とここで再会する。岩見沢は特急も停まる大きな駅だ。ちょうど札幌駅を6時35分に出発した旭川行きの特急ライラック1号がやってきた。この駅で僕が乗ってきた普通列車を追い抜かして旭川に先着する列車である。向かい側のホームにも旭川からやってきたライラック4号が停車している。二都市間の交通需要の高さを感じられる光景だ。

左から特急ライラック4号札幌行き、特急ライラック1号旭川行き、普通旭川行き


美唄駅

岩見沢を発車し、次の街は美唄(びばい)市。街の中心駅である美唄駅到着前、左側の車窓を衝撃的な文言が書かれた看板が通り過ぎた。その看板にはドデカく目立つ色で

「新幹線始発駅 旭川」
「稚内 サハリン近い 競泳だ」

と嘘の乗り換え案内に加えてハイレベルな北海道ギャグが五七五で詠まれていた。旭川には新幹線の駅なんてない。サハリンも近いといえば近いが、別にそこまでじゃないし少なくとも競泳ではないだろ…とツッコミが湧き出る。そもそもここ美唄だし。
完全に列車内から見られることを前提とした位置に立ててあるが、立て主は一体全体何を伝えたいのか。意味不明すぎて余計気になる。皆さんも札幌方面から美唄に到着するときはぜひ左側の車窓に注目してみてほしい。


まだ石狩平野が続く

美唄駅から4つ先の砂川駅あたりまでは20km以上ひたすら直線が続く。この周辺の地図を見ても本当に定規で引いたようなまっすぐな線路が描かれている。他ならぬ石狩平野の桁外れな土地の広さと平坦さがこのような線形を可能にしているのだ。おかげで特急列車は雪の中でも時速120kmで飛ばすことができる。つい童心に戻って駆け出したくなるような大雪原が辺り一面に開け、それを暖かい車内の二重窓から眺めている。


滝川駅

7時51分、雪がちらちらと降り始めた滝川駅に到着。コートやジャンパーを羽織りブーツを履いた学生たちが大勢降りていった。ほんの数日前に通ってきた九州や関東の学生と比べると格段に耐寒仕様の格好をしているのが北国らしい。

滝川からは根室本線が分岐している。富良野、帯広、釧路を通り、日本最東端の駅「東根室」を経て根室駅に至る全長443kmの長大路線だ。2016年まではこの滝川から釧路までを8時間かけて走る運行時間日本一のえげつない普通列車も存在していた。また途中の狩勝峠を登山で越えていた旧線の風景は「日本三大車窓」に数えられる絶景としても知られている。

滝川駅に関してもう一つ面白いことは、ホーム上に国鉄の「いい日旅立ち」キャンペーンの広告がそのまま残っていることだ。色褪せた絵や懐かしさのある文字が昭和の面影を感じさせる。

「いい日旅立ち」の自販機コーナー
特急オホーツク1号 キハ183系

しばらくすると札幌方面から特急がやってきた。この列車は網走行きの「特急オホーツク1号」。6時56分に札幌を出発し、旭川、遠軽、北見、女満別などを通って終着網走に着くのは昼の12時17分。全行程は5時間21分にも及び、寝台特急を除いて日本で2番目に運行時間が長い昼行特急列車である。

この駅で普通列車を追い抜く

ホームに停まっている2つの列車はどちらも国鉄製。さらに国鉄時代の広告まで出ている。まさに昭和にタイムスリップしたかのような光景だ。
もっと言うと、この時期間限定で特急オホーツクのヘッドマークが国鉄仕様に復刻されていた。これでもかという国鉄尽くしにレトロ好きな僕は感無量である。

7時55分、オホーツク1号が先に発車

国鉄時代から走り続けてきたこのキハ183系も、2023年3月のダイヤ改正をもってついに引退した。特急オホーツク1号は最後の勇姿を見せつつ、遥か彼方の道東へ向けて旅立っていった。


滝川を出ると天気が一変。さっきまで爽やかな快晴の青空が広がっていたのに、ほんの目を離した隙に猛吹雪に変わっていた。朝8時なのに日暮れのような薄暗さ。車窓は宇都宮顔負けの完璧なホワイトアウトとなった。線路際に佇む木の影や鉄橋を視認することはできるが、それ以外は何もわからない。こんな吹雪の中で普通に走れるこの列車もすごい。

何も見えない
前面展望がこの有様。運転にはさぞかし神経を使うだろう


深川駅

8時22分、留萌本線との接続駅である深川駅に到着。留萌本線は北海道で今最も廃線に近い路線と言われており、2023年3月31日をもって末端の留萌〜石狩沼田間が廃止となった。現在はある程度の通学利用者が存在するが、残る区間も数年後を目処に廃止される予定である。

深川を出ると列車は長いトンネルに入って山地を貫く。トンネルを抜ければそこは旭川市。沿線にも住宅街や店舗が多く見られる。8時53分、札幌から約3時間かけて高いビルやマンションが立ち並ぶ北海道第2の都市・旭川に到着した。函館からずっと乗ってきた函館本線はここが終点。列車の顔には雪がべったりと張り付き、気候の厳しさを物語っている。

旭川駅


後ろから列車が入ってきた

ホームに降り立って数分後、後ろから再び特急列車が現れた。この列車は札幌を7時半に出発した「特急宗谷」。行き先はそう、日本最北端の駅・稚内である。鹿児島県の枕崎を発ってから5日目、初めて稚内行きの列車を目にすることができた。行き先表示器にもしっかり稚内の文字が見える。

この2文字をどれだけ見たかったことか…

札幌を7時半に出発するこの特急宗谷ですら、稚内に辿り着くのは午後12時40分。希望が見えたとはいえまだまだ先は長い。

雪の中へ走り去る特急宗谷


旭川では約2時間半の待ち時間がある。意図して設けたというより、ここから先の本数が少なすぎて強制的に待たされるのだ。ちなみに先ほど乗車してきた札幌6時発の普通列車に乗り遅れると旭川から先の接続に間に合わずゲームオーバーとなる。滝川〜旭川の普通列車も異常に本数が少なく、次の普通列車が3時間後なんてこともざらにあるからだ。

旭川駅

ともかく旭川で一時の休憩を挟むことができる。旭川駅の駅舎はとても綺麗に造られており、暖色系の広々とした空間は旅気分を盛り上げるにも落ち着くにもちょうど良い。さらに素晴らしいのがイオン直結だということ。寒い屋外に出ることなく、列車の待ち時間をここで潰すことができる。駅前とかじゃなく改札の目の前がイオンの入り口。入ってみると売り場やフードコートは大勢の買い物客で賑わっており、僕も無印良品で新しい手帳を購入した。

綺麗な建物、イオン直結、旭川駅最強説

旭川に来たら何がなんでも食べたいものがあった。それは旭川ラーメンだ。
ラーメン好きはもとより一般人にも知れ渡る北海道を代表するご当地グルメである。開店時間を待ち、駅から少し歩いた場所にあるラーメン屋さんに行くことにした。

旭川らぅめん青葉 本店

やってきたのは「旭川らぅめん青葉」。旭川ラーメンの元祖とも呼ばれる歴史あるお店でかなりの人気店。この日も既に店内はほとんど満席だった。

正油らぅめん

函館は塩ラーメン、札幌は味噌ラーメン、そして旭川は醤油ラーメンがそれぞれ名物であると言われる。写真を見ていただくとわかるように、どんぶりから湯気が立っていない。実はこれが旭川ラーメンの特徴で、蒸発してすぐに冷めてしまわないようスープの上にラードを溶かして蓋にしてあるのだ。逆に言えばずっと熱い。レンゲでスープをすくって口に運ぶとラードに続いて時間差で熱々のスープが入ってくるので気をつけないと火傷する。猫舌の僕には大変だったが、それでも念願の旭川ラーメンは本当に美味しかった。スープも飲み干して完食。あまりに満足しすぎて「もう思い残すことはない…」と旅が途中であることを忘れかけた。
このお店には有名人が度々訪れるそうで、菅田将暉、山崎賢人、チャン・グンソクなどの人気俳優もここを訪れてラーメンを食べたという。女子大生らしき4人組が入店してきた時、女将さんが「このイス菅田将暉と山崎賢人が座ったんだよ!あんたらも座りな!」と大サービスしていたのが面白かった。


第44列車 11:30発 快速なよろ1号 名寄行き

H100形

旭川駅に戻って旅を再開。ここからは「日本最北の快速」なよろ号に乗って「日本最北の路線」宗谷本線を進んでいく。ここまで来れば色々なものに「日本最北」の冠が付き始める。乗客が多くて座席が埋まっており、僕はドア付近に立つことになった。

永山駅

雪はまだ降り続けている。たった1両でも連続で駅を通過していく様はやはり快速列車だ。旭川近郊を永山、比布(ぴっぷ)と停車し、ロングシートの端が空いたのでそこに腰を下ろす。車内は暖かくて乗り心地が良く、食後の眠気に誘われて寝落ちしてしまった。次に気がつくと列車は和寒(わっさむ)と剣淵を過ぎたところで、旭川が位置する上川盆地から塩狩峠を越えて名寄盆地に入っていた。

士別駅

12時20分、黄緑色の柱がかわいい士別駅に到着。僕の知り合いに士別出身の人がいるのだが、彼はこんな所に住んでいたのか。めちゃくちゃ遠かった。

名寄盆地

このあたりでようやく雪が止み、久しぶりに青空が顔を出した。大量の雪を抱えていそうな巨大な雲がずっしりと天塩山地に乗っかっている。線路に並行する国道40号沿いにはパラパラと一軒家が建ち、それらを眺めながら平野部を一直線に駆け抜ける。

かつての東風連駅が高校の至近距離に移転して開業した名寄高校駅に停車し、そこを出発するとだんだん名寄の街並みが見えてきた。名寄はかなり大きな街で、ここには日本最北のイオン、日本最北の自衛隊駐屯地、日本最北のワイナリー、そして日本最北の公立大学などがある。12時41分、快速なよろ1号は名寄駅に到着した。

名寄駅

ここがこの旅最後の中継地であり、次に乗る列車が日本縦断のラストを飾る列車となる。今すぐにでも乗り込みたいところだが、名寄でもまた2時間弱の乗り継ぎ待ちとなる。雪も降っていないし、街を少し歩いてみることにした。


名寄駅

駅前に地域交流プラザ「よろーな」という施設があり、そこのコインロッカーに大きな荷物を預けて街歩きに出かけた。駅前通りは歩道にアーケードが付いた商店街になっていて、色々なお店が並んでいる。北海道の中ぐらいの街はだいたいこんな感じの風景をしている印象だ。

駅前交差点
駅前通り(奥に見えるのが名寄駅)

駅からまっすぐ歩いていると「喜信堂」というお菓子屋さんを発見。入ってみると、何十種類もの名寄のお菓子が棚やガラスケースに並べられていた。しかも箱だけじゃなく個包装でのバラ売りもしてくれている。旅をしているとしょっちゅうお土産屋に立ち寄るが、名物お菓子などを見て「一個食べてみたいけど1箱は多過ぎかな…」と思うことがよくある。個包装だと気になるお菓子をいくつもピックアップして買うことができるので非常にありがたい。ここで買ったお菓子はあとで列車の中で食べることにする。

セコマ

さらに歩き、駅から一番近いセイコーマートへ。セイコーマート、略してセコマは北海道民の生活に欠かせないローカルコンビニだ。セコマ店舗の分布図だけで北海道のシルエットが描けるほど、道内のあちこちで営業している。
そんなセイコーマートでは北海道独特のある飲み物が売られており、僕はそれが好きで好きでたまらない。その飲み物の名は「ガラナ」

セコマのガラナ

ガラナは同名のフルーツの実から抽出したエキスを原料にして作られるコーラのような炭酸飲料で、その味は例えるなら「子どもの頃に飲んだ風薬シロップの味」。コーラより炭酸が弱くて甘く、人によって好みが分かれるが、僕は大学1年生の時に初めて飲んでから完全にその味に魅了されてしまった。それ以来本州にわずかに存在するセコマへわざわざ出向いてはガラナを数本買ってたまに飲んでいる。毎日飲むのは中毒になって禁断症状が出そうなので控えている(アル中か)。正直ビールよりもダントツでガラナが好き。この世で一番好きな飲み物がガラナだとこの場で公言しておきます。


さて、少々ガラナ愛を語り過ぎたので話を戻そう。セコマでガラナを買ってから駅前の「よろーな」に戻ってきた。ここには観光案内所やフリースペース、地元の特産品を売っているコーナーがある。どれも美味しそうだなーと商品を眺めていると、なんとその中にいかめしがあった。昨日食べられなかったやつ!!!

このいかめしは函館産のイカに名寄産のもち米を詰め込んだものだそうだ。名寄は稲作の北限地域に位置し、なんともち米生産量日本一になったこともあるらしい。これは一度で2地域の味を楽しめるなんともお得な食べ物だ。迷わず買った。後日家で食べてみたが、これが本当に美味しい。イカの香りともちもち食感がダブルで幸福な気分を運んできてくれる。そしていつかは本場・森でいかめしを食べたい。

もち米玄米珈琲

「もち米玄米珈琲」というドリンクも買ってみた。穀物とコーヒーがミックスされた独特な味わいで、これのおかげで外を歩き回って冷えた体も温まった。
時刻は14時40分。そろそろ列車の時間が近づいてきた。席を立ってコインロッカーから荷物を取り出し、駅へ向かう。


第45列車 14:59発 普通 稚内行き

キハ54形

稚内行き。発車標には確かにそう書かれている。これがいよいよこの旅最後の列車だ。1両だけのディーゼルカーはガラガラとエンジンを回転させながら出発の合図を待っている。僕も跨線橋を渡って列車に乗り込んだ。
車内には自分を含め10人弱が乗っている。静かにドアを閉め、最後の列車は稚内に向けて走り出した。

日進駅

列車は名寄の隣、日進駅に停車。物置小屋のような待合室と木の板でできたホームしかない小さな駅だ。ここから先、宗谷本線はしばらく天塩川に沿って進んでいく。

天塩川

川岸をなぞるように起伏の多い場所を走り、再び平野部に出た。農地と思われる平たい地面は余すところなく白に上塗りされ、たまに民家や倉庫が数軒現れる。このあたりの駅は駅があるからといって町があるとは限らず、何もないところに停まっては誰も降ろさず誰も乗せずにまた走り出すということを繰り返す。もともと町があったが人が減って駅だけ残るパターンは地方にはよくある現象だ。実際宗谷本線では2021年3月のダイヤ改正で一気に12駅が廃駅となった。それだけ人口の減少が著しい地域なのだ。

15時25分、列車は美深(びふか)駅に到着。ここで対抗列車との待ち合わせを行う。かつて美深駅から美幸線という路線が伸びており、綺麗な字面とは裏腹に「国鉄一の赤字路線」を謳い文句にするほどの大赤字を垂れ流していた。そんな美幸線も1985年には廃止となり、美深駅にはそれを偲んで「美幸の鐘」が設置されている。現在は特急宗谷・サロベツ2号到着時、そして15時に鐘が鳴らされる。

美深駅

稚内方面からやってきたのは特急サロベツ4号旭川行き。旭川で見た特急宗谷の編成が稚内から折り返してきたのだ。
特急サロベツがポイントを通過しきって進路が開通すると、ほとんど間を置かずにこちらの列車が動き出した。僕は列車の後ろ側から小さくなっていく美深駅の様子を眺めていた。その時撮った写真を後で見返すと、出発する特急列車に向かって手を振る老夫婦の姿が写り込んでいた。子や孫が帰省していたのだろうか。走り出す列車と同じ方向に歩き、去りゆく誰かにできるだけ長く手を振ろうとしているように見える。彼らにはいったいどのような物語があるのだろう。

旅立つ人、見送る人


だんだんと日も傾き始めた。地平線近くの空は黄色みがかかり、雲の隙間から光の筋がいくつも差している。車内の人々は途中の駅で少しずつ降りていき、気付いたらもう自分以外に誰も乗っていないようだった。車窓にはひたすら大自然の風景が流れていく。



音威子府駅

16時5分、音威子府(おといねっぷ)に到着。いかつい名前の駅だが、音威子府村は北海道で最も人口が少ない自治体だそうだ。しかし一応特急停車駅である。
この駅で1時間もの長時間停車を行うらしい。運転士さんにお願いして車内にスーツケースを置きっぱなしにさせてもらい、少し辺りを歩いてみることにした。

音威子府駅
駅そば屋跡

ここ音威子府にはかつて駅そば屋が存在した。名を「音威子府そば」という。麺が真っ黒でコシがあり、そばの風味が強いのが特徴。小さな村の小さな駅でだけ食べられる幻の「黒い駅そば」は多くの旅人を虜にし、数ある日本の駅そばの中でもトップレベルの人気を誇っていた。
しかし2021年に駅そば屋のご主人が亡くなり音威子府駅の駅そば屋は閉店。2022年には近隣のそば屋、そして麺を製造する会社も後継者不足で廃業。これを以って音威子府そばは完全に消滅することとなってしまったのだ。

しかしその音威子府そばを今でも味わえる場所が、実は東京に存在する。

音威子府そば

東京・四ツ谷に「音威子府TOKYO」というお店がある。このお店はなんと東京のど真ん中で音威子府そばを提供しているのだ。僕も2回訪れたことがある。伝説の味を東京にいながら口にすることができる貴重なお店であり、2023年3月時点ではまだ本物の黒いそばを食べられるようだ。しかしそれも在庫がなくなれば終わってしまう可能性が高い。いつかではなく「今」食べておくべき幻の味だ。


音威子府村

駅の近くを歩いていると小さなスーパーを見つけた。音威子府そばの麺も売られていたのだが、消費期限が近かったか何かで買うのをやめてしまった。代わりに音威子府そば味のようかんを見つけたのでそれを購入。駅の中には廃線となった天北線の資料館もあり、1時間はあっという間に過ぎた。

山の影が辺りを包み、少し薄暗くなった
稚内はまだ遠い

僕以外に音威子府から乗り込んだ人はいなかった。乗り込んだ車内にも誰もいない。もう僕一人のためだけに列車を動かしてもらうようなものだ。17時2分、列車は1時間ぶりに北へ走り始めた。


夕暮れの天塩川
18きっぷには5日分全ての欄にスタンプが押された

これが世界の果ての景色。そう言われても納得してしまいそうな風景がずっと続く。今座っている2列掛けの座席は実は0系新幹線の廃車発生品。日本の鉄道史に偉大な1ページを刻んだ名車の座席に座りながら日本縦断の旅を終えることができるとは光栄なことだ。

やっぱり北海道で飲むガラナが一番美味い
音威子府羊羹 蕎麦味
音威子府TOKYOで黒いそばを初めて食べた時、ちゃんとこのようかんの味がして感動した
なよろ生サブレ しっとりした甘さ(天塩中川駅にて)


列車はノロノロ走りながら煽り運転のごとく警笛を鳴らしまくっている。先頭の窓を覗いてみると列車の少し前をエゾシカが歩いていた。何回も警笛を鳴らされるも全くどく気配がない。慣れてんなコイツ。本州民からすれば「うわ!シカだ!」となるイベントだが北海道では日常茶飯事。北海道で山中を通る路線に乗れば高確率でシカに遭遇できる。散々威嚇されても全く動じなかったエゾシカはようやく線路の外にどいてくれた。「何勝手に人んちに線路引いとんじゃ」という人類への問いかけかもしれない。

エゾシカ


18時3分、列車は糠南(ぬかなん)駅に到着。日進駅と同じように板そのままのホームと物置小屋みたいな待合室だけのこれ以上ないほど簡素な駅で、駅周辺にはもはや民家すらない。しかし毎年12月になると、この何もない無人駅で「糠南クリスマスパーティー」という謎のイベントが開催される。このパーティーめがけて近隣だけでなく日本全国から数十人もの参加者が集まり、その日だけは糠南駅もホーム上どころか周辺まで人が溢れかえるという。聞くところによるとみんなで雪に埋もれながらケーキを食べたりするらしい。なんかめっちゃ楽しそう。


夕日の残光も消えかかっている

5回目の日没を迎え、世界は夜になろうとしている。車窓は群青色を一面に写し、それもすぐに黒に変わった。車内には誰もいない。窓の外は相変わらず大自然だけ。ディーゼルエンジンの音と振動、微かな景色と慣性を頼りに体でスピードを感じる。あとどれくらいで稚内に着くのだろう。


幌延駅

18時30分、幌延(ほろのべ)に到着。ここで10分間停車する。もう完全に真っ暗だ。
かつてはこの駅から日本海沿いを通って留萌まで羽幌線が伸びていた。北海道は本当に廃線だらけである。鉄道全盛期の路線図を見ると、北海道全体に血管のように路線が張り巡らされていて昔はこんなにすごかったのかと驚くものだ。それも今では数えるほどしか残っておらず、それすらもほとんどが残るか消えるかの瀬戸際にある。この宗谷本線も例外ではない。今乗っているガラガラな普通列車がその証明だ。音威子府から稚内までの普通列車は1両のディーゼルカーが1日にたった3.5往復。今乗っているのが稚内への最終の普通列車。その乗客がたった一人、それも地元民ではなく僕のようなイレギュラーな旅人である。宗谷本線の先の見えない未来を想いつつ、静かに幌延駅を出発した。

札幌行きの特急宗谷とすれ違い


幌延の次の大きな街はいよいよ稚内。少しずつ着実にこの旅の最終目的地に近づいている。長かったような短かったような不思議な感じだ。もう窓の外が暗くて車窓も楽しめないので、ここまでの出来事を思い出してみる。

1日目、旅のスタートは鹿児島の枕崎。いきなり土砂降りに振られてずぶ濡れになった。靴下が臭くて申し訳なかった。宮崎で買った椎茸めしを特急の車内で優雅に食べながら宗太郎峠を越えた。佐伯で挽茶まんじゅうを食べ、別府で温泉にも入れた。丸一日かけて九州を脱出し、新山口に泊まった。
2日目、いきなり寝坊して電車に乗り遅れた。心の底から絶望した。そして新幹線のありがたみを噛み締めた。山陽本線をひたすら進み、新快速の助けを借りて近畿を高速でぶち抜いた。名古屋を過ぎ、浜松では一風堂のギョーザを食べてせめてもの浜松気分を味わった。夜9時を回って首都圏に入り、日本の中心・東京駅を通過。東京の人々の日常生活に混じって進み、19時間の移動の末に宇都宮までやってきた。
3日目、東北に入ってから車窓の草木が枯れ始めた。地震で脱線した新幹線の横を通り無事に仙台まで到達。山形県に入ってからは雪景色を眺め、人生で見てきた中でも一二を争うほどの絶景の中を走った。秋田では稲庭うどんを食べ、最終の快速列車で青森へ。暗闇を貫くように疾走し本州最北の都市に到着。
4日目、津軽半島から北海道新幹線で本州を脱出。青函トンネルを抜けて北海道に上陸し、木古内で文房具屋さんのおじいさんと会話した。函館ですぐに折り返し、森駅では待ちに待ったいかめしを食べられなかった。しかしそのおかげで長万部のかにめしを楽しめた。廃止が決定した函館本線で夕焼けを眺めながら倶知安へ。時間を見誤ってスープカレー早食い&食後雪中ダッシュをかました。小樽運河に寄って鼻炎のまま札幌で一泊。
最終日5日目、石狩平野はどこまでも広かった。晴れていたのに途中から猛吹雪になった。旭川では念願の旭川ラーメンを食べ、日本最北の快速列車で名寄へ。お菓子とリベンジいかめし、そしてガラナを買い、この旅最後の列車に乗車。音威子府で伝説のそばを偲び、雄大な自然の中をちっぽけな汽車で進む。いよいよ稚内まで残り1時間を切った。本当に最北の地までやってきたのだ。

不安と楽しみと回想がゆらゆらと頭の中で揺れている。本当にいろんなことがあった。あまりに密度の濃かった5日間、ノロノロなはずの普通列車ですらこの距離を進むには速すぎたと感じる。だって道中にはその土地の面白いものや美味しいご飯がまだまだ沢山あったのに、そのほとんどを味わうことなくすっ飛ばしてきてしまったから。僕はなんともったいないことをしてしまったのだろう。「普通列車で全駅途中下車しながら日本縦断」とかの方が良かったかもしれない。とんでもなく時間がかかりそうだが、しかしそこまでしたってこの国を知り尽くすことはできないだろう。日本は広く、そして面白い。たくさんの人々が暮らしている。それを全身で感じた旅だったと思う。また旅に出たい。と、まだ稚内にも着いていないのに思ってしまった自分の旅人としての衝動に呆れるのだった。


豊富、兜沼などの駅に停車し、列車は日本最北の秘境駅と名高い抜海(ばっかい)に到着。海を抜くとかいういかつい駅名もさることながら周辺には全く民家がない秘境っぷり。なんで存在してんだ…と思っていたら、まさかの男性が一人この抜海から乗ってきた。え、幽霊?と思ってしまったが、どうやらちゃんと人間らしい。最後の最後で乗客が一人増え、列車は僕を含めて2人を乗せて日本の片隅に輝く稚内の街明かりに近づいていく。

ついに稚内の灯りが見えてきた


19時44分、南稚内駅に到着。駅名に稚内の文字が入っている。それだけでも感動的だ。南稚内駅はもともと終点の稚内駅として開業し、音威子府から東の海側を通っていた天北線はここで宗谷本線に合流していた。

踏切で車が待っているなんていつぶりだろうか

稚内は人口3万人の街で、名寄ぶりに線路沿いに民家や店が立ち並ぶ光景が広がる。3階建てぐらいのアパートもいくつかあり、宗谷本線のド田舎な景色と比べると「めっちゃ街だ!!」と驚いてしまう。稚内にある日本最北のものは多すぎて挙げきれない。マクドナルド、ダイソー、映画館、水族館、道の駅、郵便局、学校、コンビニ……きっとまだまだ沢山ある。暗闇に慣れた目には街灯や窓の光がとても眩しく見え、そのキラキラに囲まれながら稚内の街をゆっくり北上していく。もうスピード出す必要もない。荷物をまとめて下車の準備をし、最後の車窓を眺めた。


19時49分、列車は速度を落としてゆっくりとホームに入り、ブレーキ音を軋ませて停止した。ドアが開き、外に出て地面を踏むと凍えるような空気が全身を掴む。線路は一本、ホームも一つだけ。その先の進路を塞ぐように駅舎が建っているためここが行き止まりとなる。

この駅の名は稚内。正真正銘、日本最北端の終着駅である。JR日本最南端の終着駅・枕崎を発って5日目、総移動距離3400km以上…

…ついに普通列車で5日間日本縦断達成だーーーーー!!!!!!!

稚内駅に到着!!!!!!!
ホームの看板

緑色の看板には「北と南の始発・終着駅 稚内-枕崎」と書いてある。枕崎の観光案内所にはこれと対になる赤色の看板があり、4日前にそれを見てきたばかりだ。

枕崎にある赤い看板

本当に反対側までやってきたのか自分でも完全に信じきれない。しかし確かに線路はここまで繋がっていた。そしてこれ以上北に行く線路は存在しないのだ。

ホームの端にある記念碑
線路の端にも記念看板がある

稚内駅はガラス張りの窓に囲まれ、白やグレーを基調にしつつも暖かみのある広々とした駅舎。人はもうほとんどおらず、自分の足音だけが空間に反響している。乗ってきた列車は20時11分発の折り返し幌延行きになり、日付が変わる直前の23時47分に旭川からの特急サロベツ3号が到着して稚内駅は一日の営業を終える。そして始発列車は5時21分。意外にも朝早くから夜遅くまで列車の発着があるのだ。夜間は無人となっている窓口の横を通り抜け、駅舎の外に出てみる。

稚内駅

寒い。地面にはところどころに雪が積もり、北風も南風も関係なく全方位から冷たい風が吹きまくっている。駅舎の外には黄色い車止めがあり、ここが本当の線路の端っこにあたる。反対の端っこは枕崎だ。

5日目のルート

辿り着いてしまえばあっという間だったし案外行けるもんだな、とどこか余裕すら感じてしまう。しかしそれはゴールの嬉しさで気分が昂っているだけだろう。長旅の疲れを癒すため今日の宿へ向かう。


ドーミーイン稚内

5日目に泊まるのは「天然温泉天北の湯ドーミーイン稚内」。屋上の露天風呂・サウナや夜鳴きそばサービスなど、色々と良い評判を聞くのでずっと気になっていたホテル。少し値段は張るが、ゴール祝いとして自分を甘やかそうと決めた。

食堂よしおか

荷物を一旦置いて、すぐ近くの「食堂よしおか」で夕食。「宗八カレイ定食」を頂いた。海鮮尽くしで豪華ながらも不思議と落ち着く味。やっぱりこういう地元感溢れる食堂で食べるご飯が一番美味い。となりの女性が食べていた牡蠣フライもめちゃくちゃ美味しそうだった。

宗八カレイ定食

まだ腹が減っていた僕は稚内駅直結のセコマへ。メンチカツを一つ買い、駅のフリースペースで一人静かに食べた。セコマのお惣菜は安くて美味くて最高。

稚内駅
安いのにめちゃくちゃ美味い

ホテルに戻るともう22時前。ここでさらにドーミーイン名物、無料サービスの夜鳴きそばを頂いた。どんだけ食べんねんと自分にツッコミたくなるが、夜鳴きそばは数量限定・先着順のサービス。念のため在庫切れしてしまう前に食べておこうと思ったのだ。
そばという名だが実際には醤油ラーメン。しっかり醤油味がするもののさっぱりしていて夜食にちょうどいい。というか普通に店で出せるレベル。いや、無料であることに価値があるのだろう。書いてたらまた食べたくなってきた。

夜鳴きそば

夜鳴きそばを食べ、ここでようやく温泉に入った。最高だったのは言うまでもない。サウナでじりじりと蒸されて汗をかき、水風呂で一気に全身を冷却し、露天風呂の横にあるイスに座って最北の風を浴びる。この世に存在する全てのストレスから解放されるようなフワフワとした気持ちいい無重力感に包まれる。いわゆる「整う」というやつだ。横に座っていた男性2人組が「彼女と◯◯してる時ぐらい気持ちいいな…」と言っていて思わず吹き出しそうになった。

ドーミーインではお風呂上がりにも無料のアイスをもらえる。それをかじりながら部屋に戻ってベッドに横になると、あまりに快適すぎて数分も経たずに眠りに落ちてしまった。こうして怒涛の5日間はなんとか事故や怪我、そしてコロナにかかることなく無事に幕を下ろしたのだった。

最後にもう一度5日間の道のりを振り返ってみよう。

今振り返ると、僕はこの旅を経験したことで「遠い」の判断基準が完全にぶっ壊れてしまったように感じる。なんというか「遠すぎて行けない」と思うことが全くなくなった。まあ日本縦断の旅に出ている時点でそうだったのかもしれないが、尚更そのハードルが低くなってもはや平面同然になった。「行ける範囲で行こう」ではなくいきなり「どうすれば行けるか」を考えるようになったのだ。その結果2022年はこの旅以降も東北、関東、北陸、信州、東海、近畿、山陰、四国、九州など日本中を旅しまくった一年となった。
また、旅という非日常の立場にいながら普段と何も変わらない普通列車の日常空間に溶け込むことはとても面白い体験だった。2日目の東京あたりで「地球に潜入している宇宙人のような感覚」と書いたが、本当にそんな感じ。「こことここじゃ全然空気が違うな」と思うことも「この雰囲気は日本中どこでも変わらないな」と思うこともあった。そうして何気ない日常風景を日本全国のスケールから見つめ直すことができたのも、この旅の大きな収穫だったと思う。

さて、長くなってしまったのでそろそろ筆を置くとしよう。この5日間は実に良い旅だった。またいつか、どこかで会いましょう。

「5日間普通列車だけで日本縦断した話」完。





あとがき

というわけでようやく完結させることができました。最初はただ覚えてることを書き残しておくだけのつもりで書き始めたのですが、思ったよりも多くの反響を頂いたことで自分でも想像していなかった大作が出来上がってしまいました。今までこういう文章を「作品」として出したことがほとんどなかったので、自分にできる表現方法を見つめ直すとともにそれを少し広げることができたような気がします。

この旅行記を読んでくださった皆さんからの反応やコメントが執筆にあたり非常に助けになりました。恥ずかしながら読書をあまり積極的にしてこなかった身なので、この旅行記もかなり我流強めで書いています。自分なりに「どう表現すれば自分の体験が伝わりやすくなるのか」を考えて書き、そのこだわりがちゃんと届いているとわかったことで「この感じでいいんだ」と安心しつつ自信を持って最後まで書き切ることができました。

途中作者がまた別の旅に出たことで最終回更新が大幅に遅れてしまい、楽しみにしてくれていた方には申し訳ありませんでした…。しかし自分の作るものを待っていてくれる人がいることは僕にとってとても幸せなことです。これからもこういった旅行記っぽいものは書いていきたいと思うので、興味があればぜひ見に来てください。
それではこの辺で終わりにしたいと思います。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!!


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