見出し画像

経営に活かしたい先人の知恵…その4


◆学習することで人間は成長し、人生が楽しくなる◆


 人間が成長する上で、何より大事なのは「学ぶ」ことだと、先人の多くが指摘している。

 「玉も磨いて光沢を出さなければ宝玉として通用しないように、人は学んで物事の道理を心得ぬことには才能を発揮することができない」(『礼記』)

「学ぶに如かず=学習に勝るものはない」(『論語』)

自分(荀子)は以前に、一晩中考えたことがあったが、先輩からちょっと学んだことにさえ及ばなかった」(『荀子』)

 幕末の多くの志士に影響を与えた佐藤一斎は、いくつになっても学ぶことをすすめている。

 「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず=少年の時に学んでおけば、壮年になってから役に立ち、何事かを為すことができる。壮年の時に学んでおけば、老年になっても気力が衰えることはない。老年になっても学んでおけば、ますます見識も高くなり、社会に役立つこととなり、死んでからもその名は残る」(『言志四録』)

 学習することで人は変わることを教えてくれるのが「呉下の阿蒙(あもう)」の逸話だ。

 三国(魏・呉・蜀)鼎立の時代、呉の孫権の部下に呂蒙(りょもう)という男がいた。まったくの田舎者で武勇には優れていたが学問がなかった。その呂蒙が将軍になったので、ある日孫権がこう言った。

 「そのほうは今要職についている。だからもっと学問をして眼を開かねばならない。いつも多忙で読書する暇などありませんというが、わしはそのほうに経書を修めて博士になれと言っておるのではない。少しは色々な本を読んで昔のことを知って欲しいのじゃ」

 呂蒙は、初めて学問をしたのだが、読んだ量は儒教の先生にも負けない程だった。

 呂蒙の若い時からの友人であった魯粛が、久々に呂蒙に会って、色々議論を交わしたが敵わず、呂蒙の背中を叩いて言った。

 「わしはそなたが武辺だけの人だと思っていた。今になってみると、学問がひろくて、もはや呉下の旧阿蒙ではないな」

 呂蒙は答えて言った。

「士は、別れて3日たてば、括目(かつもく)してみなければなりません」

 学習すれば、知恵が無限に出てくることも指摘しておきたい。

 なぜ、学習すれば知恵が出てくるのか。作家の山本七平さんが分かりやすく説明している。

 「質のいい記憶(知識)の量を増やせば増やすほど、その人間の発想の総量は増えていく。天才とは、普通の人が結びつかないと思っているいくつかの概念を結びつける人のことだが、天才といえども、結びつけうるべき概念を持っていない限り、新しい発想はできない」

 人生を生きていく上で、また仕事を遂行するに際しては、知恵が必要になってくるが、ただひたすら考えるだけでは知恵は浮かんでこないということだ。

 誰でもそれまでの人生での記憶があり、考えればある程度の知恵は出てくる。しかし、知恵のいいところは無限に出てくるところにあるのだ。人間は無限の可能性を秘めているが、労働は有限だ。無限の可能性があるというのは、知恵を出すことにおいてである。

 知恵が無限に出てくれば、人生が楽しくなるというものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?