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「最高の集い方」―イベント運営のコツがまとまった一冊

プリヤ・パーカー「最高の集い方」を読んだ。人が集まるイベントの満足度を上げ、「記憶に残る体験」を作るための考え方が紹介されている本だ。

わたしたちの誰もが人生の長い時間を、人と集うことに費やしています。仕事でも私生活でも、集まることによってその人の住む世界がかたちづくれらますさまざまな集いを通して、考え方、感じ方、世界への向き合い方に影響を受けるのです。…(中略)…それなのに、ほとんどの人は集まり方についてほとんど気にかけていません。人と人が、どんなふうに会するかによって、世界が変わるというのに。

自分自身、読書会やゲーム大会、スポーツのクラブに参加したり主催したりすることが多かったのでめちゃくちゃ参考になった。特に印象に残っている部分をメモしておく。

※著者はパーティや会議の主催を専門としているため、本書での例はパーティや会議の話が多い。ただ、それ以外の集まりにも十分応用できると思う。

イベントをよりよくするヒント

1  主催者は民主的じゃなくていい

本書では、主催者は参加者を放っておかずに(独裁的にならない程度に寛容に)仕切るべきだと主張する。

主催者は裏方に徹するべきだと考える人は多い。でも、船頭のいない船に乗りたい人がいるだろうか?わたしは主催者が自分の手で舵をとり、力を使うべきだと考えている。

P92

ここでいう「力を使う」とは、その会の目的に沿うルールを定めて、全員にルールを守らせることだ。

たとえば本書では、米国テキサス州の映画館「アラモ」を例にあげている。この映画館のルールは「上映中にスマホを使用すると映画館から追い出される」というものだ。スマホの音や光が映画鑑賞の体験を損なうため、作られたルールだ。実際に何人かが退出させられたという。

ルールを破って追い出された人は映画館にクレームを入れたそうだが、残る99%の人びとは、他人のスマホに邪魔されることなく映画に集中できるようになる。

もう一つ身近な例をあげると、以前に私が参加した読書会で、参加者のひとりが本の紹介そっちのけで政権批判を延々としていたことがあった。そのときの主催の方が「他の方が本を紹介する時間がなくなりますし、ここは本を紹介するところで、演説の場ではないので、ご遠慮いただけますか」と口調は穏やかだがきっぱりと伝え、やめさせていた。

これらは主催者が適切にルールを守らせた例だと思う。もしここで主催者が「参加者の自主性にまかせよう、自然体でいよう」とこの状況を放っておいたら、多くの人にとってつまらない映画や読書会になってしまっていたはずだ。

もちろん実際のイベントの現場ではこんなにわかりやすい例は少なく、注意するかどうか迷うくらいのグレーな事案が多いとは思う。ただ、主催者は必要に応じてルールを作り、そのルールを守らせる必要があるのは確かだ。

本書では、参加者が暗黙のマナーを守ることを期待するよりは、はっきりしたルールを決めて示すことをすすめている。

2 スマホを手放させる

今やスマホは現代人の生活に必須のツールだが、オフラインの人の集まりにおいては邪魔になることもある。スマホは人間の集中を奪い、たくさんスマホをさわってアプリを起動して広告をいっぱい見るように天才エンジニアたちが設計しているから、どうしてもみんなスマホを見てしまう。

本書では、集まりによってはスマホを禁止することを提案している。

いまどきの集まりでは、よくも悪くも、人々の心はしばしばどこか別の場所にある。それは携帯デバイスのせいだ。いつも何かに気が散ってしまうことは現代生活で避けられないし、会合の最中は特に避けられない。…(中略)…集まりに集中してもらうにはどうしたらいいのだろう?わたしたちは1日平均150回スマホをチェックするといわれる。大勢のゲストを1つの場所に集めることができたとしても、本当に「そこにいて」もらうにはどうしたらいい?

P158

せっかく大勢で集まっているのに、全員が心ここにあらずの状態では、集まりの満足度は上がりにくい。

読書会を例に出すと、読書会でずっとスマホをいじっている人がいると私はとても気になる。もちろん、本の紹介をするときにスマホのメモを参照するのは全然気にならない。問題は、他の人が話しているときにスマホをいじる人だ。紹介された本を調べているのかもしれないし、公然と責めることはできないけれど、読書会と関係ないことをしている可能性もありえる。スマホをずっと見て、話者を見ないことは「あなたの話には興味がありません」という意思表示になってしまうのではないかとすら思う。

もちろん、スマホを使って本の関連情報を示すとか、必要に応じてスマホを使うべき場面もある。100%禁止にするのは現実的ではないし集まりの趣旨によるけれど、スマホを使っている人が少ない集まりのほうが満足度が高いと個人的に感じる。仲の良い人と酒を飲んで「楽しかったーーー」と感じる飲み会で、スマホをいじってる時間なんてほとんどない。

この点、伝統的なスポーツは良い。ボールを投げたりラケットを振り回している間はスマホをさわるなんてことはできないから、自然と「今」「ここ」に集中できる。もちろん、スポーツを開発した昔の人は「スマホを使わないような競技を開発しよう!」なんて思ってたわけじゃないだろうけど。

3 自慢や宣伝を排除する

人間は大人になるにつれて精神的な「鎧」を身にまとう。自分をよく見せたい、という無意識に従った話をしようとすると、自然と自慢や宣伝に寄ってしまいがちだ。

本書では、自慢や宣伝をしないように誘導することで、本音に近い会話が引き出されて親密な集まりができると説く。具体的なやり方としては、自慢や宣伝の話が混ざらないように「成功譚は話さないでほしい」「準備されたスピーチではなくアドリブで話してほしい」「抽象的な話はせず、あなたの具体的な経験やストーリーを話してほしい」と伝えることを推奨している。

気がついたことがある。みんながお互いのいい部分を見ていれば、自慢話をしなくてもよくなるということだ。人間誰しもいいところを見せたいものだし、特に仕事の場面では、弱みを見せたがらないものだ。でも、ホストのわたしが事前にゲスト個人やその組織の強みを認め、ほかのみんなに伝えれば、ゲストは自分をよく見せたいというプレッシャーからいくらか解放される。
だから、いつもわたしはこんな感じではじめる。「ここには選りすぐりの人物だけをお呼びしています」。そのうえで「ですが、今日はみなさんの経歴やどれほど成功なさっているかはお話ししていただく必要はありません。もう十分存じ上げていますから」と付け加えることにしている。

P259

本書では、社会的に成功した人たちの集まりを例に出しているけど、別に成功者の集まりではなくても大事になる考え方だと感じた。

悪い例をいくつかあげると、以前に参加した読書会で、主催者が自己紹介で、聞かれてもいない収入の自慢をしてくることがあった。なんでそんな話をしてくるのかまったく理解できず、「その話する必要あるか???」と思ってしまい、それ以来その読書会には参加していない。自慢や宣伝は聞いている側に悪感情を起こさせることもある。

別の例だと、結婚式の来賓スピーチで、新婦の上司が「我が社の創設は…」だの「〇〇部の業績は…」だのといった新郎新婦に関係が薄い話を延々としていて、会場全体が白けてしまったことがあった。結婚式は、新郎新婦をお祝いすることが優先されるべきであって、会社の宣伝をする場所じゃない。仮に自慢や宣伝をしたいなら、それを行って不自然じゃない集まりでやるべきだと思う。

宣伝をさせにくくする一つのやり方として、「自分の肩書や所属を言わず、下の名前だけ伝える」というルールがあった。これはいいアイデアだと思う。肩書や所属を言わなければ宣伝にはつながりにくい。自分がお世話になっている読書会ではハンドルネームを使えるけれど、ハンドルネームを使うとき、その人はふだん所属している組織や、肩書から解放されてフラットな関係を作りやすくなるように感じている。

まとめ

この記事で紹介したもの以外にも、「そもそも集まりの目的はなにか」深掘りするくだりなど参考になるものが多かった。まぁ親しい人と少人数で集まるときにいちいちこんなことを考えないけど、不特定多数の人が集まるときに思い出す一冊だと思う。おすすめです。

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